江戸時代

江戸時代の二大文化、元禄文化と化政文化の違いと特徴

江戸時代では、1688年~1704年元禄年間1804年~1830年文化・文政年間に、それぞれ特徴的な文化が花を咲かせました。

これらの文化は、元禄文化と化政文化を呼ばれ、江戸時代の二大文化となります。

この二つの文化は、年代も違えば興った場所も特徴も違います。

江戸時代の文化は、学校でも詳しく学ぶことになるので、今回は江戸の二大文化について紹介していきます。

 

元禄文化と化政文化の違い

元禄文化と化政文化では中心となった時期、場所が異なります。

元禄文化
  • 元禄時代を中心とする江戸前期の文化。
  • 主に上方(京都や大坂)で花開いた。
  • 上方の豪商や武士が担い手で華麗で人間味を重視した文化が特徴。

 

化政文化
  • 文化文政時代を中心とする江戸後期の文化。
  • 主に江戸で花開いた。
  • 庶民でも参加できるような派手を嫌う文化が特徴。

大きな分類としては、時期と場所・特徴で分けられています。

特に文化の特徴を覚えていると、当時の作品を聞いただけでも元禄期のものか化政期なのかがわかりやすくなります。

では、元禄文化・化政文化についてそれぞれ詳しく紹介していきます。

 

元禄文化の背景と特徴

元禄文化は、17世紀後半から18世紀初頭、元禄年間を中心に栄えた文化です。

この文化は、経済の発展を背景として、特に上方(京都・大阪)を中心に発展しました。比較的富裕層の豪商や武士が担い手であったため派手な側面があり、また人間味を重視した作品も多いとされています。

この頃の江戸幕府では、文治政治のもと貨幣経済が浸透し、経済活動の活発化によって江戸では100万人都市になり、京都と大坂は30万人規模の都市にまで発展しました。

それだけでなく各地の城下町も繁栄しお金に余裕を持った町人が増えます。人はお金に余裕が出てくると息抜きがしたくなる生き物です。街の商人たちは遊里や劇場などと言った娯楽施設を整え、貨幣経済の発展を背景に派手な文化を築き上げました。

 

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主な元禄文化の絵画作品

日本独自の芸術作品【浮世絵】が確立されたのがこの時代です。

仏教的に【人生は不幸に満ち溢れている】と感じる現世の【憂き世】と呼ばれていたが、江戸時代に他の語の上に付いて当世風とか今風といった意味になり、浮世絵や浮世話が生まれました。

現実社会を【憂き世から浮き世へ】と称し、現実を肯定し楽しみ、つらい世の中を少しでも浮き浮きした気分で過ごすため、生きている人々の姿を文学作品や絵画に描きだしました。

 

元々江戸時代以前の日本では、平安時代から大和絵と言う絵画様式で多くの作品が生まれてきました。

下図のような【源氏物語絵巻】もそんな大和絵の一つです。

 

このように日本独自の絵画である大和絵を受け継ぎつつ新しい画風を開いたのが尾形光琳で、大和絵的な描写の中に斬新な構図や画面展開を取り入れ、明瞭かつ装飾的でありながら革新的な独自の様式を確立していきます。

 

浮世絵】と呼ばれる新しいジャンルの大和絵を作り出した【菱川師宣】もこの時代を代表する画家です。

 

上記の尾形光琳の大和絵の代表作【燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)は、一面にカキツバタの花を描いた大胆なデザイン屏風絵です。この光琳の画期的な絵のデザインは、海外からも高く評価されています。

 

元禄文化の大きな変化は、浮世絵の登場でした。

これまでの大和絵は、風景や植物などを主に描いていましたが、菱川師宣は遊女や歌舞伎俳優などの風俗画を描き【浮世絵】と呼ばれる新しいジャンルを作り出しました。

菱川師宣の代表作である見返り美人図は、緋色の衣装を身に着けた女性が、見返る様子を描いたもので、世界的にも有名な浮世絵です。

女性画の人気の高さは【師宣の美女こそ江戸女】と称されるほどの高評価だったと言います。

 

 

