平成

第二次世界大戦後の日本政治史 ③ 

1998年の参議院選挙で事実上の敗退をした責任を取る形で橋本龍太郎首相が辞任し、自民党総裁選の結果、小渕恵三が総裁となり首相に任命されました。

この頃は、バブル経済の崩壊による経済不況の回復が重点課題となった時代で、香港・タイ・インドネシア・韓国などのアジア諸国の経済を破綻に追い込んだ世界的金融危機があり、ロシアのデフォルトに陥り、ブラジルも破綻をするのではないかと深刻を極めていました。

2020年現在、日本で唯一の破綻銀行である北海道拓殖銀行が破綻したのも1998年になります。

 

平成オジサン小渕恵三内閣【1998年~2000年】

小渕内閣成立当初は、自民党単独内閣として成立しましたが、後に公明党・自由党が連立し自自公連立政権がしばらく続きます。

また、小渕首相は【経済再生内閣】と位置づけ、【二年以内に景気を回復軌道に乗せる】と所信表明演説で国民に約束をしました。即座に経済戦略会議を設置して具体策の作成に着手し、具体策の作成に着手します。

 

2000年には、ミレニアム(千年紀)に当たり、世界的にコンピューターの誤作動、いわゆる「2000年問題」が懸念されましたが、国、地方自治体、産業界の周到な準備によって大きな混乱もなく、新しい年を迎える事が出来ました。

金融危機の中に、参議院で自民党は過半数割れという最悪の状態から発足した小渕内閣は、野党の攻勢に何度も苦しめられながら政権運営を行っていました。

功績としては、国旗・国家法の制定日米防衛ガイドライン関連法の整備衆参両議院における憲法調査会の設置などの懸案事項を実現させています。しかし、沖縄サミットを迎えようとした矢先に病に倒れ、62歳と言う若さで帰らぬ人となりました。

 

日本新生 森喜朗内閣 2000年~2001年

前小渕首相の不測の事態によって政権を受け継いだ森喜朗は、小渕政権の閣僚をすべて再任しさせ内閣を発足させました。森と小渕は、早稲田大学雄弁会時代からの盟友で、病床の小渕前の心情を思い、その志を引き継いで身命を賭して国事に取り組んでいくとの決意をしたのでした。

 

森内閣が最初に直面した難問は、北海道、宮崎県で猛威を振っていた家畜伝染病の一つである口蹄疫問題で、玉沢徳一郎農水相を中心に、ワクチン手配を始め対応に当たりました。その結果、被害拡大を防ぎ、短期間で収束させることができました。

森首相は景気と経済、高齢化社会に向けた改革、教育の改革の三分野を柱に、経済構造改革の目玉としてIT(情報技術)革命の推進を掲げた「日本新生プラン」を発表し、連立政権を組む公明党、保守党と力を合わせて選挙を戦い抜き、議席は減らしましたが連立与党合わせ絶対的安定数を確保し再び政権を担う事になります。

 

外交では、任期一年余りで24か国の国を訪れ、沖縄サミット前後の連休には就任後初の外遊先としてロシアを選びました。以降森首相は、ロシアと日本との友好関係促進のため、在任中、五回にわたってプーチン大統領と会談し、プーチン大統領との親密な個人的信頼関係を築き、北方領土問題を含めた諸懸案の前進を図ろうと努力を重ねました。

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自民党だけではなく日本も壊した!? 小泉政権

森喜朗の退陣を受け、2001年4月の自民党総裁選で【自民党をぶっ壊す】【私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力】などの熱弁を振るい、変化を求めていた大衆の支持を得て党員票などをまとめ上げ、自民党総裁に当選します。

2001年4月に小泉純一郎内閣が発足すると、自民・公明・保守党の連立政権が成立します。

 

内閣発足時の支持率は、なんと87%以上にもなり戦後の内閣としては歴代1位の数字をたたき出しました。その高支持率を背景に【構造改革なくして景気回復なし】をスローガンに道路公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団なその特殊法人の民営化などの小さな政府を目指す【官から民へ】と【中央から地方へ】の聖域なき構造改革を打ち出しました。

小泉内閣の本丸は、郵政三事業完全民営化を掲げました。

しかし、特殊法人の族議員たちや郵政議員たちなどの強い反発にあう事になります。

 

小泉内閣の様々な改革

構造改革なくして景気回復なし」と発言して事から、郵政民営化や企業法整備などの日本国内の供給面での構造改革を通じた拡充と安定が日本経済の回復にも貢献すると考えていました。

特別会計改革と政策金融機関再編

財政投融資改革を行い、それにあわせて不要となった特別会計の廃止、再編を行われ、21あった特別会計を18に統廃合します。

政府系金融機関であった住宅金融公庫は独立行政法人住宅金融支援機構に、国民生活金融公庫・中小企業金融公庫・農林漁業金融公庫を統合し株式会社日本政策金融公庫に改組して、非公務員化をしました。

改革の目玉である、郵政民営化を行い、官営金融であった郵便貯金・簡易保険は民営化され、残債は独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構が引き継ぎました。

この頃の規制緩和が格差社会を生み出すことに!?

