憲法9条と自衛隊 なぜ今憲法改正が必要になっているのか??
1947年に日本国憲法が施行され以来、一度も改正されることなく現在まで来ました。
これは他国と比べても珍しいことで、1949年にドイツで制定されたドイツ憲法はこれまで60回、1958年に制定されたフランス憲法も24回改正されています。また、1787年に制定されたアメリカの憲法も戦後に6回改正されています。
日本でも近年、日本国憲法改正に向けた動きが慌ただしくなってきいます。
自民党が【憲法9条に自衛隊の存在を明記】【緊急事態対応】【教育の無償化】【参議院の選挙区の合区解消】の4項目の改正案を国会に提示する事を計画しています。
これまで日本で改憲をめぐる論議は、第9条を中心に行われてきました。
日本で憲法を改正する手順は、衆参両議院で総議員の3分の2以上の賛成が得られると、国会は国民に憲法改正を発議。その後、国民投票が実施され過半数以上が賛成すると憲法改正が承認されます。
現在、国会には憲法改正に前向きな政党に属する議員が3分の2以上占めており、改正が発議され国民投票まで行く可能性は十分にあり得ます。
しかし、これまで改正していなかった日本国憲法をなぜ、今になって改正する動きが出てきたのでしょうか??
日本国憲法の施行と自衛隊の誕生
日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第九条…日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
第二項…前項の目的を多数るため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本国憲法は1947年に施行されています。
しかし、第9条は決して順風満帆な始まりでありませんでした。
現在、第9条改正に反対をしている共産党も憲法施行当初は【自衛権を放棄する事は民族の独立を危うくする危険がある】として9条に対して否定的でした。また、公職を追放された右派勢力の一部にも戦争放棄や象徴天皇制に反対する人たちが多くいました。
そんな状況下で平和憲法の制定を強要してきたアメリカ自身が、冷戦による対立が激化する中で1948年に日本の占領政策の転換をします。日本を社会主義勢力拡大の防波堤にするために経済力や工業力の回復に舵を切ったのです。
さらにアメリカの国防省は日本軍の再編成を計画しました。こうして、軍隊を放棄した日本の憲法は早くも9条との整合性が問われる事態となりました。
しかし、GHQを指揮したマッカーサーは日本の再軍備に反対で、国防相と対立します。日本でも吉田茂首相が早期の再軍備は経済的な負担が大きく復興を遅らせることになると考え、マッカーサーの力を借りながら再軍備を避けようとしました。
ところが1950年に朝鮮戦争が勃発し事態は大きく動きます。
日本に駐留していた米軍が朝鮮半島に動員されたため、日本を警備する部隊がいなくなり、マッカーサーは警察予備隊の設立を命じます。吉田首相もこれに応じ、警察予備隊【後の自衛隊】が生まれました。
憲法改正が不可能だった55年体制
1955年に自民党が政権を担い、社会党が野党第一党を続ける【55年体制】が始まりました。この体制は40年続き、まさに日本が湾岸戦争やPKO派遣などで揺れ動いた90年代前半に崩壊しました。
元々自民党は、保守勢力の日本民主党と自由党が合流して結成された党です。
結党以来、憲法改正を党是に掲げてきました。
特に、旧日本民主党の議員たちが【今の憲法はアメリカから押し付けられたもので、自分たちで憲法を作り直す必要がある】と主張し、旧自由党がこれを受け入れました。
ところが55年体制下では、憲法改正の論議が上がる事すら稀でした。
社会党をはじめとした9条擁護を掲げる革新勢力が国会で三分の一以上議席を占めており、現実問題として国会で憲法改正の発議を行うことが困難でした。
こうした憲法改正の発議できる要件が厳しいのを硬性憲法と呼び、この要件の厳しさが日本国憲法改正がこれまで一度もされ来なかった要因の一つと考えられています。
また、憲法9条を盾にアメリカからの防衛費増額も断ることができたのも改正にメスが入らない要因の一つでした。しかし、自衛隊だけでは日本を守り切れないので、そこは日米安保条約の中で補完し、辻褄を合わせていました。
こうして防衛費として予算を組まなくてよくなった分を自民党は経済政策につぎ込み、日本は高度経済成長へと突き進むことになりました。
55年体制前は国民は再軍備を求めていた
55年体制の時には改憲は不可能だった事とメリットが少なかったのは先述した通りです。
では、55年体制以前はどうだったのでしょうか??
