イタリア

商業の発展と封建社会の衰退【西ヨーロッパ】

歴ブロ

十字軍の遠征によって西ヨーロッパ世界では大きな変化が訪れました。それがタイトルにもなっている商業の発展封建社会の衰退です。10~11世紀頃に封建社会が安定し、荘園内の生産が増大したことで人口が急速に増えると開墾や移住する人が増えました。各地に定期市が開かれ、商業の促進が見られるようになったのです。

今回は商業の発展と封建社会に焦点をあてて詳しくまとめてみます。

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商業の発達と都市の自治の獲得

上のような経緯とイスラム王朝とビザンツ帝国の争いなどが絡んで、十字軍遠征となった訳ですが...

遠征には武器食糧が必要になりますから、諸国の技術も発展し農業生産力も底上げされました。さらに、遠征の途中で寄った町で物資を手に入れる十字軍参加者もいて、物やお金が大きく動き始めます。

その様な動きの中で、商人たちの中には安全で交通の便の良い場所に商人の集落(=ヴィク)を形成する者達が出ててました。このヴィクが周辺の荘園内にいる手工業者なども吸収しつつ発展。ヴィクは都市の外側にあることが多かったのですが、次第に統合し、力を持つようになりました。

ロンバルディア同盟とハンザ同盟

多くの都市が十字軍遠征による恩恵を受けていましたが、中でもイタリア諸都市...特に北イタリアが最も利益を得たと言われています。

十字軍の物資や人の輸送の際に立ち寄ったり実際に物資を提供したりする都市となっていたためです。その中でもヴェネツィア商人は十字軍の遠征にも関わって商業的利益を獲得していました。

この十字軍遠征が行われていたのと似たような時期に、神聖ローマ帝国が名前の通りローマを手に入れようとする政策を行っており、抵抗するために北イタリアの北部の都市ではロンバルディア同盟と呼ばれる都市同盟が結ばれています。

ロンバルディア同盟対神聖ローマへの軍事同盟が始まりでしたが、商業活動が活発になってきた時期に結ばれた同盟だけあって、経済的な結びつきも強くなっていきます。この同盟にはヴェネツィア・ジェノヴァといった港町も含まれていました。

イタリアの港町と言えば… 地中海貿易です。

イタリアの一部はムスリムと共存している地域もあるほど密接で、第4回十字軍に参加した時にはイスラム勢力とは戦わず、自分達の利益になるビザンツ帝国に攻め込んでいます。元々ビザンツ商人とライバル関係にあったイタリアは商売を優位に進めるように。

東の地域とも引き続き貿易を続けて、アジアの香辛料や絹などの交易で栄えました【東方貿易(レヴァント貿易)】。香辛料や絹織物は価格差の大きな商品で、かなりの利益を上げていたようです。

それに伴って内陸部のミラノフィレンツェでも毛織物や金融で栄えるようになっていきます。

ヨーロッパの商圏

ヨーロッパの商圏を見ていくと、もう一つ北ヨーロッパ商業圏と呼ばれる商圏を作っています。北ヨーロッパ商業圏の中心はハンザ同盟という都市同盟。このハンザ同盟は14世紀頃に全盛期を迎え、武力を持った政治勢力としても存在感を表すようになっています。

ロンバルティア同盟ハンザ同盟はドイツ中央部の都市を介した交流を行うなど、それぞれが仕入れた物資や十字軍に必要な物資のやり取りが盛んになっていったそうです。

Q
ハンザ同盟で主要な都市
  • 北ドイツ:リューベック、ハンブルク、ブレーメン
  • フランドル地方:アントウェルペン、ブリュージュ、ガン
  • イングランド:ロンドン、ブリストル

などが挙げられ、これらの都市間では木材・海産物・塩・毛皮・穀物・鉄・毛織物といった商品のやり取りがなされるようになりました。

こういった地中海貿易北ヨーロッパ商業圏で行われていた貿易など、遠方と行っていた交易をまとめて遠隔地貿易と呼んでいます。

一方、商品そのもののやり取りだけでなく交通の要所も栄えるようになっています。この交通の要所と知られているのがフランスのシャンパーニュ地方です。

※ワインの一種シャンパンの名前の由来となった地方の名前です

こうして、どんどん都市は発展。農奴たちも封建領主(諸侯・騎士・教会)による庇護・支配から自由と自治を求め始めるようになり、実際に受け入れる土壌が出来上がっていきます。

封建社会の崩壊

都市が自治権を獲得していく裏で封建社会はどんどん崩壊していきました。成立したばかりの都市は近くの封建領主の保護を受けることもあったのですが、経済力を付けて行くに従い都市と封建領主の力関係は変化していきます。

封建領主に起こっていた力関係の変化とは?