2001年に政府は、規制緩和推進3か年計画を閣議決定し、2003年時点で222件の規制緩和措置を行いました。

箇条書きにすると…

  • 酒類販売業の免許を改正し新規販売参入の緩和
  • 卸売市場法を改正し、開設許可についての需給調整規制緩和
  • 割賦販売法を改正し、新規参入についての需給調整規制緩和
  • 銀行法を改正し、新規銀行免許発行についての需給調整規制緩和
  • 貨物自動車運送事業法を改正で、第一種貨物利用運送事業への参入を緩和
  • 農地法を改正し、株式会社による農地経営を解禁。
  • 医薬品15製品群を医薬部外品にし、胃腸薬等を一般店舗で販売できるよう
  • 税理士法を改正し、税理士試験受験資格について業務従事経験年数を一律3年に短縮。
  • 公認会計士法を改正し、公認会計士試験について特定者に課していた一次試験を撤廃、全員が二次試験からの受験に。
  • 道路交通法を改正し、民間人による駐車監視員制度を導入。
  • 会社法を改正し、株式会社の最低資本金を1円からに。
  • 地方自治法を改正し、指定管理者制度を新設。

 

日本のこれまでの構造の変化を望み、選んだ小泉政権ですが特殊法人民営化による効果が薄く、様々な規制緩和の結果「勝ち組」「負け組」の二極化を作り出し、地方経済の疲弊、自己中心的なメンタリティーの増殖の問題を生み出したと言われています。

2006年9月に小泉総裁の任期満了を機に小泉内閣は総辞職しました。

 

自民党の迷走と政権交代

2006年9月に自民党の総裁選挙が行われ、安倍晋三が選ばれました。

これ以降、2009年まで安倍晋三⇒福田康夫⇒麻生太郎と一年単位で総理が後退していくことになります。

 

2007年の参議院選では、【改選前⇒自民110議席 民主81】から【改選後⇒自民83 民主109】と歴史的大敗をし、民主党は初の第一党となりました。

2007年~2008年福田康夫内閣では、衆議院では与党、参議院では野党が多数を占めると言う【ねじれ国会】状態にありました。そのため、衆議院で可決された法案が参議院で野党に否決されたり、審議を拒まれたりと、福田首相にとって政治が思うように進められない事から、2008年に総理を辞任しました。

 

2008年9月より総理となったのは麻生太郎で、現政権でも副総理のポストについている、すぐに口が滑ってしまう事で有名ですね。当初は、解散ありきの政権だったとされますが、10月16日リーマン・ショックに端を欲する世界的金融危機を受け、その対応に当たるために解散は先送りとなりました。

前任者の安倍、福田の2代連続の「政権投げ出し」で国民が自民党に不信感を持ったこともあり、麻生内閣組閣直後の支持率は50%以下と振るわず、さらにリーマン・ショックやサブプライムローンの影響による世界的金融危機のダブル・トリプルパンチで思うような政策が振るえませんでした。

 

リーマン・ショック後の対応と自民党内の麻生おろし動きの中、2009年7月21日に衆議院が解散となりました。9月10日で任期いっぱいだった事からほぼ任期いっぱいの解散でした。

 

政権交代が悪夢の始まりだった!?

8月30日に衆議院総選挙が行われ、民主党が308議席を獲得し圧勝します。

与党は自民党と公明党の合計で公示前の331議席から191議席を減らし、自民党は
119議席と、初めて第一党の座を失いました。

 

国民の圧倒的な支持の下、民主党の鳩山由紀夫が、第93代内閣総理大臣に指名され、社民党(党首・福島瑞穂) 、国民新党( 党代表・亀井静香 )とともに、3党の連立内閣を発足させました。

鳩山首相は、政治改革をめざし国家戦略局を作りました。今までは国の役所が予算や政策作りを行ってきたが、これ以降、国家戦略局が予算の骨子や政策・外交など国の基本政策方針を決め、予算を組む際も、財務省にまかせず、国家戦略局が担当することに…

官僚任せの政治から政治家主導にする事が目的で、菅直人が国家戦略担当大臣を務める事になりました。また、首相直属の機関で行政刷新会議を設立し、国の事業を根本から見直し、政治のむだづかいを洗い出し、不正や廃止を行い監視します。

2010年度の予算案作りでも概算要求からむだを洗い出す「事業仕分け」を行い、「廃止」「見送り」を判断し、約2兆円の削減を行い、【2位じゃダメなんですか?】と言う迷言が誕生する事になります。

 

しかし、普天間基地移設問題で、最低でも(沖縄)県外へと約束していましたが、その実現が難しいと判断し、移設先を名護市辺野古周辺と閣議決定したのですが、社民党党首の福島瑞穂・消費者担当相が閣議決定への署名を拒んだため、福島氏は罷免され社民党が連立政権から離脱する事になりました。

 

裁定でも県外の約束が果たせなかった鳩山由紀夫首相は、辞意を表明し、戦後初めて総選挙による政権交代した政権は、在任期間262日と現憲法下の内閣では5番目の短さでした。

 

なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのか??沖縄基地問題について。 アメリカによる日本の統治から6年後の1951年に、サンフランシスコで国際講和会議が開かれることになりました。 そこで、サンフラ...

