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「善き女王ベス」エリザベス1世が誕生した足跡をたどってみよう【イギリス史】

エリザベス1世は25歳で即位した1558年からイングランドの絶対王政における黄金期を担った女王でテューダー朝最後の為政者です。

今回はエリザベス1世が即位するまでの流れや背景をまとめ、次回どんな統治をしていったのか?に迫ってみようと思います。

テーマがどうやって王位に就いたのか?どういう状況だったのか?なので周りの話が多くなりますのでご了承ください。

 

エリザベスが生まれた当時の状況を見てみよう

バラ戦争が終わり、テューダー朝を開いたのが祖父・ヘンリー7世。その跡を継ぎ、絶対王権を作り上げたのが父・ヘンリー8世

ヘンリー8世は、かなりスキャンダラスな国王でテューダー朝を安定させたい意図もあったとはいえ、息子欲しさにイギリス国教会を開き、6人もの王妃との結婚と離婚を繰り返しました。

エリザベス1世は、その2番目の王妃アン=ブーリンとの間に誕生しています。

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父王の死後のエリザベスを取り巻く環境はどんなものだった?

ヘンリー8世が亡くなった後に国王となったのは3人目の王妃で既に産褥死していたジェーン=シーモアとの間に生まれていた9歳のエドワード6世でした。

エリザベス1世家系図

ヘンリー8世は幼い国王を支えるために1人が権力を握る形を良しとはせず、顧問団にも集団で補佐するよう遺言を残していましたが

エドワード6世とシーモア家エドワード6世の伯父・エドワード=シーモアが遺言を握りつぶし、自らが護国卿(=摂政)として事実上の支配者となっていきます。宗教関係の話は後述しますが、彼はプロテスタントの改革派に当たります。

一番近くにいる人がプロテスタントの急先鋒だったこともあり、エドワード6世はやがて熱心なプロテスタントに育つこととなります。

  プロテスタントとは...? 

16世紀初め,カトリック教会の改革を主張した人びとによって成立した教派。新教徒ともいう(後略)

コトバンク『プロテスタント』より

イギリスで広まったイギリス国教会はカトリック系の儀礼や教義を残しながらも(離婚は例外)、ローマ法王の首位権を認めないという部分もあって新たな教派に位置付けられています。

 

なお、顧問団とは別にヘンリー8世は最後の妻に摂政を...と考えていた節もありました(一時期、国外遠征中に妻を国王代理として置いています)。ヘンリー8世が摂政も考えた最後の妻がキャサリン=パー。ヘンリー8世の3人目の王妃ジェーン=シーモアの実家・シーモア家にも名を連ねた女性です。

 

エリザベスの義母・キャサリン=パーはどんな人?

キャサリン=パーはエドワード=シーモアの弟・トマス=シーモアとはヘンリー8世と結婚する前からの恋人同士でした。ところが、彼女を見初めたヘンリー8世に「結婚の邪魔だから」とトマスを

ヘンリー8世の歴代妻と子供達(一部)

公務と称して外国送りにされていたこと、これまで国王が二人も妻を断頭台に送っていたこともあって躊躇いながらも最終的に結婚を決めています。

彼女は晩年には肥満体な上に過去の落馬の後遺症で寝込むことが多くなっていたヘンリー8世の看護を侍医に任せきりにせず、率先して行い国王の信頼を勝ち取っていきました。

また、読書家で聡明なキャサリン=パーはまだ幼いエドワード6世とエリザベスの教育係を務めて環境を整えた他、これまでの離婚を『結婚無効』により強引に進めたため庶子扱いとされたメアリー(1世)エリザベス(1世)が王位継承権を持てるよう国王に嘆願。二人の王位継承権を取り戻しています

 

そんなキャサリン=パーに物心つく前に母を亡くしたエリザベス(1世)は大好きなお母様と呼ぶほどなついており、3歳差と年の近いメアリー(1世)とも信頼関係を築き上げていました。

が、結婚の経緯が経緯だけにヘンリー8世が薨去してウィリアム6世が即位するのを見届けると周りが引き留めても留まることなく宮廷を退出。トマスと結婚しています。

 

トマス=シーモアの野望

義母キャサリン=パーの再婚したトマス=シーモアがどんな人だったのか?ここでは軽く紹介していきましょう。

トマスは兄・エドワード=シーモアが護国卿になったことを羨んでいたと言われ、時に国王に「叔父」の立場として小遣い(のような額じゃない)をあげたりして好印象を持たせるなどしていたため、兄からはエドワード6世に近付かないよう警戒されていました。

 