中世ヨーロッパのにおける封建領主教会・皇帝・国王・諸侯・騎士などの有力者たちです。この封建領主たちの力関係が十字軍遠征を通して明らかに変化しています。

  • 教会
     十字軍言い出しっぺのため、失敗に終わって発言力が低下した
  • 皇帝/国王
     十字軍遠征の資金調達制度を作り上げられる立場だったため、地位向上
  • 諸侯/騎士
     領地を留守にすることが増えて荘園内での影響力が低下
     遠征先では国王指揮下に入ることを余儀なくされた結果、その地位は低下

これらの地位の変化に加えて貨幣経済が浸透して社会が変化した結果、領地から作物を徴収するよりも貨幣を徴収する方が理に適うようになっていきます。

遠征するため自前で武器等を調達する際に貨幣が必要になったのです。

こうして領主直営地を経営させるより土地を農民に貸し出して地代を貨幣で貰う方向に変化していきます。

都市と封建領主の関係はどう変化したの?

貨幣経済が浸透し、戦費が嵩んでいった領主にとって課税や関税収入を得るための重要な財源でもあった都市は無碍にも出来ない存在となっていきました。基本的には

  • 市場権
  • 貨幣鋳造権
  • 居住権
  • 交易権

などの諸権利を買収し、特許状を得るという形で都市が自治権を獲得していきます。13世紀に入ると、西ヨーロッパ各地で独自の都市法裁判所を持つ自治都市が形成され、従来の貴族・聖職者・農民以外に新たな市民身分が成立しました。

自治都市は周囲が城壁で囲まれ、その中で市民たちが封建的束縛から逃れるようになっていったのです。 が、中には違う形で自治権を得ていった都市もあります。特に、現在のフランス・ドイツ・イタリアの辺りの自治権の獲得の仕方が他のヨーロッパとは異なる経緯だったようですね。

フランスの場合

フランスで起こったのが11世紀後半から1世紀ほど続いたコンミューン運動(コミューン運動とも)

ライン川とセーヌ川の間の辺りの地域で続発。領主を除く都市市民全員が互いに誓約しあって相互防衛と相互扶助のために団結し、共同体を作り合い、戦って自治権を獲得していきます。

この頃は、そこまで強力な中央集権的な政治権力がなかったために、こういった運動が広まったようです。

ドイツの場合

当時の神聖ローマ帝国ですね。ドイツではイタリア政策でトップが留守にすることが多く、諸侯が力をつけている状況下だったことが都市開発にも大きく影響しています。

12世紀後半~13世紀にかけて、新たに開発された地方(西南ドイツ~スイスにあたる地域)を中心に諸侯が積極的に関わって都市を建設するケースがありました。最初から自治を認めることで大商人を集め、経済的繁栄をはかろうとしたのです。

こうして、どんどん力をつけて領邦(半独立の国家のようなもの)を形成していった諸侯の力を抑えたい皇帝が都市に特許状を出して自治権を与えるケースも出てきます。

諸侯の力が強いドイツならではの自治権の獲得方法で、こういった都市は帝国都市と呼ばれました。ということで、自治権をめぐる闘争は起こっていません。帝国都市は王領地の多い南ドイツを中心に成立。彼らは皇帝に貢納・軍役の義務を負っています。

そしてドイツの場合はもう一つ、かつての司教都市が成長してできた自由都市と呼ばれるほぼ完全な自治権を持った都市も登場しています。この自由都市はやがて帝国都市との区別が曖昧になり「帝国自由都市」として一括された扱いになっていきました。

イタリアの場合

イタリア王であったカロリング家が断絶して以降、統一的権力が欠如していたイタリア。教皇領のあるローマ教会の本場だけあって、司教が中心として都市住民の団結力が強まっていきました。

Q
カロリング家とは??

カロリング家はフランク王国の王を輩出した一族です。カロリング家出身のカール大帝(在位768-814)がフランク王国の最盛期を築きながらも、分割相続の慣習があった上に相続争いが重なって3つに分裂します。

フランク王国の分離

そのうちの一つがイタリア含む中部フランク王国でしたが、元々人為的に分けられたこともあって維持できず、更にロタール一世の息子達で分割。東フランク王国・イタリア王国・西ローマ帝国に割譲されました。

カロリン家の家系図

割譲された後、それぞれの国でカロリング家は断絶することに。イタリア王は最も早い段階で断絶しています。

ところが、12世紀に入ると教会の求心力が低下したこともあって、イタリアの諸都市では領主である司教権力を倒して自治都市【コムーネ】を作り出していきます。周辺の農村も併合、一種の都市国家のような強い独立性を持った都市となっています。

