江戸幕府の支配の仕組みとは??
江戸時代の支配は幕藩体制と呼ばれ、江戸時代初期の三代将軍・家光の頃までにおおよその土台が作られています。今回はこの幕藩体制や幕府にあった職制を文字だけじゃなくイラスト付きで紹介していきます。
幕藩体制の構造
豊臣政権以前は荘園やら武士支配の領地やらが入り交ざった状態でしたが、太閤検地を経て土地の所在がはっきりするようになりました。荘園がなくなったのです。もちろん江戸時代に入ってもその状態は続きます。
強力な領主権を持った将軍と大名が↓の図のような形で土地と人民を統治する体制を幕藩体制と呼んでいます。
※知行地とは、偉い人が服従した者に与えた土地のこと。
なお、全国の総石高は約3000万石のうち
直轄領 → 約400万石
全旗本・御家人(主に旗本領) → 約300万石
全国の大名 → 約2250万石
寺社領 → 約40万石
天皇・公家 → 禁裏御料:3万石 / 公家領:7万石
これだけの石高の領地が給与されています。それぞれ御法度と呼ばれる法令で一定のルールが決められていました。
ちなみに石高で出てくる単位『石』は150kgです。
大名の場合は、最低でも150万㎏の米がとれる土地を与えられていたということになります。給与を与えられているからには働かねばなりません。
『政治』を想像すると決まりや国の方針を決めたりというようなものを想像しますが、元々の武士の本分は軍事力・武力です。大名は石高に応じた軍役を賦課され、戦時には将軍の命令で出陣、平時には城の築城や河川の工事といった普請を請け負いました。
軍役にはどんなものがあったの??
諸大名が石高によって賦課された軍役は以下の通りです(詳説日本史図録・山川出版より)。石高によって連れていくお伴の人数、武器などが定められていました。
何やら聞きなれない名前もあるので疑問のありそうな部分だけサラッとまとめていきます。
供連れ:お伴の者のこと
鎗:槍と同じ
馬口取:馬が暴れないように誘導させる
小荷駄:兵糧・弾薬などの荷物を運ぶ。人ではなく馬の場合もあった
挟箱:挟箱とは着替え用の衣類を入れた箱のこと
甲持:甲持の他に具足持、甲冑持と書かれてある書籍もあり
沓取:沓は『くつ』『履き物』のこと
※戦闘では履き物が痛みやすいことから替えの物を用意していました。図録に書かれていた沓取が草履取か沓箱持の役割かは分かりませんでしたが、どちらの仕事内容もあるようです。
石高 | 供連 | 侍 | 弓 | 鉄砲 | 鎗持 | 馬口取 | 小荷駄 | 挟箱持 | 甲持 | 沓取 | 他 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
200 | 8 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||
400 | 12 | 3 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | |||
600 | 15 | 5 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||
800 | 19 | 5 | 1 | 3 | 4 | 2 | 1 | 1 | 2 | 1 |
石高 | 供連 | 馬上 | 銃 | 弓 | 鎗 | 旗 |
---|---|---|---|---|---|---|
1,000 | 23 | 1 | 1 | 2 | ||
2,000 | 43 | 2 | 1 | 5 | ||
4,000 | 3 | 5 | 2 | 10 | 1 | |
8,000 | 7 | 15 | 10 | 20 | 2 | |
10,000 | 10 | 20 | 10 | 30 | 3 | |
40,000 | 45 | 120 | 30 | 70 | 8 | |
80,000 | 130 | 250 | 50 | 110 | 15 | |
100,000 | 170 | 350 | 60 | 150 | 20 |
さらに、大名の居城は一つ限りとする一国一城令、大名を統制するための武家諸法度などの決まり事も制定し、将軍と諸大名の主従関係が3代将軍家光の頃までに確立されました。
このように、江戸幕府の場合は軍役を始めとして、参勤交代(一年ごとに国元から江戸に出張)や普請などを諸大名に課して大名の力をとにかく抑えようとしている意図が見え隠れしています。
その一方で、大名達がお金を使ってくれたり土地を整備したりしてくれることは一般庶民にとっては安定に繋がり、更にこの安定が一般庶民の文化を花開かせたり識字率が高くなったりすることに繋がっていきます。
大名の配置
親藩大名:三家などの徳川一門の大名
譜代大名:はじめから徳川氏の家臣であった大名
外様大名:関ケ原前後に従った大名
というように大名は将軍との親疎関係で親藩・譜代・外様大名に分けられていました。
地図を見ても分かるように親藩・譜代は要所に、有力な外様大名はなるべく遠隔地に配置されています。
幕府はどんな仕事をしていたの?
上述したように、江戸時代には大名と旗本・御家人の違い、大名にも親疎関係によって区別されていました。そういった大名や旗本、御家人がどんな職に就いていたのかを見ていくことにしましょう。
大きく役方(行政職)と番方(軍事・警察)に分けられています。
- 役方:勘定奉行、町奉行、大目付など
- 番方:大番頭、書院番、小姓組番など
上の図でいう将軍直下の支配下に置かれた『上の立場』の職には、譜代大名が選ばれていました。中でも非常時に置かれた大老は決まった譜代大名のうち四家からしか選任されていません。
なぜ譜代大名なのか?という疑問が生まれますが、単純に言ってしまうと
親戚ほど口うるさいのはいない
というところでしょうか。室町時代には足利将軍家が親戚の鎌倉公方と揉めて幕府の影響力を低下させた事例もあるように権力を集中させすぎると歪みが生まれてしまうため、親藩大名は基本的に幕政には参加していません。
そうは言っても、江戸時代と言っても260年以上ありますから制度は変化していきます。時代が下り幕末になると、親藩大名の幕政参加が複数見られるようになりましたが。
ここに載っている他の役職に関しては基本的に旗本から選任されています。これらの役職の下に様々な組織が存在していて、そういった組織では役職についていない旗本や御家人たちが働いていたようです。
例えば、江戸城の警備には一組50人編成の旗本達が複数組織され小姓組番や書院番として当たっています。
細かい仕事内容は江戸時代の主な役職を参考にしてください。
以上のように江戸幕府はこれまでの武家政権の悪い所を改良しながら支配体制を整え、最終的には265年もの長期政権を築き上げていきました。