色々な歴史

北海道の開拓とアイヌ民族

蝦夷地と呼ばれた北海道は、先住民族であるアイヌ民族の居住地であり、アイヌモシリ(母なる大地)と呼び、狩猟・採取によって生活が営まれていました。しかし、明治時代に入ると、和人(アイヌから見た本州の人間)の進出が活発になり、松前藩の交易支配によってアイヌ民族は次第に従属化を強いられることになりました。

松前藩は、北海道を和人地と蝦夷地に分けアイヌ民族と交易をしていました。

1850年代の蝦夷地の人口は、約10万人でそのうちアイヌは、16000人ほどでした。残りの和人たちの多くは、函館や松前などに居住し、他の北海道各地にアイヌ民族たちが点在していました。

北海道の誕生

明治維新を迎え、新政府は1869年和人地と蝦夷地を統合し、北海道として日本国として組み入れることにしました。北海道と言う名は、西海道・東海道などの古代の七道に次ぐ八番目の国家領域の意味として名付けられたそうです。

この北海道は、富国強兵・殖産興業のための未開の辺境として、またはロシアの進出に対する軍事的拠点として屯田兵を設置し各地を開拓させました。

 

封建的な身分制度の廃止、四民平等と富国強兵策 明治政府は、国家の中央集権化と近代化を推し進めていましたが、同時に封建的な身分制度の廃止も進めていきました。 そこで政府は、1...

 

同じ年に、北海道庁の前身である【開拓使】を設置し、立法・行政・司法・軍事・警察を含む大きな権限を持たし、北海道を小植民地として農地を開拓し、産業を興し、人々を移住させると同時に、本州に必要な天然資源を得ようとしました。

そのため、器械や醸造・缶詰などの官営工場や鉱山や鉄道に莫大な政府の投資が行われました。その結果、炭田開発・輸送のための鉄道が幌内・札幌・小樽を結び1882年に国内で3番目の鉄道として営業を開始しました。また、特産の鮭や昆布・ニシンなどの水産物が本州へ送られました。

これらの官営の工場などはやがて財閥などに安く払い下げられ、有名なビール会社や炭鉱などを支配した三井財閥もこうして力をつけていきました。

 

政府は1872年に、【地所規制】や【北海道地券発行条例】によって個人の土地所有のはっきりしない、アイヌが共同で使っていた土地などを官有地に編入し、【未開発地処分法】により、ほとんど無償で本州の資産家や皇室・華族・官僚などに払い下げました。

これにより北海道には、本州に例を見ない大地主が誕生し、これらの土地は小作に出され、皇室を筆頭とした大寄生地主制が形成されることになります。

北海道の開拓民のほとんどが、本州から来た和人たちで明治初頭に10万人だった人口は、1895年には約50万人までにふえていました。当初、移住者は明治維新で脱落した旧藩士や士族が中心だったが、やがて土地を持たない農民たちが中心となって行きまいした。

北海道の開拓は、自立・成功の期待を込めた新天地でしたが、その現実は厳しく、過酷な労働や環境に加え、開発に適する土地の多くは大地主に占有されていたため結局は、小作人になるしかないのが現実でした。

アイヌ民族

明治維新以前から、本州から激しい収奪に見舞われながらも独自の文化を維持してきたアイヌ民族たちは、明治以降の開拓の進展につれ、決定的な危機を迎えることになりました。

和人漁師による乱獲や1879年の豪雪による鹿の減少、鮭の乱獲による減少や開拓による自然破壊に加え、仕掛け弓や毒矢の使用の禁止などで、狩猟民族としての基盤を奪われることになりました。

開拓使は、アイヌ民族に農業を推奨しましたが、土地を奪われた上に資金などの支援は乏しく、農業転換が難しいのが現実でした。1875年には、ロシアとの樺太・千島交換条約を結んだ際に、樺太のアイヌ民族たちが、強制的に石狩川沿岸に移住させられ開拓に充てられる例もありました。

 

そんなアイヌ民族に対して日本政府は、その文化を否定し、日本語の強要、入れ墨や耳輪の禁止、日本式姓氏の強制などの同化政策によって日本人化を強要しました。こうした政策に、アイヌ民族たちは経済的にも文化的にも衰退を余儀なくさたうえに、社会の激しい差別にも苦しめられることになります。

こうしたアイヌ民族たちの苦しみに日本政府も無視はできず、1899年に【北海道旧土人保護法】を制定され、アイヌへの農地の給与、アイヌ子女のための学校設置などが定められましたが、実際には救済の効果が薄かったようです。

最後に

現在、アイヌ民族の居留地はありませんが、阿寒や平取、白老などの全道各地に居を構え、白老や阿寒温泉には観光名所としてアイヌコタンが存在しています。

2017年の調査では、道内のアイヌ人口は約13000人となっており、2006年の24000人から減少していますが、これは調査に協力している北海道アイヌ協会の会員数の減少と個人情報の保護への高まりから厳密な調査ができなくなったのが原因とされているようです。

また、長い間に差別などを受けたことにより、アイヌであることを肯定的にとらえる人が少なく自らがアイヌであることを隠す人もしばしばいました。しかし、近年では自らがアイヌであると肯定的にとらえる人も現れ、北海道以外に住むアイヌの人たちとの交流こ盛んになり、世界中の先住民族間との交流も行われているそうです。

 

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miumaga
歴史好きが高じて、日本史・世界史を社会人になってから始めました。史実を調べるのも好きですが、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いずれ歴史能力検定を受ける予定。どうぞよろしくお願いします。