【北方領土問題】なぜロシアは北方領土を実効支配するのか??
2018年11月に日露首脳会談において北方領土問題に新たな動きがありました。
1956年に結ばれた日ソ共同宣言を基本に平和条約締結交渉を加速させることが両国間で合意がなされました。日ソ共同宣言には、平和条約締結後に北方四島【歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島】のうち歯舞と色丹の二島を日本に引き渡すと記されています。
しかし、日本はこれまで四島同時返還を求めてきました。
政府公式には【領土問題の帰属を解決したうえで平和条約を結ぶと言う原則に変わりはない】と表明しています。しかし、見方によっては政府が二島先行返還に方針転換したのではないかとも考えられています。
いずれにしろロシアが今後どのような主張をしてくるのかも含め、事態を見守る必要があると思います。
北方領土問題とは?
北方四島は、歴史的にみても戦後まで外国の領土となったことないわが国固有の領土です。
第二次世界大戦末期にポツダム宣言を受諾し、降伏の意思を表明した後にソ連軍が北方四島に侵攻し、日本島民を強制的に追い出しました。このように、日本の領土である北方四島を法的根拠なしで占領し続けているこの問題を【北方領土問題】と言います。
この北方領土問題は、日露両国間の最大懸案事項で日本政府は幾度もロシア(ソ連)政府と領土返還交渉を行っています。
戦後70年以上たった今でも、現在も交渉の進展のないまま、実効支配が続いているよ。
北方領土は国境が制定されて以来の固有の領土
日本政府は北方四島を「わが国固有の領土」と主張し続けています。
1854年に日本とロシアは日露和親条約を締結しました。この時に、あいまいだった国境を決めました。
そして、択捉島以南が日本領、ウルップ島以北がロシア領となりました。
また、樺太は日露両国の雑居地となりました。つまり北方四島は、この時に明確に日本領となりました。
1875年の樺太・千島交換条約や1905年のポーツマス条約時に、択捉島以北の千島列島や樺太が日本領に編入されたりしましたが、千島列島以南の北方四島は第二次世界大戦に敗戦するまで日本領であり続けています。
1941年、アメリカとイギリスは領土不拡大宣言を大西洋憲章の中で宣言しています。これは、「第二次世界大戦後に連合国は敗戦国から領土の割譲を求めず、領土拡大はしない」ことを宣言したものです。この宣言は、ソ連も合意しています。
領土が確定されて以降、北方四島は日本の領土であったことからソ連の北方四島占領は、領土不拡大宣言に反しています。これが、日本でのわが国固有の領土で北方領土返還を求める根拠となっています。
ロシアとの北方領土問題が進展しない理由
ロシアとの北方領土問題の交渉が進まない理由が、軍事上の理由が挙げられます。
国後島と択捉島の間にある国後水道は、冬でも海が凍りません。もし、この場所を日本に帰しアメリカ軍が駐留すると、ロシア軍はオホーツク海から国後水道を通り太平洋を抜けることができなくなります。
軍事上、非常に不利な立場になるというわけです。
ロシアのプーチン大統領も「島を日本に返還するとそこに米軍が展開する可能性が有る」と懸念も表明していほどです。
ロシアは現在、国後島と択捉島に地対艦ミサイルを配備し守りを固めています。
北方領土問題のロシアとの交渉の歴史
これまで、ロシアとの間で北方領土問題の交渉の余地がなかったわけではありませんでした。2001年に日露両国で出されたイルクーツク宣言では、1956年に出された日ソ共同宣言が今も有効であると確認されました。
日ソ共同宣言…両国が平和条約を締結したのち北方四島のうち歯舞と色丹の二島を引渡すことを定めたものだよ。
当時、日本ではまず二島を返還してもらい、その後に残りの返還交渉を行うつもりでした。しかし、平和条約締結の交渉が難航。さらにソ連が米軍の日本引き上げが二島返還の条件に加えてきたので、交渉自体が暗礁に乗り上げてしまいました。
その後、日ソ共同宣言の内容は有効性自体あいまいなものとなっていましたが、イルクーツク宣言でまだ有効であることが双方で確認したのです。
イルクーツク宣言のあと、日本政府の中では二島返還先行論が検討されますが、四島同時返還を主張する人が多く二島先行返還プランはなくなりました。
また、2006年にプーチン大統領が「双方が妥協して領土問題を解決したい」と発言したことにより、ロシア側から北方四島を面積で折半する案が出されました。当時の外相・麻生太郎氏も「検討の対象になる」と柔軟な姿勢を見せます。
しかし、総理に就任した麻生氏が「ロシアが北方領土を不法に占拠している」と発言し、ロシアがへそを曲げ態度を硬化。これ以降北方領土問題が進展することがありませんでした。
サンフランシスコ平和条約と二島返還先行論
今でこそ日本は四島返還論を主張していますが、1950年代は二島返還先行論が主流でした。1951年に日本は、48か国とサンフランシスコ平和条約を締結し、敗戦から続いていた占領状態が終わりました。
この条約の一文に「千島列島を放棄する」という内容が含まれていたことから日本が北方四島を失う法的な根拠となりました。しかし、日本は国後と択捉島は千島列島に含まれるが、歯舞と色丹島は北海道の一部であることからこの二島は返還されるべきと主張したのです。
サンフランシスコ平和条約で千島列島を誰が領有するか決められていませんが、実際にはソ連が実効支配していたので、日本はソ連と交渉を始めました。
ところが、アメリカが【歯舞と色丹の返還だけで交渉を終わらせ国後と択捉をソ連に渡すなら沖縄の返還は白紙に戻そう】と圧力をかけてきたのです。冷戦構造の中で、日ソが歩み寄ることはアメリカ的にも都合が悪いことでした。
以降、日本は二島返還先行を取り下げ、四島一括返還論に切り替えました。
千島列島も従来の主張から【択捉、国後も千島列島には含まれないので四島一括で反感されるべき】と主張するようになったのです。
ロシアが北方領土を領有するのはアメリカとの密約があったからなのか!?
サンフランシスコ平和条約には、日本が千島列島を放棄する旨が書かれていますが、その範囲が書かれていないことが問題視されています。そのため、日本が【歯舞と色丹は千島列島でない】【やっぱり四島は千島列島でない】と主張できたのです。
もし、千島列島の範囲が書かれいればここまで北方領土問題がこじれることはなかったと、考える人も少なくないと言います。
また、条約内で千島列島の領有国も明記されていないことも問題でした。
領有権については、ソ連が領有するのが正当だと主張しています。
その根拠は、ヤルタ会談にあります。
ヤルタ会談…1945年にアメリカ・イギリス・ソ連の首相による戦後処理についての会談で、その中で米ソで密約が結ばれソ連の日ソ中立条約破棄につながったとされているよ。
この会談でアメリカが、ソ連参戦の見返りに日本が領土している樺太南部と千島列島を戦後に領有することを認めたとされています。その合意内容を基にソ連は日ソ中立条約を破棄し北方領土を占領し、大戦に参戦しました。
上記の理由により、現在のロシアが「自分達が千島列島(北方四島)を領有して当然だ」と考えているのです。
日ソ中立条約…1941年に結ばれた日本とソ連の相互不可侵条約で、1945年にソ連が条約を破り北方四島や千島列島へ侵攻し、日本政府は条約違反だと主張しているよ。