 

菅直人内閣ではあの災害が…

2010年6月には、民主党代表選挙が行われ、菅直人が選ばれ、同日、開かれた国会で、菅直人は第94代内閣総理大臣に指名されました。

7月に行われた参議院選挙では、与党・民主党が10議席減らし、野党・自民党が13議席増やす結果になりましたが、新勢力としてみんなの党が11議席ふやす躍進を見せ、与党が過半数割れし【ねじれ国会】状態となりました。

 

2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、菅内閣は地震、津波、原発事故が重なる複合的な災害の対応に追われることになりました。しかし、震災対応は後手後手に回り、次第に菅内閣への批判が集まるようになりました。

菅批判を受け6月には、菅内閣への不信任決議案が出されるが、菅直人は一定のメドでの退陣を表明し事で、不信任決議案は否決される事に…

 

約束通り8月には菅直人首相が辞任し、民主党の新代表に野田佳彦が選ばれ、第95代の内閣総理大臣に指名されました。

2012年6月に消費税を現5%から段階的に8%⇒10%に引き上げる、消費増税関連法案が衆議院で可決されると与党・民主党から反対57名・棄権と欠席16名という大量の造反が出て、民主党は事実上の分裂状態となりました。

この造反した多くは小沢一郎を中心とした議員で、7月には民主党を離党し小沢一郎を代表とする新党・「国民の生活が第一」が結党させます。

 

2012年7月12日の衆参勢力図

衆議院 定数 480参議院 定数 242
民主党 250民主党 91
自民党 120自民党 86
国民の生活 37国民の生活 12
公明党 21公明党 19
国民新党 4国民新党 3
その他野党 46その他野党 31

 

2012年11月に衆議院が解散し、その後の総選挙で、自民党が過半数を大きく上回る294議席を獲得し、政権を奪取します。再び連立を組む公明党と合わせると3分の2を超える325議席に達したのに対し民主党は57議席しかとれず、3年3ヵ月で政権を譲り渡しました。

その他、自民・民主以外の「第三極」の動きも注目され、石原慎太郎代表・橋下徹代表代行の日本維新の会は54議席を獲得し、民主党に迫る勢いでした。一方で小沢一郎の【国民の生活が第一】が9議席しか取れませんでした。

 

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第二次安倍政権の発足

2012年12月より自民党政権が復活し、2007年以来の安倍晋三が自民党総裁に返り咲き、自公連立政権を発足させます。戦後の総理大臣としては、吉田茂以来の内閣総理大臣の際せんでした。

翌2013年の参議院選挙でも自民党が圧勝し衆参のねじれ国会が解消されることになります。この第二次安倍政権以降、2020年9月まで一度も選挙を負ける事が無く続きました。

2012年12月~2020年8月24日時点で、佐藤栄作首相の2798日を超え連続在任期間トップになりました。

 

終わってみれば、デフレ脱却を掲げるも実際に安倍政権は、国民の格差社会を拡大させるグローバリズムや新自由主義に奉仕する政策ばかり採ってきました。

TPP参加、農協改革、種子法廃止、労働者派遣法改革、漁協法改革、国有林野管理経営法改革、水道法改革、入国管理法改革、発送電分離、消費増税、そしてPB黒字化目標という緊縮政策等と挙げればキリがありません。

これらの政策は、国内産業を圧迫し、外資の自由な参入を許し、格差を拡大する「亡国政策」と言われています。私たちの実感も、給料が上がっても上がった以上の社会保険等や税金でとられることになり、実質給料ダウンになった気がします。

 

外交面では、アメリカファーストを掲げて当選したトランプ大統領に、世界の政治指導者としては最初に面会して関係を確保し、その後良好な関係を維持しながら、アメリカを国際社会につなぎとめる事に成功しています。

また、民主党政権下で拗れた尖閣諸島の購入問題を解決し、日中双方が政治的に妥協できるレベルにまで関係を戻しました。

 

次期が前後しますが、G7伊勢志摩サミットの際のオバマ大統領の広島訪問は、安倍政権の大きな成果ともいえるのではないのでしょうか?しかし、大きく課題が残ったのは、自分の任期内に解決すると豪語していた北朝鮮による日本人拉致問題の未解決と、ロシアとの北方領土交渉でしょう。

 

第二次政権発足以降、旧民主党政権の混迷から政治の安定を実現させた面では、良かったと思います。2020年の一連の新型コロナウイルス感染症の拡大で、日本経済が危機的な状況に直面する中、安倍晋三首相が任期半ばで退陣することになり、9月16日には菅義偉総理が新しく誕生しました。

新型コロナウイルと言う前代未聞な事態に、より困難な政治のかじ取りが迫られる菅首相は、安倍政権で先送りされた課題が多い上に、コロナ後の社会の設計図を描く必要があるため、今までの首相以上に頑張ってもらいたいものです。

 

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歴ブロ
歴史好きが高じて、日本史・世界史を社会人になってから始めました。史実を調べるのも好きですが、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いずれ歴史能力検定を受ける予定。どうぞよろしくお願いします。