ヴェネツィア・ミラノ・フィレンツェ・ジェノヴァなど北~中部イタリアに200を超えるほどのコムーネがあったと言われています。

都市の自治と市民たち

各々自治権を獲得した都市は、独自の行政組織を持ちながら自治にあたることになりました。その自治運営の基礎となる組織ギルドと呼ばれる同業組合です。

自治都市が実際に行政を運営するようになって最初に市政を牛耳ったのは、遠隔地貿易に従事する大商人を中心とした商人ギルドでした。これらの少数の大商人たちが都市貴族を形成し、14~15世紀には中産階級を抑えて寡頭政治を行っていきます。

寡頭政治(読み)かとうせいじ

〘名〙 共和政治の一つ。少数者が国家の最高機関を組織して行なう独裁的な政治。〔哲学字彙(1881)〕

コトバンク『寡頭政治とは』より

これに不満を持ったのが、手工業者が職種別に作って分離した同職ギルド(ツンフト)です。商人ギルドと争いながら市政への参加を実現させていきます。これをツンフト闘争と呼んでいます。

同職ギルドは厳格な身分秩序があり、職人や徒弟を指導・労働させていた親方のみが組合員となれました。細かい規制があり、これによって不安定な手工業者の経済的地位を安定させましたが、同時に新しい自由な発展を妨げる一因にもなっていったようです。

次第に自治都市の中で上層市民が形成されていき、アウクスブルク(ドイツ)フッガー家やフィレンツェ(イタリア)メディチ家のように皇帝やローマ教会に影響を与える程の大富豪も現れるようになっていきました。

封建社会が衰退した決定的要因とは?

封建社会や都市の変化の中で、農民達の中にも貨幣を蓄え始める者が出てきてます。多額の解放金(人頭税、結婚税、死亡税など)を支払える者が生まれ、荘園から出て自由になる者が現われ始めたのです。14~15世紀には更に促進されていったと言います。

一方で14世紀以降には、ヨーロッパの気候が寒冷化して食糧生産量と人口増加のバランスが崩れます。多くの者が慢性的な栄養失調状態に陥りました。

そんな中で百年戦争(フランスなどvs.イングランドなど)バラ戦争(イングランドの内乱、フランス北部も戦場になった)と相次いで戦が勃発、さらにペスト(黒死病)の大流行が重なります。これらの出来事は封建社会を衰退させる大きな要因になりました。

※ペストは寒い環境の方が広がりやすく、栄養状態の悪い者が多くいたことが大流行を後押ししたと思われます。『黒死病の猛威、その謎にせまる 研究(別サイト)』より

荘園内の変化とは…?

農村人口の減少が深刻となり、荘園内でも農業労働不足が顕著になりました。そこで労働不足を解消するため、農村にずっといてもらえるように領主がしたことが

  • 地代を軽減
  • 農民の土地保有権の強化(保有してる土地を売買しても貸借してもok)

など。とにかく農民の待遇改善させようという方向に向かいます。

この動きは「封建制(領主制)の危機」と呼ばれます。

イギリスの場合、農民たちの中から少額の地代を納める程度の負担のみを行う独立自営農民(ヨーマン)が出てきます。領主はほぼ地主のような存在となっていきました。

もちろん、その動きを歓迎する領主だけではありません。経済的に困窮した領主たちが再び農民に目をつけ、束縛を強めようとします(封建反動)

この領主たちの動きに当然農民達は反発(ジャックリーの乱ワット=タイラーの乱など)。一揆はすぐに鎮圧されましたが、封建反動は領主の思っているようには上手くいかず領主が更に困窮するようになりました。

また、封建性が崩れる際に、最も影響を受けたのが小さな領主が多い騎士層でした。騎士たちにとって更に悪いことが続いていたのです。封建社会が崩壊している時期に、戦いでの戦術が火砲の発明により大きく変化。戦の花形で騎士の名を高める一騎討ちが廃れ、さらに名声や地位を没落させていく事態に陥りました。

都市の市民たちが求めたものとは・・・?

ちょうど荘園制が崩壊し始めていた頃。商業圏が拡大し始めていた都市の住民達は、

市場を統一して欲しいと考えるようになっていました。いわゆる中央集権的な政治権力の出現を希望するようになります。

領主が農民を抑えようとすれば自由に動ける人が減るわけですから、都市部の商人にとっては荘園領主たちは都合の悪い存在でもあった訳です。

そして、荘園領主たちの力を抑え込みたい勢力として思い浮かぶのが皇帝国王たち。

両者が協力して諸侯を抑え、諸侯や騎士たちは国王の宮廷に仕える存在となっていきました。

こうして封建社会は完全に崩壊していき、各国それぞれの近代的な中央集権国家の道を歩み始めることとなったのです。

※神聖ローマ帝国の場合、皇帝は諸侯を抑え込みたかったのに諸侯が勝るようになっています(『ドイツ各国史』参照)。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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