日本書紀にその記載があった蝦夷富士の羊蹄山
北海道を代表する山と言えば、羊蹄山が有名です。
その形状が富士山に似ていることから蝦夷富士とも呼ばれています。
この羊蹄山の山頂には、【後方羊蹄山】と書かれた標識が立っています。
私たちの馴染みの名前では羊蹄山ですが、後方とは何ぞや?どこかの後ろにあるから後方なのか?色々と疑問がつきません。
調べてみると、昔は【後方羊蹄山】と書いてシリベシ山と呼ばれていたということが分かりました。
また、この羊蹄山の歴史を調べていくと、日本書紀の時代までさかのぼることが出来て面白かったので、紹介してきたいと思います。
羊蹄山の概要
羊蹄山は、北海道後志地方にある標高1898mの山で、綺麗な円錐形で富士山に似ていることから蝦夷富士とも呼ばれています。
アイヌ語でマチネシリ【女山】とも言われ、マツカリヌプリ『後方に対をなして一方にある山』とも称されています。他にも、山麓を流れる尻別川から訛ってシリベシ山と呼ばれたと言う説もあるようです。
羊蹄山の歴史と名前の由来
お馴染みの羊蹄山と言う名前が定着したのは、以外にも新しく1969年(昭和44)の発行の地図に書かれたことがキッカケとされています。
それ以前の明治から大正にかけては、後方羊蹄と書いて【シリベシ】と呼ばれ、アイヌの人たちの間では、マツカリヌプリやマチネシリと呼ばれ、富士山に似た形状から蝦夷富士とも呼ばれていました。
このシリベシと言う地名は、日本書紀に登場します。
659年に、阿倍比羅夫が蝦夷地のシリベシを支配したと言う記録があるそうです。その時まだ、平仮名が確立されていないときだったため、後方羊蹄と書いて『シリベシ』と当て字がされました。
後⇒シリ 方⇒ベ 羊蹄⇒シ
と漢字が割り当てられました。
羊蹄と書いてシと呼ぶのは、漢方に『ギシギシ』と言う薬草が中国語で【羊蹄】と呼ばれており、それがギシギシのシを取って羊蹄=シと読むと決めたそうです。
ここでお分かりの通り、羊蹄という漢字は全然、羊とは関係ないのです。
日本書紀の記録では、詳しいシリベシの場所は分かりませんが、新井白石が松前藩や国内外の情報を参考に作成した蝦夷志には、羊蹄山周辺にある尻別川の周辺が阿倍比羅夫が支配したシリベシではないかと考えました。
後方羊蹄と後志の違い
明治2年に、蝦夷地の開拓がすすめらることになり、松浦武四郎により蝦夷地が北海道と名づけられ、同時に11個の国が作られました。
石狩国や渡島国などの国々が定められ、阿倍比羅夫が支配したと思われる羊蹄山一帯の地域が現在の後志国とつけられました。
これまで、後方羊蹄と書いて『シリベシ』と呼ばれていたのに、なぜここにきて後志になったのでしょうか?
それは、奈良時代の元明天皇が国の名前は漢字2文字であることが望ましいと勅令を出したことから国の名前が2文字となりました。それまで、漢字一文字だった泉国も和泉国と書いて『イズミ』と呼ばれるのはその名残です。
後方羊蹄山をシリベシ山と呼んでいましたが、松前藩時代くらいから、【コウホウヨウテイザン】や【ヨウテイザン】と間違って読んでいた人が多かったようです。
大正9年くらいまでの地元の地図には後方羊蹄山と書かれていましたが、読める人が少なく地元倶知安町の依頼もあり、1969年(昭和44年)以降に発行された地図には羊蹄山と記載されることになり、羊蹄山と定着しました。
最後に…
羊蹄山の麓には、山い降った雨や雪が地下に浸透し、70年以上の歳月をかけて湧き出る湧水がいただけます。アイヌ語でカムイワッカ(神の水)と呼ばれるこの湧水は、京極町の吹き出し公園や真狩の水くみ場でいただくことが出来ます。
京極町のふきだし公園では、毎日8万トンの水が1年中吹き出しています。
この量は、30万人分の生活用水に匹敵するそうです。この公園の水は、名水百選にも選ばれており、京極のふきだし湧水として北海道遺産にも選ばれています。
硬度18度の軟水で、口当たりまろやかな美味し湧水なので、旅行でこちらに後志地方に行かれる方は、ぜひ寄ってみてください。
温泉もあるので良いですよ~