株式会社の歴史
世界恐慌は世界史・日本史においても一大転機となった出来事でした。
記事にするには少し遅れましたが、今現在の21世紀においてもアメリカの失業率が一週間で328万人となってしまい、世界恐慌に匹敵するほどの雇用状況だというニュースが出てきています。過去の出来事だけではなくなっているわけです。
そんな状況のため、急遽世界恐慌の歴史について調べていく予定でいたのですが、当ブログは「分かりやすい」をモットーにしているブログ。まずは株式会社から調べていこうと思います。
そもそも会社とは??
会社の定義としては
会社とは -コトバンクー より
会社法により設立された,営利を目的とする社団法人。資本の結合,労力の補充,危険の分散をはかることを目的として発達した制度。
と言われています。
『利益を追求する』という目的を持ち、『法律によって権利や義務を認められた組織』を会社と定義しているようです。
現在の日本には会社を作ったり運営したりする際に必要なルールを決めた会社法という法律があります。この会社法によって現在の日本での『会社』は、出資者(財産を提供した人)の呼び方や責任の重さの違いによって
- 株式会社
- 合名会社
- 合資会社
- 合同会社
の4つに分類されています。
国や時代によって会社の分類は異なっており、今の30代以上は聞いたことがあるであろう『有限会社』なんかは消えてしまった形態の会社の一つです。
今回は歴史に絡んだ『会社』を学びたいので株式会社だけに焦点を当てていきますが、とりあえず今の段階では
会社には(現在の日本では)4つの種類に分けられていて、その中の一つに『株式会社』という形態の会社があるよ
程度の認識して置いてもらえれば…と思います。
株式会社とは?
またしても株式会社の定義から。お馴染みのコトバンクから引っ張ってきています。
株式を発行して投資家から資金を調達し、その代金で事業活動を行なう会社のこと。株式を公開していれば、株式を購入することで誰でも出資者(株主)になれる。 事業が成功して利益が上がれば、株価の上昇で株主の利益が増え、株数に応じて配当金や株主優待を受け取ることもできる。半面、事業がうまくいかなければ配当金は無く、株価も下がる。
コトバンク 株式会社(かぶしきがいしゃ)とは より
文字だけだと分かりにくいので図式化してみると
こんな感じです。
投資家(個人・法人)が資金を出資し、その集めた資金を使って
- 人を雇う
- 機械の導入
- システムの導入
などをして、様々な物を作り出したりサービスを行います。そういったモノ作りやサービスで得た利益は
- 実際に会社で働いている人に給与として支払う
- 自社の利益になりそうな会社へ出資する
- 企業価値を高める・いざという時のため溜めておく
などに回して会社を運営していきます。
もちろん投資する側もお金だけ出すわけではありません。様々な権利を得ることができます。
そんな『出資することで獲られる権利』や『権利を持ってますよ』という地位を表すもののことを株式と呼んでおり、そういった株式を持っている者のことを『株主』と呼んでいます。
株式会社の事業が上手くいけばお礼として『配当金』や『株主優待』を得ることができます。逆に事業が上手くいかなければ、配当金も得られないし、最悪なケースだと株式がパーになってしまいますよ。
・・・というのが、最初の定義で言っていることになります。
なお、株式会社が投資家へ渡している『株式』ですが、以前は『株券』を発行し投資家に渡されていました。人生ゲームで出てくるアレです。
が、電子化の流れを受け現在は基本的に紙の株券は不発行とされています。
この株券を含め、お金の貸し借りの際に発行される債券(借用証書)などを含めて証券と呼んでいます。この証券という言葉は世界恐慌を学ぶ上で欠かせない言葉なので頭の片隅に置いといてください。
財産法上の権利・義務に関する記載のされた紙片。有価証券と証拠証券とがある。
コトバンク 証券(しょうけん)とは より
配当金と株主優待って?
『配当金』は、読んで字のごとくお金が還元されます。
『株主優待』はそれぞれの会社によって異なりますが、例えば『サツドラホールディングス』の場合だと16万7100円以上で
自社子会社店舗での買い物が5%割引になる株主優待カードと、500円分のサツドラ商品券3枚、または1,500円相当の北海道名産品
優待マニアが選んだ!5月のお宝優待株 より
がもらえたり、『東武住販』の場合は8万円以上で
1,000円相当の自社営業地域関連食品
優待マニアが選んだ!5月のお宝優待株 より
が貰えたりします。個人投資家の中には、こういった株主優待を参考に投資する人もいるようです。
株式会社における一番力を持っている人は??
事業を行い、利益を得るには元手(お金)が必要です。株式会社において資金を持ってくる『株主』はなくてはならない存在。いわゆる会社のオーナーです。当然、会社の経営に参加することになります。
株式会社は資産を提供するオーナーと実際に事業を行う社員が別々で、実際に事業を執り行わない株主も『経営を決定づける議決権を持つ』ことができます。株を多く持っている人達の発言力が強まるという仕組みです。
株式会社の歴史を見てみよう
先程までは今現在の株式会社について取り上げましたが、いよいよ過去の株式会社について探っていくことにしましょう。
最初に出来た株式会社とは?
