聖徳太子から戦国武将や財閥家の現代でも通用する家訓
現代では家訓を掲げている家はほとんど見かけなくなりましたが、名家と呼ばれる所には代今でも面白い家訓が存在しています。
聖徳太子は、十七条憲法第十四条で【嫉妬厳禁】を説いています。これは、嫉妬心は際限が無く人は誰もが自分より優れた人に嫉妬心を抱いてしまいます。飛鳥時代から、すでに人間の心理を突いた戒めが説かれていたのです。
そこで今回は、歴史上に存在した家訓について書いていきたいと思います。
家訓の原点は飛鳥時代の十七条の憲法
わが国での家訓の原点は、歴史の授業でも習った十七条の憲法だと言われています。
聖徳太子が中心となり公布されたこの憲法は、公人から民間レベルでも広く受け入れられたとされています。
日本書紀に書かれている原文を見ると…
夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。
- 一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
- 二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。
- 三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。
- 四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。
- 五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。
- 六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。
…以下省略…
この時代の文字は漢文だったので、原文から何が書かれているかわからないので、全文を現代語訳にしてみました。
- 第一条 「人と争わずに和を大切に」
- 第二条 「仏と法と僧を敬まうこと」
- 第三条 「天皇の命令はかしこまって聞きくこと」
- 第四条 「常に礼儀正しく」
- 第五条 「道に外れた心を捨て公平であること」
- 第六条 「良いことはどんどんしなさい」
- 第七条 「仕事は適材適所で」
- 第八条 「早朝から夜遅くまで一生懸命働くこと」
- 第九条 「お互い疑うことなく信じあうこと」
- 第十条 「他人と意見が違っても腹を立てないように」
- 第十一条「賞罰も必要」
- 第十二条「役人は勝手に税をとってはいけない」
- 第十三条「役人は自分の仕事と他の人の仕事も把握しなさい」
- 第十四条「嫉妬は厳禁」
- 第十五条「私利私欲に走らない」
- 第十六条「民衆を使うときは、その時期を見計らいなさい」
- 第十七条「大事なことはひとりで決めないで皆と相談しなさい」
役人としての心構えから、人同士のつながりにも言及した憲法十七条は現代人の生き方にも学ぶところがあります。
奈良時代から平安時代にかけての訓戒
奈良から平安時代にかけての家訓は、吉備真備が中国から持ち帰った【顔氏家訓】に習い【私教類聚(しきょうるいじゅう)】を書きました。
- 殺生しない
- 勉学に励むべし
- 人生はあっという間である
- 悪口厳禁
- 友との約束は厳守すること
- 言葉を選ぶこと
- ミスは即改めよ
- まず考えてから行動すべし
- おろかな人も馬鹿にしない
- 感情的にならず忍耐すべし
現代でもハウツー本に書かれていそうな内容ですが、今も昔も人々の心を戒める事は変わらないと言う事でしょうか?
貴族の世の中になると、「寛平御遺誡(かんぴょうごゆいかい)」や公家の家訓「九条殿御遺誡(くじょうどのいかい)」が登場します。
寛平御遺誡は、宇多天皇が醍醐天皇への譲位に際して当時13歳の新帝に政務について書き記して与えたもので、「えこひいきをしてはいけない、感情は顔に出さないように」など細かく書かれています。
また、公家の家訓【九条殿御遺誡】は、右大臣藤原師輔が公卿としての心得を記した家訓で、日常生活や宮廷での心得など、公卿の生活全般にわたっての訓誡を代々に渡り伝えていった家訓です。
武士の世の中のにおける家訓
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝が亡くなると、妻の北条政子の北条一族が六波羅殿御家訓(ろくはらどのごかくん)が作られました。これには、【子供は親の言うことを聞き、この家訓の通りに行動せよ】と説き、親への敬意を記しています。
室町時代になると、1378年に管領・斯波義将が子孫のために記した【竹馬抄(ちくばしょう)】が書かれています。
