麒麟がくるで身分の高い女性はなぜ立て膝なのか?
大河ドラマ『麒麟がくる』を見ていると、身分の高い女性が立て膝で座っているのを見かけます。最初に見かけたのは、光秀の母・お牧役の石川さゆりで、足が悪くて立て膝で座っているのかな?と思っていましたが、帰蝶役の川口春奈や信長の母・土田御前も同じように座っています。
いままで時代劇であまり立て膝で座っている描写を見かけるのが無かったので、今日は戦国時代の女性の座り方を調べてみました。
戦国時代の女性は立て膝が当たり前だった!?
古来より、日本も含めインドから東アジア地域では床に座るの習慣がありました。
男性なら【あぐら】が普通で女性は片方の膝を立てる【立て膝】が多く、中にはあぐらをかいていた人もいたとか。インドや中国・朝鮮半島と日本のアジア地域では女性は立膝が最もポピュラーな座り方だったのです。
仏像にも時々立て膝の菩薩があります。
インドでも男性が立て膝で座ることがありますが、中国は騎馬民族・胡族の影響で椅子の文化が浸透し、立て膝はしだいに廃れていきました。
東アジアに限らず、世界各地で正座の習慣は古くからありました。
正座はもともと神への祈りの姿勢で、そこから身分の高い人の前で座る時の姿勢として浸透していきました。謝罪の時、罪人の座り方も膝を折り正座をしています。
それは、日本も同じでしたが、戦国時代の特に身分の高い人たちは正座で座る機会自体少なかったと言えます。
その家の主の女性は、夫や子供達、家臣、侍女の前では立膝で座ります。
だから、光秀の母・お牧は、明智光秀や光安の前では立膝で座っており、君主の娘である帰蝶の前では正座で出迎えていたのです。信長の母・土田御前も信秀の側で座っている時は、立膝でしたね。
一方で、身分が高くない駒は誰の前でも正座で、かつ年が若いので立膝で座っている事はありませんでした。
何事も例外はあるもので、城の侍女たちが君主の命令を聞いている時は、立膝で待機している時があります。これは、すぐに動けるようにするためで、武家では何かあるとすぐに動けないと困る場面が多かったので、武家では正座はあまり広まりませんでした。
近年では、女性の立膝は韓国時代劇くらいしか見かけなかったので、麒麟がくるでの立膝の描写があると日本の時代劇なのになぜ韓国風の座り方をしていると批判がネット上であったようです。
歴史に精通している人なら、立膝は当たり前だったのですが、私も含め他の人にとっては違和感があったかもしれません。ブログを書いていると私でさえこの記事を書くまで分かりませんでした。
江戸時代に立膝は無くなった…
江戸時代になると、幕府は儒教(朱子学)を推奨し、武士階級にそれが広がり、江戸時代後期には、儒教は庶民にも広がっていきます。
江戸時代に広まった儒教は、上下関係の徹底や攘夷の思想が強いのが特徴で、武士と町人の身分、君主と家臣の身分をハッキリとさせるために儒教は都合が良かったのかもしれません。
「現代の人々は儒教を習っていないか」と思いますが、多くの日本人の『礼儀・道徳・価値観』は、儒教の影響が大きいとされています。でもそれだけなら、儒教国すべての女性が正座をしていることになりますが、日本以上に儒教色が強い朝鮮半島は身分が低い人は男女に関係なく正座でした。特に支配階級ではこの傾向は強いとか…
現代の韓国では、身分制度が無くなったので、多くの女性が立膝で座ります。
今となっては正座が正しいし姿勢としているのは日本だけなんです。
と言う事は、立膝が絶滅したのは儒教だけが原因ではないのです。
日本で、正座が広まった理由としては【畳】と【茶道】が関係あります。
畳と茶道の普及
畳が普及し始めたのは、江戸時代で戦国時代は板の間が当たり前でした。
その板の間で正座をするのはそれこそ拷問で、戦国時代までは立膝が主流でした。
畳の部屋と言うのは、室町時代の書院造で確立されました。しかし、当時は高価なもので中々普及しませんでした。それが江戸時代になると、武家に書院造が普及し、平民でも富裕層の家にも畳が広まりました。
また、茶道や華道の普及も正座が広まる要因となりました。
元は茶道が広まった事により畳が普及しました。茶道では、畳の部屋で正座をします。そのため、必然的に畳の需要が高くなりました。
さらに、華道や書道などの様々な習い事で正座を採用し、きれいな姿勢を大切にする文化と畳の普及が正座が広まる理由となりました。
最後に
同じ儒教が普及して正座が広まらなかった朝鮮半島は、畳の普及がせず、華道や茶道のような姿勢を大切にする習い事がなっかったので、立膝がポピュラーになりました。
つまり、儒教の教えと文化の発展の仕方によって座り方の普及が変わっていったのです。
律儀な日本人が礼儀作法を大切にし様々な場面で正座を普及させ、今ではそれ自体が作法となりました。今では、正座が美しい姿勢とされていので、麒麟がくるでの立膝は違和感があるかもしれませんが、戦国時代には立膝は普通にあり現代の日本とは違う文化や習慣があった証拠です。