イギリスの自由主義的改革とは?選挙法改正・チャーティスト運動・穀物法廃止をわかりやすく解説
前回までの記事では、フランスで七月革命や二月革命が起こり、王政や共和政をめぐって政治体制が大きく変化したことを見てきました。
一方、同じ19世紀のイギリスでは、フランスのように王政が倒れる大規模な革命ではなく、議会を通じた改革が進められていきます。
もちろん、イギリス社会に問題がなかったわけではありません。産業革命によって社会は大きく変化し、工業都市や産業資本家、労働者の存在感が高まっていました。しかし、政治制度や経済政策には、古い時代の仕組みが残っていたのです。
今回は、19世紀イギリスの自由主義的改革として、第1回選挙法改正、チャーティスト運動、穀物法廃止、航海法廃止を中心に整理していきます。
産業革命後のイギリス社会
18世紀後半から、イギリスでは産業革命が進みました。機械を使った工場制生産が広がり、綿工業や鉄工業などが発展。それにともなって、マンチェスターやバーミンガムのような工業都市も大きく成長、社会も大きく変化しました。同時に産業資本家や労働者の存在感も高まります。それに伴い、政治制度も時代に合わないものとなってきました。
当時のイギリス議会には、人口が少ないにもかかわらず議席を持ち続ける選挙区が残っていました。こうした選挙区は、腐敗選挙区と呼ばれます。

このように、産業革命によって人口分布や町の重要性は大きく変わったにもかかわらず、議会制度は古いままでした。ただでさえ、新興の工業都市は議席数が少ないのに、工業都市の大部分を占めていたのは労働者たちです。

当時のイギリスでは一定以上の財産や家屋、地代・家賃などを条件とする制限選挙が行われていた以上、労働者たちが自分たちの声を国に伝えることは叶いませんでした。
つまりは産業革命によって発展した新興工業都市の声は、十分に政治へ反映されていなかったことを意味します。このような状況の中で、議会改革を求める声が高まっていきました。
自由主義と人道主義の広がり
また、19世紀前半のイギリスでは、人道主義的な世論の高まりも見られました。
1807年には奴隷貿易が禁止され、1833年には奴隷制度廃止法が制定されます。これは、政治改革や自由貿易政策とは性格が異なりますが、当時のイギリス社会で「古い制度や不平等を見直そう!」とする意識が広がっていたことを示す動きでもありました。
宗教上の制限、古い選挙制度、保護貿易政策、奴隷制。
対象はそれぞれ異なりますが、19世紀前半のイギリスでは、旧来の仕組みを見直す改革がさまざまな分野で進んでいったのです。
宗教上の制限の緩和――審査法廃止とカトリック教徒解放法
同時期に宗教上の制限を見直す改革も進められています。
イギリスでは、国教会が強い立場を持っており、国教会に属さない人々は公職に就くうえで制限を受けていました。こうした制限をゆるめる動きとして、1828年には審査法が廃止されます。これにより、非国教徒にも公職への道が開かれていきました。
さらに翌1829年には、カトリック教徒解放法が制定されます。
これによって、カトリック教徒にも議員となる道が開かれました。アイルランドにはカトリック教徒が多く、この改革はアイルランド問題とも深く関係しています。
審査法廃止やカトリック教徒解放法は、選挙法改正のように議会制度そのものを大きく変えた改革ではありません。しかし、宗教を理由に政治参加や公職就任を制限する古い仕組みを見直したという点で、イギリスの自由主義的改革の一部と考えることができます。
こうして宗教上の制限がゆるめられる中で、次に大きな課題となったのが、議会のあり方そのものでした。
※イギリス国教会が成立した経緯が知りたい方は下の記事をご覧ください。
第1回選挙法改正――産業資本家の政治参加
そうした動きがある中で、1832年、イギリスでは第1回選挙法改正も行われました。
この改革では、腐敗選挙区が整理され、新しく発展した工業都市に議席が配分されています。これにより、産業革命によって力を持つようになった中産階級や産業資本家層の意見が、以前よりも政治に反映されやすくなりました。