1951年9月の朝日新聞の世論調査で【日本も講和条約ができ独立国になったのだから自国を守るために軍隊を作らなければならない】と言う意見に賛成か反対かを問うと、【賛成】が71%を占めていました。
ところが、1954年に自衛隊法が成立し、保安隊と警備隊が統合して自衛隊が発足すると世論が変わってしまいました。
同じく朝日新聞で1955年11月に世論調査を行ったところ、第9条改正に賛成が37%、反対が42%でした。以降の調査では護憲派のほうが徐々に多数派を占めるようになっていきます。
反対派の中には【憲法9条を改正せずに自衛隊を持つことが可能なら、わざわざ改正しなくても正規の軍隊を持つ必要はない】と考えた人もいるようです。
こうして、憲法9条と自衛隊の共存が多く人に承認され、55年体制下では改憲されることはありませんでした。
第一次安倍政権発足から改憲の動きが加速化
2006年に第一次安倍政権が発足すると改憲の動きが加速し始めます。
当時、日本では憲法9条の条文と現実の自衛隊の活動の乖離が問題になっていました。2003年のイラク戦争後の戦後復興支援の為の【イラク特別措置法】が制定され、これまでのPKO活動とは違い、治安の悪い地域での活動が行われるために、自衛隊が武力行使をせざるえない状況が起こりえます。
イラク特別措置法…イラク戦争後に両国の支援と債権を目的にけが人の手当などの人道支援、輸送機関の補給など安産確保支援を活動内容としています。
そんな危険な地域に自衛隊を派遣しても大丈夫なのか?そもそも今の自衛隊の活動と、戦力の不保持や交戦権の認否をうたっている憲法第9条との整合性はどうなっているのかと言う声が上がっていました。
そんな中で改憲によって第9条の中に自衛隊の存在を明記すべきではないかと論議が盛んになりました。
安倍首相は、明確な改憲論者でした。
2007年に改正案発議後に行われる国民投票の方法を定めた国民投票法が成立。同じ年に実施された参院選の自民党マニフェストに【10年改憲発議】を公約掲げました。
ところがこの選挙で自民党が惨敗し、安倍首相も辞任。その後も自民党低目が続き、ついに野党であった民主党が政権を取ってしまい改憲どころではなくなってしまいました。
しかし、2012年に安倍首相が政権に返り咲き再び改憲への意欲を燃やすことになります。
憲法解釈の変更で自衛隊の海外派遣が可能に…
イラク特別措置法が成立された時に憲法9条との整合性が問われましたが、1992年にPKO協力法の時も同様の議論が起こりました。
PKOとは、国連平和維持活動の事で、国連の統括下で加盟国から派遣された人員が、紛争地域における停戦の監視や治安維持に取り組む活動です。
日本は1991年の湾岸戦争のときに、アメリカから多国籍軍への自衛隊派遣を求められましたが、自衛隊の派遣は違憲として海外派遣を取りやめました。その代わりに多額の資金を多国籍軍に送るのですが、国際的には評価されませんでした。
そのため、この頃から【日本は自国の平和を守るだけではなく、もっと国際貢献に力を入れるべきだ】という声が国内で出てきました。
これまで政府は自衛隊派遣を【憲法上許されない場合が多い】と述べていましたが、PKO協力法案では【武力行使をしないのであれば派遣しても憲法違反ではない】という見解を示しました。
こうして憲法9条を変えずに解釈を変えることで海外派遣を実現させました。
これは後に【集団的自衛権の行使は違憲にあたる】と言う従来の政府解釈を変更して成立させた安保関連法の時も同じ事が繰り返されました。
このように改憲ではなく、解釈によって憲法9条が運用された事もこれまで日本が憲法改正が行われずに来た要因の一つでもあります。
1946年の新憲法審議の芦田修正が憲法解釈を可能に…
日本政府が新憲法案を国会に上程したのは、1946年3月でした。
表向きは日本政府が作ったとされていますが、ほとんどはGHQの指導の元作られました。
GHQは、大日本帝国憲法が日本を軍国主義に駆り立てた考え、日本政府に憲法改正を促しました。そこで、政府は憲法改正案を作りGHQに提出しますが、その内容がGHQの以降に沿うものではなかった事で、GHQが草案を作成して日本政府に提示しました。
そして、日本政府はその草案にのっとり新憲法案を作成し国会に上程したのです。
国会では憲法案の審議がされるのですが、その過程で9条に関する部分の修正がなされます。
修正前
国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、他国との紛争の解決手段としては、永久にこれを放棄する。
陸海空軍その他戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権はこれを認めない。
修正後
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この芦田修正では、国際紛争を解決する手段としてと前項の目的を達するためとありますが、この修正によって【国際紛争を解決する手段としては戦力を保持しないが、自衛のための戦力保持を否定しているわけではない】という解釈の余地が生まれます。
そして、これが後の自衛隊の存在を合憲とみなすことになるのです。
こうしてみていくと、憲法9条と自衛隊は、その整合性をいかに図っていくかの歴史であったと言えます。そして、現在もその整合性を図るために9条改正の論議が盛んになっていくことでしょう。