元禄文化の代表的な文学作品

絵画芸術の世界で、新しいジャンルが登場した元禄文化ですが、文学作品の分野でも新しいジャンルが確立されていきました。

井原西鶴の浮世草子

草子とは、冊子形態になった図書の事を言います。随筆冊子【枕草子】、江戸初期の文芸冊子【仮名草子】そして、井原西鶴の【浮世草子】などがあります。

井原西鶴の【浮世草子】では、庶民の生活にスポットを当て書かれていました。当初この作品は、【仮名草子】と呼ばれていましたが、代表作の一人の男の恋愛遍歴を色っぽく描いた『好色一代男』などの【好色物】や町人や武士の経済生活を描いた町人・武家物の要素を持っていた事から浮世草子と呼ばれるようになりました。

近松門左衛門の人形浄瑠璃

曽根崎心中】に代表される、町人の生活を描いた【世話物(心中物)】のジャンルで大流行した人形浄瑠璃は、三味線の音色に乗せて人形で芝居を演じる人形劇でした。近松は、世話物のほかに歴史上の出来事を脚本化した【時代物】ジャンルでも作品を残しています。

松尾芭蕉の俳諧

松尾芭蕉と言えば、東北・北陸地方を巡ったときのできごとを俳諧とともに記した『奥の細道』は、全学年通して覚えておいてください。国語の教科書でも出てきます。

松尾芭蕉以前にも俳諧の一派がありましたが、奥の細道以降は俳諧は芸術としての深みを得ることになり全国的に広まっていきました。

  • 夏草や 兵どもが 夢の跡
  • 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
  • 古池や 蛙飛び込む 水の音
  • 五月雨を 集めてはやし 最上川

この辺の俳句は私がなんとなく聞いたことがあるので、学校でも習ったかもしれません。

 

元禄文化の学問

元禄文化期には、学問にも関心を示す者も多くあらわれ、現実的・合理的な精神が広く浸透し、儒学や古典研究、歴史研究等の様々な学問も発達しました。他にも本草学・医学・国文学などが発達しますが、それを支えたのが観察や実験や実証的な資料研究といった、合理的精神に基づく学問研究の手法でした。

儒学の流派

儒学には朱子学・陽明学・古学という大きく分けて三つの学問流派があります。

朱子学

社会の身分秩序を重視する学問で、南宋の朱熹によってまとめられました。日本では藤原惺窩がこれを始め、林羅山・木下順庵・新井白石などを輩出しています。

陽明学

朱子学を批判して社会矛盾を実践的道徳(「知行合一」)によって改めようとした学問で、明の王陽明によって創始されました。中江藤樹と熊沢番山が有名で、のちに民衆のために反乱を起こした大塩平八郎も陽明学者でした。

古学

日本独自の儒学の総称で、さらに聖学・古義学派・古文辞学派などいくつかの学派に分類されます。古典研究を重視して復古主義的な性格を持ったのが特徴で、山鹿素行(聖学)・荻生徂徠(古文辞学派)・太宰春台(古文辞学派)・伊藤仁斎(古義学派)が代表的な学者でした。

 

広い分野でめざましい発達を見た元禄文化でしたが、1703年の元禄地震がキッカケで終焉の時を迎えます。

 

化政文化の特徴と背景

化政文化は、江戸時代後期の文化文政時代1804年~1830年)を最盛期とした江戸を中心とした町人文化を指します。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳などの一般的に知られている江戸の時代の町人文化が全盛期を迎え、国学や蘭学が大成した時期でもあります。

これまで田沼時代の宝暦~天明期に属する事柄も化政文化とされてきましたが、近年では新たに宝暦・天明文化の新しい区分が定義されおり、杉田玄白や本居宣長、与謝蕪村などがこの時期に変更されているそうです。※今回は化政文化に盛り込みます。

 

元禄時代の文化は上方を中心に起こりましたが、化政文化は次第に文化の中心は江戸へと移って行くのが特徴で、18世紀後半から19世紀前半には江戸の町人が経済的発展を遂げ、新たに文化が隆盛します。

その内容は、元禄文化の流れを汲みながらさらに新しい文化や学問が花開いていくのが特徴となっています。

元禄文化のように派手さは少なくなり、化政文化は大衆文化が花開いた文化で庶民も参加できるようになりました。また、人々の移動が多かった時代だったので、文化も地方に持ち込まれる事もありました。

 

