歴史コラム

網走監獄【旅行記】

歴ブロ

2022年7月末、ずっと念願だった網走監獄へ行って来ました!本来なら一緒に行ってオホーツク文化にも触れたかったのですが、断念したので今回は網走監獄について語っていきます。

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網走の場所、気候など

網走は北海道のオホーツク海側に面した面積約470.9㎢、人口約3万3500人(令和4年5月末)の漁業が盛んな市です。サンゴ草で有名な能取湖を内包し(秋になると絶景だそうです!)、南から流れる網走川が流れ込む網走湖と面しています。

道内の中では気温、雪、風と極端な数値はありませんが、最寒月の一月の平均気温は-7.2℃。網走で最も寒い最低気温を記録したのは1902年1月25日の-29.2℃となっています。

逆に夏は最暖月の平均最高気温が23.3℃で、過去最も暑くなったのは1994年8月7日の37.6℃。1900年台前半に限っていうと1905年7月12日の35.8℃が最高気温でした。結構暑いですね…

ただ、毎日暑いか?というと違っています。暑い日が続くこともあれば、天気図次第では夏でも涼しい日が続くそうで気温の変動が大きいとか。体調管理が難しそうな気候ですね。

網走監獄の中

前置きが長くなってしまったけど、いよいよ語らせてもらいます。まずは監獄の敷地に入る前から見所が…!

鏡橋

網走監獄の入り口の前には2~3mの網走川が流れ、鏡橋と呼ばれる橋がかかっていました。川面を鏡に例え「我が身を見つめ自ら襟を正す」ことを願ってつけられた名前だそうです。

7月末に行った時には蓮の葉が一面に浮いていました。

今回は肝心要の鏡橋の写真を撮ってなくてガッカリ...

監獄入場ゲート

鏡橋を渡ると二見ヶ岡農場の旧門が。

網走刑務所は明治24年からの中央道路開削工事などの外役労働が終わると、自給自足の農業監獄を目指して日本一広大な刑務所農場・二見ヶ丘農場が開墾により作られました。

この農場の正門が移設され博物館の入場ゲートとなっています。

なお、開削工事で命を落とした囚人は北見から網走に向かう途中の鎖塚で供養され、木々に囲まれた道路脇にひっそりと残っています。明治に開拓されていた囚人の中には明治政府に反対していた自由民権派の思想家が政治犯として捕まり開拓に従事させられていた者達も多くいたようです。

鎖塚

この慰霊碑は1968年と割と近い年代になってから建てられています。

網走監獄・煉瓦門

次に紹介する煉瓦門は入場ゲートの外からでも見える存在感たっぷりの建造物です。出入り口には看守が見守ってくれています。

元々網走外役所が出来た当初の正門と外壁は木造で作られていましたが、明治42年の火災で消失すると大正8年から5年かけて新たに火事に強い煉瓦門を築造し直しました。これが現在の博物館に残っている門です。

門の外と監獄の境目にあたる場所には看守控え室と面会人の待合室が備えられていました。正面から見ると丸い屋根のついた部分ですね。

この時に使われた煉瓦は明治45年に用地内で採られた粘土を使ったもので、自給自足で賄うという理念はこうした建物にまで行き渡っています。

門の真正面には目を引く木造の建物の庁舎が、右手には教誨堂が見えてきます。どちらの建物も明治42年の火災で焼失し再建された建物です。

教誨堂

教誨堂は再生の道を進めるよう教え導くための建物で、中には教育関係の沿革がまとめられ関連資料が展示されていました。

中は洋風で洒落た電灯で灯りが灯されていましたが、外観の一部はお寺を思わせる装飾もなされています。

庁舎

一方で庁舎の方は当時監獄の管理棟として使われており、現在は当時のロシア帝国が南下政策を行って北の防備が必要で網走や網走以外の集治監と囚徒によって北海道の開拓がなされてきた歴史を知ることが出来ます。

また、ここにはゴールデンカムイの展示もされていました。

DVDとBlu-rayの宣伝ポスターかな?野田先生の直筆イラストも楽しむことが出来るうえ、限られたスペースですがお土産コーナーもありました(博物館の敷地内には、お土産店が集まった建物もあります)。

私は杉元の持ってるオソマ(味噌)を購入。農業の盛んな地域なので近くの野菜直売所できゅうりも買ってビールのつまみにしたらかなり美味でした。茹でたアスパラはオソマ味噌とマヨネーズを混ぜると最高!!もちろん札幌クラッシックのゴールデンカムイパッケージも網走では売っていました(令和4年7月末現在)

逸れてしまいましたが、監獄の話に戻りましょう。

庁舎を抜けて次に見たのは職員官舎です。入ってすぐに台所が備え付けられていました。現在でいう1LDKの間取りで拝命されたばかりの看守が与えられた間取りの建物になります。

さらに受刑者が塀の外に出た時の休泊所、漬物庫と続きます。漬物樽(平均的な成人男性の身長以上はあった)の大きさと寒そうな休泊所の造りと痛そうな枕(一本の真っ直ぐな丸太が置かれただけのもの)が印象的でした。

そして、ようやく到着したのが網走監獄で一番楽しみにしていた『舎房及び中央見張所』です。それまでの一般的な並列型の舎房に代わり、見張所を中心とした放射状に5棟の舎房が置かれています。

ここには雑居房、独居房があり、そこの壁はある角度でしか中の様子が見えなくなる木製の格子で覆われていました。鎧格子・矢筈格子と呼ばれる建築技法だそうです。

この時期に作られた建物は洋風のものでも薄暗いものが多い中、天井から光が入る造りで非常に明るい造りになっています。

網走と言えば-20℃になることもあるような非常に寒い地域です。ということで、暖房の紹介もなされていました。

さっきの特徴的な天井はおそらく夏が短い環境だからこそ出来る採光方法なんでしょうね。気温35℃の中でエアコンなしの天窓とか考えたくもありません。

なお、舎房では脱獄犯として有名な白鳥由栄特集?が組まれ、彼が逃げだす時に通った鉄製の格子が嵌められた扉の開口部の小ささを実感できる他、肉声も聞けるようになっています。

この白鳥由栄の蝋人形が舎房内の予想外過ぎるある場所に飾られていました。こういうこと出来なきゃ脱獄なんて出来ないだろうけど、ものすごい身体能力だなと脱帽…

もう一つの網走監獄の目玉?二見ヶ岡刑務所もあったのですが、今回は都合により断念。非常に広くて見回り切れませんでした。いつか再び計画立てて網走監獄再挑戦する予定です。

ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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