世界で最初に出来た株式会社は1602年にオランダで誕生した東インド会社です。日本史にも出てくる出島で貿易していた会社なので名前は聞いたことがあるかもしれません。
当時のヨーロッパを200年程遡ってみると、ペストの治療で香辛料の需要が増加。ペストに加えて寒冷化も重なり(←長期保存できる食糧の需要が高まったことでしょう)停滞の時期を乗り越えると徐々に力をつけはじめます。
ところが、現トルコの辺りにある非常に大きな国・オスマン帝国がありました。ヨーロッパで需要の高まっていた香辛料は中間マージンが取られて高い金額を払わなければ手に入れられません。そのため、ヨーロッパは香辛料など直接貿易をができるよう膨張傾向に。こうして15世紀半ばには大航海時代に突入しました。
さらにペストによりヨーロッパ全体で4分の1まで人口が激減したことで死生観が変化、宗教の違いも出てきたことで当時スペインの属国だったオランダが1581年に独立。地理的な条件もあり、オランダは商業を重視するようになっていました。
航海するには長期間の食糧の保存が必要。長期間食糧を保存するには香辛料が必要…ということでヨーロッパでは香辛料の需要が高かったのですが、
船の費用に多くの船乗り、大量の食糧に酒。大型船では鶏や牛、ヤギといった家畜も積み込んでいました。当然かなりの費用が掛かるので、航海のたびに出資を募り航海後に貿易で得た利益を分配するという方法が確立します。
もちろん航海に危険はつきもの。当時は食糧の保存技術がしっかりしておらず、船乗りたちはビタミン不足の壊血病と隣り合わせだった他、略奪や沈没などのリスクも伴います。
現在の株の売買でもリスクは付き纏いますが、それ以上にハイリスクハイリターンの航海だったのです。
そんな危険な航海に何度も出資しようとする人も出来る人も少なくなってしまいます。そこで出てきたのが航海の度に…という形ではなく
「何度か行った航海で得られた利益を分配する形にすれば、リスクが減るだろう」
という感じの出資を募る考え方でした。この方法を最初に取り入れたのがオランダ東インド会社です。貿易会社を作り、数回の航海で得た利益を出資者に還元するローリスクローリターンの方法へ変更させていきます。
これが現在へと続く株式会社のはじまりですが、全くのゼロから出たアイディアではありません。次は出資を募る方法がどう生まれたのかを見ていきましょう。
お金を集める方法と証券はいつ考え出されたの?
もっとも古くお金を募る方法を始めたのは12世紀のイタリア。12世紀頃のイタリアは色々あって戦乱の続いた時代でもありました。そこで戦費調達のため、市民から借り入れを始めます。その際に発行された債券が証券のはじまりと言われています。
この戦費調達のための国債(国による借金の為の債券)の発行が進むにつれて、頻繁に債券の取引きを行う場所が必要になってきました。
こうして1531年にできたのが世界初の証券取引所。ベルギーのアントワープ証券取引所です。
この証券取引所の成功を機にヨーロッパを中心にどんどん証券取引所が設立されていきます。東インド会社のあるオランダでもアムステルダム証券取引所が開かれ、株券(に加えて債権も)の売買が始まるようになりました。
証券が取引された中心街の変遷を見てみよう
やがて18世紀半ばになると産業革命がおこり、機械化が進むとその機械導入のためなどに多くの資金が必要となります。株式会社の形態が最も適していたのです。
が、最も早く産業革命を起こしたイギリスは、産業革命以前の18世紀前半にバブルをはじけさせて痛い目を見て(南海泡沫事件)いたため、19世紀まで特例を除き株式投資は法律で禁止されておりました。ということで繊維産業のような比較的費用の掛からない産業が発展することになったのです。
実際に株式会社が多く普及したのはドイツ。ドイツは産業革命後発国な上に植民地を持たざる国でしたから、ニッチな産業に投資する必要性と効率化が優先されたのでしょう。19世紀後半に重きが置かれるようになった重化学工業の発展に寄与することになります。
それでも早い段階での産業革命、植民地支配による富の蓄積は無視できませんでした。オランダの商業・金融上のノウハウもイギリスは取り入れていたとも言われています。こうして証券取引所の中心地は、アムステルダムからイギリスのロンドンへと移行していったのです。
その後、時を経てアメリカ・ニューヨークのウォール街にあるニューヨーク証券取引所(1817年設立)やNASDAQ(ナスダック、1971年設立)といった株式市場が躍進。2大証券取引所となって現在に至っています。
その他、近年はヨーロッパで国境を越えて統合した証券取引所・ユーロネクスト、上海・深セン、香港、日本といった東アジアにある証券取引所の時価総額も存在感を増してきていました。
ちなみに日本における一番最初に生まれた株式会社は明治6年の『第一国立銀行』だとされています。創業者は渋沢栄一です。渋沢栄一に関しては下の記事に書かれてありますので、気になる方はあわせてご覧ください。