内容としては、【その人の立ち居振る舞いによって品位も心の内も分かるものである】とか【人と生まれたからには人々のために心を砕くこと】と諭し【人間の一生は夢幻のようなものであるから一日一日を心して生きよう】と結んでいます。
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戦国時代には毛利元就の三本の矢
戦国時代には、毛利元就が書いた【三子教訓状】の元になった逸話「三本の矢」が知られていますね。
病床に伏した日に、隆元・元春・隆景の3兄弟を呼びそこで、1本の矢を折り、続いて3本の矢を束ねて折ろうとしましたが折れませんでした。元就は「1本の矢は簡単に折れるが、3本纏めると簡単には折れない。3人の兄弟で毛利家を守っていってほしい」と告げています。
日本三大財閥の家訓
三井・住友の二大財閥は、江戸時代からの御用商人でした。その後、明治維新を経て三菱財閥が力をつけ、三井・住友・三菱と三大財閥と呼ばれるようになります。
戦後の1947年の財閥解体後も三大財閥は強い影響力を持っており、現在でもそのグループ会社が日本経済を支えています。このような、日本の経済を支えている三大財閥家にはビジネスに関する家訓が存在します。
三井家の家訓
- 単木は折れやすく、材木は折れ難し。汝ら相協戮輯睦(きょうりくしゅうぼく)して家運の強固を図れ。
- 各家の営業より生じる総収入は、一定の積立金を引去りたる後、始めてこれを各家に分配すべし。
- 各家の内より一人の年長者をあげ、「老分」と称してこれを全体の長とせよ。各家主は皆老分の命令を聞くべきものとする。
- 同族は決して相争うなかれ。
- 堅く奢侈を禁じる。厳しく節倹を行うべし。
- 名将の下に弱卒なし。賢者能者を登用するのに最も意を用いよ。舌に不平怨嗟の声なからしむように注意すべし。
- 主人はすべて一家のこと、上下大小の区別なく、すべてに通じる事に心がけるべし。
- 同族の小児は、一定の年限内においては、他の店員待遇をなし、番頭・手代の下に労役せしめて、決して主人たるの待遇をなさしめたるべし。
- 商売は見切り時の大切なるを覚悟すべし。
- 長崎に出て、外国と商売取り引きすべし。
三井家では長崎に出て外国との取引を推し進めているようにも感じられます。
住友家の家訓
- 第一条 主務の権限を越え、専断の所為あるべからず。
- 第二条 職務に由り自己の利益を図るべからず。
- 第三条 一時の機に投じ、目前の利に趨り、危険の行為あるべからず。
- 第四条 職務上に係り許可を受けずして、他より金銭物品を受領し又は私借すべからず。
- 第五条 職務上過誤、失策、怠慢、疎漏なきを要す。
- 第六条 名誉を害し、信用を傷つくるの挙動あるべからず。
- 第七条 私事に関する金銭の取引其の他証書類には、各店、各部の名柄を用うべからず。
- 第八条 廉恥を重んじ、貪汚の所為あるべからず。
- 第九条 自他共同して他人の毀誉褒貶に関し私議すべからず。
- 第十条 機密の事を漏洩すべからず。
- 第十一条 我が営業は信用を重んじ、確実を旨とし、以て一家の鞏固劉生を期す。
- 第十二条 我が営業は時世の変遷理財の得失を計り弛緩興廃することあるべしと雖も、苟も浮利に趨り軽進すべからず。
- 第十三条 別子銅山の鉱業は我が一家累代の財本にして斯業の深長は実に我が一家の盛衰に関す。宜しく旧来の事蹟に徹して将来の便益を計り、益々盛大ならしむべきものとす。
住友家では【一時の機に投じ、目前の利に趨り、危険の行為あるべからず】と慎重なことがうかがい知れます。
三菱家の家訓
- 一、小事にあくせくするものは大事ならず。宜しく大事業を経営するの方針を執るべし。
- 二、一度着手した事業は必ず成功を期せよ
- 三、決して投機的の事業は企つるなかれ
- 四、国家的観念を以って総ての事業に当たれ
- 五、奉国至誠の赤心は寸時も忘るべからず
- 六、勤倹身を持し、慈恵人を持つべし
- 七、能く人柄技能を鑑別し、適材適所に用いよ
- 八、部下を優遇し、事業上の利益は成るべく多く彼等に分与すべし
- 九、創業は大胆に、守成には小心なれ
そして三菱は「国家的観念を以って総ての事業に当たれ」から、事業を通じての社会貢献をうたっているように思えます。
家訓や訓戒は日本の歴史と共に洗練され、現代の私たちもそれに基づいた歴史上に生まれ育ってきました。
その時代によって、多少の違いはあるものの【人生はあっという間である】【人間の一生は夢幻のようなものであるから一日一日を心して生きよう】【厳しく節倹を行うべし】【奉公人は大切にし、家業に励め】などの家訓は、現代でも通用するものではないのでしょうか?