そんな中でトマスは王位継承権を持つ二人の王家の姫君を養女としています。

一人がエリザベス(1世)。もう一人はジェーン=グレイというヘンリー8世の妹メアリ=テューダーの孫です。

ジェーン=グレイの両親は存命中でしたが、国王エドワード6世の花嫁の有力候補であったため王室の中でも勢いがあったように見えた夫妻に教育を任せようとしたそうです。が、実際には護国卿である兄エドワード=シーモアに警戒されていたことを預けた後に知ることになります。

 

トマスとエリザベス

さて、同居することになったエリザベス(1世)。その頃には彼女も思春期に入っていました。やがてキャサリンが妊娠…したのですが、その時期にトマスがエリザベス(1世)との仲を急接近させていたのです。

キャサリンは最終的にエリザベスを親友夫妻の家へ預けさせています。

※キャサリンはエリザベスを心配して預けた説もあるようです

 

そうした中でキャサリン=パーは1548年に娘のメアリーを産んだものの産後に体調を崩して死去。せっかく生まれたメアリーもすぐに亡くなりました。

トマスは最後も看取らないどころか葬式にも参列せずジェーン=グレイが喪主を務めたと言われています。

トマスはキャサリンの遺産を相続しエリザベス(1世)との結婚も考えて再度近付きましたが、肝心のエリザベス(1世)の方はトマスを避けるようになっています。

 

シーモア家の失脚

王家の姫君を養子として迎えただけでなく、結婚を企んだ件からも分かるようにトマスは周りから野心家として知られていました。

やがてトマスは兄の地位を奪おうとスコットランドへ攻め込んでいる間に海賊と結んで反乱を画策。バレて処刑されています。また、エドワード=シーモアも弟の失態を咎められて投獄・処刑され、政敵のジョン=ダドリーにその地位を奪われてしまいました。

なお、反乱を画策したのがバレた時点でジェーン=グレイは実家に戻されているためお咎めなしで済むことになっています。

 

宗教問題とエドワード6世の死

当時の状況は宗教問題なしでは語れないため、少し解説していきましょう。

まず、イングランド国内では父王ヘンリー8世が急遽イギリス国教会を作ったため

  • これまで通りカトリックを信仰する人(←一般的にはこの層が多かった)
  • 当時のカトリック教会の腐敗っぷりから愛想を尽かして宗派を変えたい人
  • ヘンリー8世に取り入るためにイギリス国教会を信仰していた人

など、カトリックとプロテスタントを信仰する人が入り乱れている状況でした。

投獄されていたエドワード=シーモアが捏造された罪状で処刑され、国政を主導するようになったジョン=ダドリー。彼はエドワード=シーモアほどプロテスタントに熱狂的ではありませんでした。

そのため、イングランド内のカトリック教徒たちはジョン=ダドリーへ権力が交代したことで国内の政策が変わることを期待していたのですが、この頃にはエドワード6世が熱心なプロテスタントとなっていたため、ジョン=ダドリーもプロテスタントの政策を遂行しています。

 

 

そんな中で1553年半ばころ、エドワード6世が病に倒れます。

彼の死も視野に入れ始めたジョン=ダドリーは王位継承者の一人、ジェーン=グレイに近づき息子と結婚させました

 

 

最も王位に近いメアリーは熱心なカトリック教徒。強硬にプロスタント政策を行ったジョン=ダドリーは排除される未来しか見えず、メアリーを王位継承権から外す必要があったのです。

メアリーを外すとなると、やはり以前メアリーとエリザベスが王位継承権を外された

「王妃から生まれた王女ではなく庶子である」

という建前が一番しっくりくることからジョン=ダドリーはエリザベスではなくジェーン=グレイを選択したのでしょう。

 

エドワード6世自身もプロテスタントで、メアリーの王位継承は避けたい事態でしたからジョン=ダドリーの希望通りジェーン=グレイの王位継承を認めた後に崩御しています。

こうしてジェーン=グレイがイングランドの女王として即位することとなったのでした。

 

メアリー1世の即位(1553年)

王位から遠い場所にいたジェーン=グレイが無理やり王位に就くという非常事態を見たメアリーは危機感を覚えます。

ジョン=ダドリー側のメアリーを拘束しようとする動きを察知して、元居た場所から脱出。ジェーン=グレイの即位から3日後にメアリーも即位を宣言しました。

カトリック対イギリス国教会

ここにメアリー1世支持者が集まります。メアリーの支持者たちは、年若く継承権も下であるジェーン=グレイの後継者指名にジョン=ダドリーの暗躍があったことを疑い、更に彼女が傀儡にされてエドワード6世の時のようなプロテスタントの改革を更に進めることを危惧して蜂起しました。

ジョン=ダドリーは鎮圧に失敗して処刑され、息子とジェーン=グレイは共に身柄を拘束。ジェーン=グレイはわずか9日間で廃位され、メアリー1世が名実ともにイングランドの女王となっています。

 

その頃のエリザベスは・・・?

