フランス

『百科全書』とは何か ディドロとダランベール、百科全書派とその時代

歴ブロ

18世紀半ばのフランスで『百科全書』と呼ばれる事典の大規模な出版計画が実行に移されます。

これはフランスの啓蒙思想を象徴する企画で「知の体系化」を目指したものです。自然科学や哲学だけでなく、職人の仕事や工場の仕組みまで含めた技術と学問、あらゆる当時の知識を一つの事典として整理し直していきました。

その『百科全書』の編集を担ったのがディドロダランベールです。

しかし、この企てはすぐに歓迎されたわけではありません。カトリック教会や裁判所の一部からは「宗教と道徳を乱す危険な本」として激しく批判され、発禁処分や出版特許の取り消しも経験します。

それでも『百科全書』の刊行は完全には止まりませんでした。この記事では百科全書がどのような内容か、なぜそこまで強い反発を受けたのか、その理由を整理してみたいと思います。 

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百科全書とは?簡単に解説

18世紀のフランスで刊行された『百科全書(Encyclopédie/エンサイクロペディア)』は、1751年から1772年にかけて出版された大規模な事典です。初版の中心となる本体は、17巻の本文と11巻の図版、あわせて28巻で成立しています。のちに補巻や索引も追加されました。

編集の中心人物は、哲学者ディドロと数学者ダランベールです。ディドロが企画全体を統括し、多くの記事も自ら執筆しました。一方、ダランベールは数学や物理学など自然科学の分野を担当し、『百科全書』の冒頭に置かれた「序論」で、人間の知識を分野ごとに整理した全体構想を示しました。

内容は、自然科学・哲学・宗教・政治・法律・経済・歴史・文学などの学問分野に加えて、手工業や工場技術、農業など実際の生産にかかわる知識まで幅広く含まれます。

百科全書が目指したものとは?

序論を書いたダランベールは、神学を頂点においた中世的な体系ではなく、人間の認識能力から出発して知の全体像を描き、知識の普及を目指しました。

百科全書の大きな特徴が「自然科学や哲学だけでなく、職人の仕事や工場の仕組みまで含めた技術と学問、あらゆる当時の知識」が書かれていることです。

図版巻には、織物や製鉄、印刷など、さまざまな手工業や工場の工程が細かく描かれており、学者だけでなく、現場で手と道具を使って働く人びとの技術も、人類の知の一部として記録し共有しようとしています。

あらゆる人間の知識をまとめることで、自分で学びたい人や他の人に何かを教えようとする人たちが必要な時に参照できるような事典を作ろうとしたわけですね。

なぜ宗教勢力や裁判所に嫌われたのか?

『百科全書』は読者の支持を集める一方で、カトリック教会の一部やパリ高等法院などの保守的な司法機関から「宗教と道徳を乱す危険な本」とみなされました。

宗教に関する記事が、信仰告白というより「理性の目で検証すべき対象」として書かれており、奇跡や啓示より理性と経験を重んじる姿勢が目立ったからです。神の存在そのものを全面否定はしないものの、自然宗教的な書き方や聖職者の権威を相対化する表現は、教会側には脅威と映りました。

さらに、『百科全書』には身分制や貴族・聖職者の特権、封建的な慣習を歴史的に説明し、理性に照らして妥当かどうかを問い直す記事もふくまれていました。宗教だけでなく政治や社会制度の権威まで「理性の基準で点検し直す」という姿勢そのものが、既存秩序を守ろうとする裁判所や宗教勢力から警戒されたのです。

ヴォルテールのような個々の啓蒙思想家が弾圧されてきた流れが、百科全書という大規模な出版企画に対しても続いていたわけですね。

その結果、『百科全書』はたびたび発禁処分や出版特許の停止に追い込まれますが、一方で検閲当局の一部高官や宮廷内の理解者が裏で支えたことで、版元や編集者たちは形を工夫しながら刊行を続け、最終的に全巻を完成させました。

弾圧されながらも王権の内部に協力者を得て続行されたこの事業は、宗教的・政治的な権威への無条件の服従を見直そうとする象徴的な取り組みとして、啓蒙の時代を代表する存在になっていきます。

百科全書の影響はどんなものだったのか?

多くの人が関わって長い期間苦労して作られた全28巻の『百科全書』は、決して安いものではありませんでした。

すべてを揃えられたのは主にパリや地方都市の裕福な市民層や教養ある貴族たちです。とは言え読者層は『百科全書』を揃えた人たち以外にもいて、共同で購入して回し読みするケースも多く、中には地方行政や裁判、教育にたずさわる人たちもいたようです。

当時のサロンやカフェは政治や難しい話題を議論する場でもありました。『百科全書』に載った新しい知識は度々議論の的となっていきます。

やがて様々な分野をまたいで議論したり検討したりする習慣は都市の知識人や中産階級の間にも広がり、議論の広がりや読者層も相まってゆっくりと社会の土台に影響を与えました。自由や平等といった言葉なども議論のテーマとして共有されていくことになります。

『百科全書』はフランスで18世紀半ばから後半にかけて出版された事典ですが、この 事典が出版されて十数年後に起こったフランスの大きな出来事と言えば、やはりフランス革命。このフランス革命のスローガンは「自由・平等・博愛」です。

『百科全書』はフランス革命に直接原因となったとは言えませんが、啓蒙思想を集約し、宗教や王権、身分制度を理性で見直すきっかけ、議論のきっかけとなったという意味で影響を与えたと言えるかもしれません。

百科全書派ってだれのこと?

「百科全書派」とは、『百科全書』の執筆・編集にかかわった啓蒙思想家たちをまとめて呼ぶ名前です。中心となったのは編集長ディドロと自然科学を担当したダランベールで、その周囲にヴォルテール、ルソー、モンテスキュー、テュルゴーなど18世紀フランスの代表的な知識人が集まりました。

かたい組織というより、「理性を重んじ、権威や偏見を批判的に検討しようとする」人びとのネットワークと考えるとイメージしやすいと思います。

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ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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