麒麟がくる

幼い光秀を後見した叔父の明智光安のお家再興の願い

歴ブロ

明智光安は、美濃国明智城主・光綱の弟で若くして亡くなった兄の意思を継ぎ、幼かった光秀の後見として明智家を盛り立ててきました。

光秀元服の際には、家督を任せようとしましたが固辞したたため光安が引き続き明智家の中心として尽くしました。

明智光秀同様、その生涯は史実からは全くわかっていなく、江戸時代に書かれた軍記もの【明智軍記】と言った創作性が強いものでしか分かりません。そのため、今回は不確定要素が強いと言う点を頭に入れつつ明智光安の生涯を描いていきたいと思います。

 

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明智光綱の死後に光秀の後見となる

明智光安は、光秀の叔父にあたる人物です。

光綱死後、幼かった光秀の後見として明智家を盛り立てる事になった光安は、お家存続のために奔走しました。領国経営は光安が担う事になった明智家ですが、次期当主の光秀は心置きなく将来のために武芸・文学に励んだとされています。

 

1550年頃の美濃国は、守護代・斎藤道三と守護職・土岐家との権力争いが頻発しており、東美濃の明智城で領土を有していた明智家は、当時力をつけてきた斎藤道三に従う事で生き残りを図っていました。

一説では、光安の娘が道三の正室として斎藤家に嫁いだとされ、明智家と斎藤家は婚姻関係にあったようです。それを考えると、麒麟がくるでの斎藤道三と明智光安・光秀の親密な関係が分かるような気がします。※婚姻は小見の方が人質でそのまま正室になったとも言われています。

 

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斎藤道三と義龍の対立

1553年には、出家をし光安ではなく「宗寂」と名乗っていたようで、おそらくこの時期に光秀が明智家の家督を継いだのではと考えられています。

斎藤道三が守護職の土岐頼芸を追放し美濃を統一すると斎藤家と婚姻関係にある明智家は安泰かと思われましたが、斎藤道三と息子・義龍の対立が表面化します。

 

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この親子喧嘩は、道三を裏切った義龍が悪者扱いされがちでしたが、近年の研究では道三が悪質な国盗りや美濃統一後の政策の失敗などで家臣達や美濃衆の信任を失い、水面下では義龍派が大多数だったと考えられています。

これも、道三が信長の妻である帰蝶の父親だったことから、かなり道三びいきの歴史館だったのかもしれませんね。結果的に、斎藤家は織田家に美濃を奪われることから、信長の視点での道三びいきの史料が残っていたのかもしれません。

 

そして、1556年に道三・義龍親子が長良川の戦いで衝突する事になります。

斎藤家の家臣であった明智光安・光秀はこの対立で、どちらかに付かなければいけませんでした。美濃の情勢は、道三が不利な立場であることが明白でしたが、血縁関係だけではなく、個人間でも信仰の厚かった道三を見限れなかった光安は、苦肉の策で【中立】の立場を取ることにしました。

義龍側からも帰順勧告は来ていましたが、明確なスタンスは取らずに中立を保ったまま、長良川の戦いが始まってしまいます。

 

斎藤道三・義龍親子の長良川の戦い 戦国時代は、親兄弟と言えど時として敵となる事がしばしばありました。 大河ドラマ麒麟がくるでもおそらく描かれるであろう、長良川の...

 

明智家の再興を光秀に託し自害する…

斎藤道三・義龍親子の戦いは、圧倒的な義龍の兵力の前に道三は敗れました。

道三を討った義龍は、その足で中立を保ちながらも味方にもならなかった明智光安らの明智上に兵を出しました。この時、家臣たちの静止があったようですが、東美濃における反乱分子を恐れ義龍は耳を貸しませんでした。

 

義龍軍に3000に対し明智勢は1000。明智光安らは、居城である明智城で籠城する事に…

光安を中心に明智家の家臣達の奮闘で、襲撃当時は何とか乗り切りましたが、最後の決戦を決意した光安は、その夜に最後の晩餐と称し酒宴を開きました。

翌日の決戦では、皆が思い思いに奮戦しましたが、勝ち目がないと悟った光安は城へ引き返し、自決の決意を固めました。

 

こうして明智城へ引き返した光安ですが、この城内で麒麟がくるでも描写されるであろう出来事がありました。武士らしく自決しようとしていた光安と共に運命を共にしようとした光秀に対し、光安はこう語りかけました。

※明智光安役の西村まさ彦っぽく書いてみました。イメージしてください…

光秀よわしはこれから自害する。ここで一旦明智家が断絶する事になるかもしれんが、兄上(光綱)の遺言もあり、光秀の志もこれ終わらせることはできない。光秀もわしと共に自害しようと考えているようだが、落ち延びて明智の名家を再び立ててくれ。その際には、一緒に我が子・秀満を連れ一緒に明智家をたのむ…

明智光秀は、光安の言葉に従い秀満と共に明智城を脱出。西美濃に落ち諸国放浪をしたのち、朝倉義景に仕えるようになったとされています。

遺言をした光安は、光秀の脱出を見届け、城に火を放って自害しました。

 

光安の逸話は歴史にしては話が出来すぎている

麒麟がくるでも前半の重要な人物であろう、明智光安の生涯を書きましたが、これはすべて後世に編纂された二次史料に基づく内容です。光秀自体の出自や青年期の記述は信頼できず、光安に関しても実在の人かもわからないのが事実です。

 

実際に【明智城の戦い】のエピソードは、話がまとまりすぎていると言うのが世間の評価です。斎藤道三の血縁で裏切れない点や戦中の描写が事細かく記されている事、さらには明智家再興を託された光秀がそれを見事にやってのける点などが話として出来すぎではないかと思われます。

歴史が詳しい人なら、これは史実ではないと思います。しかし、話が美し過ぎるがゆえに麒麟がくるでもドラマ映えするのは間違いないと思います。私的には、映像として西村まさ彦が演じる明智光安の最後が楽しみになってきました。

 

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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