姉のメアリー1世が即位した後、エリザベスも姉と共にロンドンへ向かいます。ところが、やがて互いの宗教信仰の違いが仇になっていくことに。

メアリー1世は父ヘンリー8世以来の宗教改革を否定し、元々のカトリックに戻そうと動きます。時には迫害や処刑も行い「ブラッディ・メアリー」とまで呼ばれる程。有名な聖職者達も処刑されました。

多くの人達がメアリー1世の宗教政策に疑問を持つようになると、やがてプロテスタントであるエリザベスが注目され、エリザベスを旗印とした反乱が何度も起こされるようになっていったのです。

 

メアリー1世の結婚と度重なる反乱の発生

そうした中でメアリー1世の結婚の話が進みました。相手はカール5世の子、後のスペインの皇太子フェリペ(2世)です。カトリックの盟主で本人も熱心なカトリック教徒であり、メアリー1世とは遠い親戚にあたります。

フェリペ2世とメアリー1世の関係

彼は後にスペイン帝国の絶頂期の国王となり、オスマン帝国を退けて勢力圏を拡大するなどヨーロッパ内外にもその名を轟かせていきます。ポルトガル国王も兼任しており「太陽の沈まない国」と形容される程の勢力となりました。

メアリー1世にとっては国内の親カトリック政策を行う大きな後ろ盾の意味があり、逆にフェリペ2世にとってはフランスとスペインとの戦い(=第六次イタリア戦争で対抗するために必要な政略結婚だったのです。

 

ジェーン=グレイの処刑とエリザベスの収監

ところが、あまりに強いスペインにイングランドが飲み込まれることを危惧した多くの人々はメアリー1世とフェリペの結婚に反対しています。

これを押し切って結婚の話を進めていたのが外部に漏れると、二人の結婚に反対するトマス=ワイアットによる反乱【ワイアットの乱】が発生。これを契機にイングランドやウェールズで次々と反乱が起こると、スペインとイングランドに結ばれると困るフランスも加担して大混乱となりました。

この反乱には、メアリー1世が即位する際に身柄を拘束されたジェーン=グレイの父・ヘンリー=グレイも指導者として参加。ジェーン=グレイと夫は反乱と無関係でしたが、警戒されて処刑されています。

ジェーン=グレイ(wikipedia)
『レディ・ジェーン・グレイの処刑』ポール・ドラローシュ(1833年、フランス)より

 

また、これまで旗印にされ、ワイアットの乱で一部に接触されていたエリザベスも尋問を受けロンドン塔に収監されました。

無実を訴えるも旗印にされてきた件やメアリー1世が信頼を置いている人物からの「エリザベスが生きている限り王座の安泰はない」との主張がエリザベスの収監に影響を与えたようです。

 

メアリー1世の結婚(1554年)

国内で色々とありながらも何とかフェリペとの結婚にまで漕ぎつけたメアリー1世ですが、実際にはフェリペと性格が合わず結婚して約2年後に彼はスペイン国王として即位するという理由で帰国してしまいます。

その一年半後にフェリペは一度ロンドンへ再訪するも、すぐに帰国してほぼ別居状態に陥りました。一度妊娠の兆候もありましたが結局は間違い。夫婦仲も良くない上にメアリーの結婚自体が遅かったこともあって懐妊の知らせは訪れず、再び王位継承をめぐる問題が浮上し始めたのです。

この時点でフェリペ2世はメアリー1世との子を諦めており、次の王位継承がほぼ確実なエリザベスとの交流を積極的に図るようになっています。

 

また、フェリペ2世との婚姻期間中の1557年にはフェリペ2世の要請でフランスとの戦いに参加。唯一の大陸側の領土・カレーを失いました。

正直、メアリー1世やイングランドにとってフェリペ2世との結婚は悪いことづくめの結果ばかり。自らも病にかかり、死期を悟るようになるとエリザベスを後継者として認めるようになりました。

わずか5年の治世、享年42歳でした。

 

エリザベス1世の即位(1558年)

以上のような経緯があり、宗教的にゴッチャゴチャになっている中で25歳のエリザベスはエリザベス1世として即位しました。

幼少期から

  • 父により母が刑死させられる
  • 義父からのセクハラ後に大好きな義母に追い出される
  • 異母姉により反乱を疑われてロンドン塔に収監される

といった数々の厳しい経験をした上での即位となりました。

一歩間違えれば自身の死も十分あり得たその環境は、確実にエリザベス1世が問題に対して冷静に対処する術を身につけさせました。

こうして「善き女王ベス」「栄光ある女人」という通称がつけられるほど偉大な女王として名を残すこととなったのです。

 

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歴ブロ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。