色々な歴史

日本での戦争(争い)の移り変わり【日本の争いの歴史】

歴ブロ

f:id:miumaga:20171101211411j:plain

歴史を学んでいると、様々な争いごとを経て今があると言うのがわかります。

近代の戦争は、戦闘機や戦車でドンパチするものを連想します。しかし、昔の戦争は、単なる自己主張の場と言う意味合いもあり、【自分にはこれだけの味方がいる】と見せつける場でもあったようです。

では、そんな争いの規模はどのように変わっていったのでしょうか?

 

スポンサーリンク

日本は平和な国

日本は島国で、ほかの国と陸続きでなかった事で【平和】な国でした。

縄文・弥生期頃の日本では、争いと言う争いはあまり見られませんでした。日本列島は、海に囲まれていましたから、海の幸が豊富で、食べ物には困らなかったので、わざわざ人ものもを取るまでもなかったのです。

武器も人を殺めるためではなく、主に狩猟のためのものでした。

 

その頃、お隣の大陸では、秦の統一から滅亡、そして劉邦と項羽の激しい争いが繰り広げられていました。一方、ヨーロッパでは、ペルシャ戦争に100年以上続くポエニ戦争と日本がどれだけ平和だったかがうかがえます。

平和な【】の国が戦争らしい事が出てくるのは、飛鳥時代になってからです。

そもそも戦争と言うのは、【人間の欲】が生み出すものですから、欲深い人間が現れた証拠です。現在でも、ミサイルが…クリミヤ半島が…と相変わらずで、人間と言うのはなんと愚かな生き物なんでしょうか…

 

当時の戦は、まだ5000人規模の戦争と呼ぶには小さいものでした。

万単位の人が動くようになったのは、平安末期の武士の登場からと言われています。

一番多かったのは、源頼朝による奥州藤原氏討伐で、頼朝軍9万に対して、藤原軍17万人でした。倍以上の兵力差があるのにもかかわらず、奥州藤原氏側の訓練不足と、頼朝側の大将が源義経だったこともあり、奥州藤原氏は敗北して滅亡しました。

 

奥州藤原氏の最盛期を築いた藤原秀衡は源義経を養育していた 源義経とも深いかかわりがある奥州藤原氏の藤原秀衡。死の直前、3人の息子に義経の指示に従い鎌倉に備えよと遺言を残したほどでした。 ...

 

鎌倉時代の戦いの作法

この頃の戦は、あるルールにそって行われていました。

  1. まずは、軍使(使者)を互いに送り、合戦の日時、場所を決定します。この時の使者の安全は保障されていました。
  2. 当日、両軍が合いまみえ、準備が整ったら代表者が出てきて自ら名乗りを上げ、武勲や味方の正当性を解き、相手側の不義を上げます。これが終わったら、相手側も同じことをします。
  3. 矢じりに笛の付いた矢を放ち、自らの鼓舞と相手への威嚇を行います。※ここまでは儀式みたいなものだったようです。
  4. いざ実戦で、最初は矢戦と言い、互いに矢を打ち合うことから始まります。騎馬武者が敵に近づき矢を射ます。
  5. ここから、本格的な乱戦が始まります。良き好敵手に出会えば、一騎打ちを申し出て勝ったものは首を取り手柄とします。
  6. 戦闘終了。勝者は勝ちどきを上げます。

以上が当時の合戦のルールでした。

この手順を踏まなければ、武士の恥とされたようですが、すでに違反だらけだったようです。また、元寇の際に1~3の儀式を行ったら、元軍が笑い出したと言う逸話があります。まぁ、本当に勝ちに行くならそんなことしている間に攻め立てた方が合理的です。

 

武士はどのようにして生まれたのか?イラストを交えて解説!! 人類の歴史上、ほとんどの時代には身分制度がありました。 皇族や王族などの君主層、それを支えたり利用する貴族層とほとんどの割合を...

 

鉄砲の伝来で戦が様変わりする

この頃になると、戦への参加人数が増えていきます。鎌倉末期、天下無双の働きを見せた楠正成も、足利軍100万の兵の前にやられてしまいます。

室町時代最大の争いと言えば応仁乱ですが、東西10万人同士の争いに乱は長期化します。この頃までは、弓矢が主流でした。

ところが、ここで戦争の歴史上最大のターニングポイントが訪れます。

鉄砲の伝来です。

以前までの弓矢とは比べ物にならないほどの鉄砲の威力に戦の戦略が大幅に変わっていきます。1575年の長篠の戦は最もわかりやすく、当時最強とも言われた武田の騎馬隊が、信長軍の鉄砲の三段打ちによりなすすべもなく壊滅したとされています。

※三段撃ちには諸説あるようで、実際には鉄砲の音により馬が機能しなくなったと言う説もあるようです。

 

日本での鉄砲伝来は、いつ誰が何の目的であったのか? 鉄砲が伝来する以前の日本の戦(いくさ)は、槍や弓などで相手を倒すのが一般的でしたし、一説によると一騎打ちが基本とも言われています。 ...

 

幕末期になると、銃が一般化して行き、明治時代には戦争において標準装備となりました。攻撃のメインがチャンバラのような格闘から射撃に移り変わります。

また、第一次大戦で、戦争の悲惨さを味わったはずなのに、その後わずか10年で第2次大戦が勃発してしまいます。特に日本は、第二次大戦では本格的な当事者国となります。

この2つの世界大戦がこれまでの戦争と違うのが、戦車、飛行機、毒ガスなどと言った大量殺りく兵器が本格的に登場したことにあります。これまでの武器は、刀に代表されるように、【芸術品】としての価値もありましたが、この兵器たちは純粋に【人を殺すため】に作られました。

その結果、第一次大戦では2000万人、第二次大戦では4000万人以上の犠牲者を出す結果になったのです。

第二次大戦後も、ベトナム戦争、イラク戦争や各地の民族紛争など、今でも各地で戦争が続いている国が存在します。

 

私たちの日本でも、2017年9月15日に上空を北朝鮮の発射したミサイルが通過しました。ミサイルは、太平洋上に落ちて事なき得ましたが、この時、戦争と言うものが身近になった瞬間だったと感じました。

先の選挙で、自民党が圧勝して憲法9条と自衛隊について本格的に議論していくと思いますが、私たちもメディアに踊らされることのなく、キチンとした情報を得て真剣に日本の防衛について考えなければいけないのかもしれません。

 

世界恐慌から第二次世界大戦へ 1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、【終戦】を迎えて70年以上の月日が流れました。 現在、我が国では安倍政権の下...

 

スポンサーリンク
ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
記事URLをコピーしました