明治時代

明治維新からの地方行政制度の移り変わり

歴ブロ

 

現在の都道府県では、大坂と京都に【】が付いていますが、1868年当時には10か所の府が存在していました。しかし、1871年8月29日には、廃藩置県により藩が廃止され、府県制となり、3府まで縮小されました。

そして、明治維新から様々な統廃合を繰り返してきた地方自治体は、1972年の沖縄が返還され沖縄県が加わり現在の47都道府県に落ち着きました。

 

学校の授業では、版籍奉還⇒廃藩置県と言った流れで藩を廃止したと習いますが、大政奉還を受け明治政府が発足したのが1868年で、実際に廃藩置県を行ったのは1871年と数年のタイムラグがあります。

1868年になった瞬間から、藩が無くなったかと言うとそうではなく、このわずか数年の間は、府藩県三治制という制度が設けられていました。

 

そこで今回は、明治維新からの地方行政制度の移り変わりを書いていきます。

 

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府藩県三治制から廃藩置県へ

 

1868年6月11日五箇条の御誓文に基づき太政官の権力集中、三権分立、官吏公選を定めた規定、政体書の公布に伴い維新後の徳川幕府直轄地に置かれた裁判所を廃止。城代・京都所司代・奉行の支配地を【】それ以外を【】と定めました。

府に府知事、県に県知事をそれぞれ置き、藩は従来通りに大名が支配しました。

 

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1869年7月25日には、版籍奉還によって三治制が確立し、藩も国の行政区となり旧藩主たちは知藩事にスライド任命されます。これまでの藩主と違い、知藩事※はあくまで中央政府から任命される地方官であり、支配する藩領も支配権が安堵された所領ではなく、国の【直轄地】とされています。

※1これが版籍奉還によって変わった事です。※2藩主=知藩事

7月31日には、旗本領・寺社領等が府県管轄指令により最寄りの府県の管轄となることが定められました。これに伴い、旗本達が府・藩・県のいずれに所属する事になり、全国に散らばっている旗本が消滅しました。時間差で、寺社領の上知も決定され、最寄りの府・藩・県に所属する事になります。

 

明治政府による藩への統制が強められ、知藩事(旧藩主)の自由が奪われると各地の藩は財政難となり【藩を手放したい】と言う知藩事が出てきました。これを深刻にとらえた政府は、中央集権体制を改めるべく【廃藩置県】を実施し、1971年8月29日より藩が廃止され府県制となりました。

 

廃藩置県実施後の府県は、3府302県から始まりました。

詳しい統廃合は、こちらの記事で書きましたので参考にして見て下さい。

 

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府県制から戦後の都道府県制へ

 

1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法の立憲体制によって、自治体として府県は正式に法律【府県制】として規定されるようになりました。

 

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府県知事は、多くが内務省の官僚が天皇より任命されました。当時の府県議会は財政決議権を持つだけでその権限は狭く、地方自治体というより国の行政区画としての意味合いが大きかったようです。

そして、戦後の1946年の地方制度改革で知事の公選制が導入され民主化が進み、1947年の地方地自法により現在の都道府県制に移行しました。

 

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府とは軍事・政治の拠点になる大都市

 

大政奉還後に、明治政府が幕府の直轄地の中で、軍事や政治の中心地になりうる重要な拠点を【】と定め政府の直轄地として管理しました。

以下が、1868年当時に設置された府の一覧です。

1868年当時に設置された【府】

設置府名 概要
箱館府 開拓使の設置以降廃止さっる
江戸府 設置後3か月後に東京府に改正
神奈川府 後に神奈川県に改称
甲斐府 1869年に甲府県に改称
越後府 すぐに新潟府に改称するが、翌年県に改称
度会府 翌年に度会県に改称
京都府
大阪府
奈良府 当初は県だったが府に昇格するも、また県に
長崎府 翌年に長崎県に改称

 

東京都の誕生

 

1868年京都府が設置されて以降、最大10個の府が設置されました。しかし、わずか2ヵ月~3ヵ月ほどで、神奈川、甲斐、奈良、度会、長崎などが県に代わり、地方制度や境界線がめまぐるしく変わりました。

1869年には、江戸以来最重要都市だった東京(江戸)・京都・大阪以外は府と呼ばないと言う旨の太政官布告を発令し、他の都市と別格に扱う事にしました。さらに、現在の東京23区地域は、東京市として扱われ別に市長もいました。そのために、東京府知事と東京市長権限争いや二重行政があらわになりました。

 

ところが、太平洋戦争中に二重行政はやめて一致団結しようと言う事から、1943年7月1日に東京府と東京市が統合されて【東京都】になりました。

行政上は【東京市】が消えてしまいまいしたが、その痕跡を消してしまうのは忍びないと言う事で、東京都旗は旧東京市章を継承したもので、東京市歌も廃止されずそのまま都歌として残っています。また、10月1日の都民の日は、東京市発足の日にちなんでいたりと今でも東京市の痕跡を垣間見る事が出来ます。

 

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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