日本史での乱・変・役・戦・陣について
歴史を学んでいると色々な争いごとが時代の節目にありました。
日本史も例外ではなく、壬申の乱や本能寺の変、文永の役・関ケ原の合戦など様々な争いごとが起きています。
さて、タイトルにもあるように上記の4つの争いごとの違いに皆様はお気づきでしょうか?
日本史での争いごとには、○○の乱や○○の変などの色々な呼び方があります。
日本史での争いごとの呼び方
日本史上での戦闘や争いでは一般的に以下のように分類されています。
- 乱(らん)…失敗したクーデター
- 変(へん)…成功したクーデター
- 役(えき)…外国・辺境地での戦争
- 戦(たたかい)…日本国内での戦争(合戦)
- 陣(じん)…局地的な戦闘や城攻め
とはいうものの、厳密な区別はなくこの戦いはこう呼びなさいと言う明確なルールはないのも事実です。
上記でいうと、乱は失敗したクーデターの事を言いますが、飛鳥時代に起きた壬申の乱は、天武天皇が現政権に反乱し勝利した戦いです。クーデターを起こした側の天武天皇が勝利したのに【変】ではなく【乱】と言うのは違和感を覚えます。
乱と変の違い
様々なサイトを調べてみると、乱と言うのは【天皇などの時の権力者に対して反乱・内戦】を表すことが多く、変は【政治的な変革が伴う反乱・内戦】と言うのが一般的のようです。
本能寺の変により織田信長政権が倒され、政治的な変革があったので【変】と呼び、日本史に出てくる○○の乱では反乱側が鎮圧されたから【乱】と呼ばれ、クーデターの成功・失敗と言うのも間違いではない事が分かります。
しかし、例外もあり…
- 「壬申の乱」 → 反乱側(大海人皇子)の勝ち
- 「治承・寿永の乱」 → 反乱側(源氏)の勝ち
- 「禁門の変」 → 反乱側(長州藩)の負け
そのため、クーデターの失敗・成功の有無でくくるのはどうも無理があるように思えます。
乱と変の新しい区分
ある偉い学者さんが、反乱の失敗・成功ではない新しい分け方をし、それが通説になってきてます。その歴史学者さんは、乱と変を二種類に分けました。
乱とは?
国全体として勢力が分裂し、武力衝突が起きた争いを【乱】と区分します。
分裂して対立する構造は陰謀事件と被る部分がありますが、①は成功した場合に政治体制の変革が伴うかもしれないに対し、②は支配層の内部で起こった権力闘争であり、事件後の政治構造の改変が期待できないと言う点で区別されています。
①政治権力に対する武力による反乱・反逆
- 承平・天慶(じょへい・てんぎょう)の乱(=平将門や藤原純友らによる反乱)
- 保元・平治の乱
- 大塩平八郎の乱
②政治権力の収奪による内乱状態
応仁の乱のように、国全体で分裂し大規模な内乱状態の事を言い、一番わかりやす【乱】の一つとされています。
- 壬申の乱
- 承久の乱
- 応仁・文明の乱
変とは??
嘉吉の変に代表される争いでは、絶対的権威とする観念が基本にあり、そこに現れた【不当な凶変】として【変】が用いられたと考えられています。要するに【天皇や将軍たちに不幸な事件があったら【変】とつけようではないか?】と考えられています。
③時の権力者などが不当な立場に置かれた事件(暗殺・流刑など)
- 承久の変
- 正中の変
- 嘉吉の変
④政治上の対立による陰謀事件
先述した通り、その時の政治支配者たちによる権力闘争で、事件後に政治構造が変わる可能性が低い事件がこの区分になります。
- 承和の変
- 応天門の変
- 鹿ケ谷の変
以上の事から、もし成功したら体制がひっくりかえるかもしれないのが【乱】で、成功しても同じような体制が続く可能性があるのが【変】になると言えます。よって、起こった争いが持つ影響力違いが呼び方の違いを表し、実際にクーデター成功の有無は関係が無いと言う事になります。
「役」や「合戦」「陣」の呼び方
1051年からの「前九年の役」「後三年の役」は東北の豪族と源氏が長年にわたって戦闘を繰り広げていました。日本での【役】が付けられている戦争は他にも【西南の役】があり、他国との争いのほかに辺境の地域での争いに【役】が付けらているようです。
特に戦国時代が多い、【合戦】【○○戦い】は、ある地域に限定した戦闘行為の事を指します。連合で戦った場合、合戦と呼ばれる説もあるようですが、○○の戦いとの正確な住み分けはないようです。
また、『陣』は、大坂夏の陣・冬の陣のように、局地的な戦闘・城攻め等に用いられ、時の権力者の命で、その傘下の者たちが義務的に集まった争いで、本人たちの意思とは関係なく集められ、起こされた戦争と言う事になるそうです。
今回の記事を踏まえて日本史の勉強をしていけば、その争いごとが起こった背景などが頭に入りやすいかもしれません。しかし、歴史は日々研究されて解釈が変われば、読み方も変わるかもしれません。