サンフランシスコ平和条約の調印と連合国による占領政策の終了
平和条約とは、戦争状態にある交戦国間での戦争を終了させる目的で結ばれる条約で、戦後の両国間の政治的・定在的な条件や領土、立場、賠償などについても話し合います。
今回は、その平和条約の中でも日本に最も関り深いサンフランシスコ平和条約について書いていきたいと思います。ついでに、同時締結された日米安全保障条約について紹介していきたいと思います。
サンフランシスコ平和条約とは?
1951年(昭和26年)に日本とアメリカとの間で結ばれた講和条約の事を指し、サンフランシスコ条約、サンフランシスコ講和条約とも呼ばれる事もあります。
9月8日にアメリカのサンフランシスコにて第二次世界大戦の講和会議が開かれた際に、当時の首相・吉田茂が世界49カ国との間に平和条約を調印しました。
世界49カ国とは、日本と第二次世界大戦で戦った国々を指します。
この講和条約以降に連合国軍によって占領されていた日本は独立国となりました。
サンフランシスコ平和条約の背景・目的
この平和条約締結には、この時アメリカとソ連が冷戦状態にあったことが背景にあります。
この時代は、アメリカとソ連が直接戦争をしていないながらも、代理戦争を繰り広げ世界中が緊迫した状態が続いていました。特に、第二次世界大戦終結後は東アジア地域で共産主義が広まっていました。
東アジアでの共産主義の広まりを恐れアメリカは、日本との友好を保つことが得策であると考え、平和条約を締結する事を考えました。独立国として国際社会への復帰を悲願としていた日本にとって、サンフランシスコ平和条約の締結は願ってもない事でした。
サンフランシスコ平和条約の内容
条約の内容は主に以下の3つが決められました。
- 日本の主権の回復について(日米安全保障条約)
- 賠償金について
- 領土問題について
日米安全保障条約
サンフランシスコ平和条約と同時に締結されたのが日米安全保障条約で、現在でも自衛隊や憲法第9条について論じる時によく耳にする「日米安保」の事を指します。
サンフランシスコ平和条約締結により、アメリカの占領下であった日本は独立国となり、国際社会に復帰しますが、日米安保の規定ではアメリカが完全に日本から米軍を撤退するという事にはなりません。そのため、未だに大きな問題として米軍基地が集中している沖縄ではその是非が議論され続けています。
日米安全保障条約の内容は、日本の内戦には干渉しても日本が他国に攻撃された時に日本を必ず守るという取り決めが明確化されていません。それでも、当時の吉田茂首相は、米軍に国防の一端を担ってもらうと言う意味でメリットがあると考えたようです。
また、軍事を押さることで高度経済成長に加速をつけるという吉田茂の国家戦略でもあったのです。
戦後の国家賠償金
戦後の賠償(国家賠償)については、日本に占領された国はそれぞれに日本に賠償請求できる権利を有しましたが、実際にその権利を履行したのはフィリピンとベトナムだけでした。
戦後の領土問題
サンフランシスコ条約での北方領土、尖閣諸島、竹島の領土の見解と日本と対峙している国との間の問題点は以下のとおりです。
北方領土
サンフランシスコ条約では、日本は千島列島と南樺太を放棄しています。
しかし、放棄した千島列島には日本の領土とした北方四島(歯舞、色丹、国後、択捉)が含まれていません。しかし、サンフランシスコ条約にソ連は調印をしていないので、日本はサンフランシスコ条約上の権利を主張することができないのです。
現在まで日本とソ連(ロシア)の間で平和条約を結ぶ交渉が続いているのですが、実現していないため、北方領土をめぐる問題も解決に至っていないのです。
尖閣諸島
尖閣諸島はこの平和条約によって沖縄と共に日本の領土として管理下に置かれています。沖縄が本土復帰を果たした際に沖縄県間協定によって返還された地域に尖閣諸島も含まれています。そのため、昔から尖閣諸島は日本固有の領土であるとしています。
しかし、サンフランシスコ平和条約が締結会議自体に呼ばれなかった中華人民共和国は条約の解釈に縛られないという立場をとっています。これには、石油資源豊かな海域にある尖閣諸島を自国の領土であると主張しているため、日本との間に領土問題が生じています。
竹島問題
サンフランシスコ平和条約の策定段階において、韓国は日本が竹島を放棄するように求めていましたが、これにはアメリカが拒否。サンフランシスコ平和条約において竹島は日本の領土であるということが確認されています。
しかし、1952年に韓国の大統領であった李承晩が【海洋主権宣言】を行い、竹島を含む海域を一方的に韓国の領海に含めた【李承晩ライン】を設定しました。現在では、韓国側が竹島に自国の駐留部隊を上陸させ、日本の海上保安庁の巡視船を銃撃するなどの出来事が起きておりこの李承晩ラインによって韓国が不法占拠しているという事態となっています。
サンフランシスコ平和条約に調印しなかった国々
冒頭で、世界49か国との間でサンフランシスコ平和条約で調印したと書きましたが、講和会議に出席したものの条約に調印しなかった国もあります。
それが、会議には出席したが調印しなかったのがソ連、チェコスロバキア、ポーランドで、会議自体に参加しなかったインド、ミャンマー、ユーゴスラビアでした。そもそも会議に呼ばれなかった中華人民共和国、中華民国(台湾、台湾周囲の島)、大韓民国でした。
これらの国とは、後に個別で平和条約を結んでいくことになり、インドとは日印平和条約を1952年に締結しています。現在、ソ連(ロシア)とは、国交は回復していますが、領土問題の合意には現在も至らず、令和の世の中でも平和条約はお互いに結ばれていません。
中国とは、1972年(昭和47年)9月29日、日中共同声明に合意し国交を正常化させました。またお隣の韓国は、先述した通りサンフランシスコ平和条約発効直後に突如として李承晩ラインの宣言を行い竹島に韓国軍が侵略はじめました。
その後、1965年(昭和40年)の日韓基本条約の締結において国交を結びましたが、竹島問題は現在も日韓でのたびたび外交問題となっており、実効支配が続いているのは皆さんの承知の通りです。