第1回選挙法改正は、イギリスの政治を近代化するうえで大きな意味を持ちます。
とはいえ、すべての人に選挙権が開かれたわけではなく、選挙権を得たのは主に中産階級でした。労働者の多くはまだ政治参加から取り残されたままでした。
七月王政下のフランス(1830〜1848年)や大日本帝国憲法下で選挙が始まったばかりの日本(1890~1924年)でも納税額で選挙権が限られる制限選挙が行われています。
第1回選挙法改正は民主化への一歩ではありましたが、男子普通選挙を実現した改革ではなく、この不満がチャーティスト運動へとつながっていきました。
チャーティスト運動――労働者が求めた政治参加
1838年、労働者たちは人民憲章を掲げた政治運動を始めました。人民憲章には、以下のような内容が含まれています。
- 男子普通選挙
- 秘密投票
- 議員財産資格の廃止
- 議員への歳費支給 など
労働者たちは、自分たちの生活や労働条件を改善するためにも、まず政治に参加する権利が必要だと考えたのです。
ところが、チャーティスト運動の要求は当時すぐに実現したわけではありません。政府や議会は、こうした要求をただちに受け入れませんでした。
それでも、チャーティスト運動は労働者階級が政治参加を求めて全国的に展開した運動として、のちの民主主義の発展にもつながる動きとして重要な出来事でした。人民憲章で掲げられた要求の多くは、のちの選挙制度改革の中で実現していきました。
自由貿易への転換――穀物法廃止と航海法廃止
イギリスの自由主義的改革は、政治の分野だけでなく、経済の分野でも進められました。その中心となったのが、自由貿易への転換です。
自由貿易とは、国家による規制をできるだけ少なくし、外国との貿易を自由に行おうとする考え方です。産業革命によって工業力を高めていたイギリスにとって、自由貿易はますます重要になっていきました。
この自由貿易を推進するために、ある二つの法律を廃止しています。
- 穀物法
穀物法は外国産穀物の輸入を制限し、国内の穀物価格を守る法律 - 航海法
イギリスの貿易を自国船中心に守るための法律
どちらも古い保護貿易政策を代表する法律です。
穀物法の廃止
まず問題となったのが、穀物法です。この法律は、地主層を保護する役割を持っていました。しかし、穀物価格が高くなると、都市の労働者にとっては生活が苦しくなり、産業資本家にとっても賃金負担が重くのしかかります。
そのため、産業資本家たちは穀物法の廃止を求めました。コブデンやブライトらが反穀物法同盟を結成し、自由貿易の必要性を訴えた結果、1846年にはピール内閣のもとで穀物法が廃止されます。
航海法の廃止
さらに、1833年には東インド会社の貿易特権が廃止され、1849年には航海法も廃止されました。
航海法は17世紀以来の重商主義的な政策を代表するものでしたが、19世紀のイギリスにとっては、こうした古い保護政策はしだいに時代に合わなくなっていきます。
このように、穀物法廃止や航海法廃止は、イギリスが地主中心の保護貿易から、産業資本家を中心とした自由貿易へ転換していく流れを示していました。
イギリスの自由主義的改革の特徴
19世紀前後のヨーロッパで大きな存在感を放っていたフランスの場合、革命によって政権そのものが倒されることがありましたが…イギリスの場合は、選挙法改正によって中産階級や産業資本家層を政治に取り込み、穀物法や航海法の廃止によって自由貿易へ進んでいきます。
もちろん、イギリス社会に問題がなかったわけではありません。労働者の貧困やアイルランド問題など、多くの課題や深刻な問題も残っていますし、暴動もなかったとは言えません。
それでも、政治制度や経済政策を一度に大きく壊すのではなく、議会制度の枠内で段階的に改革していったことは、19世紀イギリスの安定と発展を支える要素の一つになっていきました。
つまり、イギリスの自由主義的改革は、社会の変化に合わせて、政治と経済の仕組みを少しずつ更新していく改革だったと言えるでしょう。