寛政の改革が終わってからは、しばらく日本は無事平穏で作物もよく取れる時代が続きました。このように平和な世が続けば、人々は娯楽に回す余裕が出てきます。しかも、財力がものをいう文化ではなかったので、庶民の間で一気に大衆文化がひろがっていきました。

また、貨幣経済が農村にも浸透したことや全国の城下町、港町などが発展を遂げたこと、そして誰でも参加できる文化であることも相まって地方にも波及していきました。そして、この頃から外国が日本に接近したこともあり洋学が流入し今までの朱子学や幕府の体制に対して反発的な学問が芽生えたのもこの時期です。

 

化政文化の有名文化

この文化で有名なのは【歌舞伎】で、元々庶民向けではなかった歌舞伎は、化政文化期では庶民も鑑賞できるくらいの価格帯になり、民衆に人気がありました。

脚本家の鶴屋南北が手掛けた『東海道四谷怪談』は有名になり、また市川團十郎、尾上菊五郎などの名優も生まれました。

また、庶民生活の滑稽さをテーマにして描いた滑稽本、恋愛事情を描いた人情本、勧善懲悪をテーマにした歴史文学である読本、勧善懲悪や恋愛などをテーマに子供でも読めるような内容である合巻などの読み物が流行しています。

 

化政文化でも浮世絵が流行りだしましたが、元禄期との違いは、多色刷りの木版画技術が開発されたのが大きな特徴です。

木版画は現代でいうところのコピー技術で多色刷りはいわばカラーコピーができるようになったということです。

 

 

この技術のおかげで浮世絵は爆発的に広まりました。

上記の安藤広重の『東海道五十三次』や右図の葛飾北斎の『富嶽三十六景』はおなじみの作品となりました。

 

また、一部の余裕のある町人の中には狩野派や土佐派などに絵を学び自らが画家となる人もいました。そんな人たちの絵を文人画と言います。

出版技術の広まりで各地の様子が知れるようになった民衆が、自分の目で見るために聖地巡礼のような旅行も流行しました。これは、御蔭参り、西国三十三ヵ所、四国八十八ヵ所として今でも文化として残っています。

そして、江戸の人間が地方を回れば地方にも江戸の文化が伝わるのが、この化政文化の特徴と言えます。

 

 

各文化の作品名や作家名を挙げるときりがないので、学校で習うであろう有名なものを取り上げてみました。ほかの作家たちに興味がある人は、歴史資料集などを参考にすると良いと思います。

 

元禄文化の有名人の覚え方

元禄文化と化政文化には有名な語呂合わせがあります。

元禄文化の有名人

「元禄が、近い日を待つ」

  • 近…近松門左衛門⇒浄瑠璃・歌舞伎脚本作家 【曽根崎心中
  • い…井原西鶴⇒俳諧師・作家【浮世草子
  • 日…菱川師宣⇒浮世絵師【見返り美人※浮世絵の祖とも呼ばれる
  • を…尾形光琳⇒大和絵師【燕子花図
  • まつ…松尾芭蕉⇒俳人【奥の細道※その芸術性の高い俳句から【俳聖】と呼ばれる。

化政文化の有名人と主な作品

「家政婦の清子、家事・歌が好き」

 

  • →喜多川歌麿…浮世絵師【ポッピンを吹く女】【寛政三美人
  • →与謝蕪村…俳人で小林一茶や松尾芭蕉と並ぶ江戸の三大俳人の一人
  • →小林一茶…江戸時代には一世を風靡した俳人ですが現在では賛否両論も…
  • →葛飾北斎…浮世絵師【富嶽三十六景
  • →十返者一九(じっぺんしゃ いっく)…戯作者【東海道中膝栗毛
  • →歌川広重(安藤広重)…浮世絵師【東海道五十三次
  • →滝沢馬琴…戯作者【南総里見八犬伝原稿料で生計を立てた日本で初の作家

 

ここに出ている人物は、私が歴史を学んだときに聞いたとのある人ばかりなので、覚えておいて損はありません。どの人がどの文化の時代に活躍し、作品を残したか自分たちで調べてみましょう。

 

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歴ブロ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから始めました。 文章メインのmiumagaとイラストメインの歴ぶろで運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いつか歴史能力検定を受けたい。どうぞよろしくお願いします。