戦国時代

織田信長の登場は後の秀吉や家康にどのような影響を与えたのか??

歴ブロ

織田信長(1534年~1582年)は、戦国時代期において革新的かつ影響力のある人物でした。信長の行った政治、経済、文化、軍事政策は、後の豊臣秀吉や徳川家康に深い影響を与えます。

信長はこれまでの社会の構造を大きく変え、近代化への道を切り開いた存在として評価され、歴史好きにも人気がある日本の偉人です。そこで今回は織田信長が日本と秀吉や家康にどのような影響を与えたのかを紹介します。

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戦国時代の幕開けと日本統一事業への貢献

応仁の乱を発端とする戦国時代が幕開けし、日本が戦国大名が割拠する乱世の世になりました。
そこに信長が登場し、戦国の混乱を収束させるべく天下統一の道筋を作りました

信長以前の戦国大名たちは地域ごとの勢力争いに終始していましたが、信長は「天下布武」というスローガンを掲げ日本統一を目指します。信長が尾張国を統一すると、美濃の斎藤氏を滅ぼし浅井・朝倉氏、そして比叡山延暦寺や石山本願寺といった宗教勢力も倒しました。

さらに足利義昭を室町幕府将軍に擁立しつつ将軍権威を巧みに利用もします。最終的には義昭とは折り合いがつかず、将軍を追放というかたちで室町幕府が滅び、信長による中央集権体制へ踏み出しました。

本能寺の変明智光秀に討たれ道半ばで信長の統一事業は終わりを告げますが、その後の豊臣秀吉徳川家康に事業が引き継がれ、日本の近世国家形成の礎を築いたのです。

軍事改革と新兵器【鉄砲】の積極導入

織田信長はこれまでの日本の戦のあり方も変えました。

信長が積極的に導入した「鉄砲」の大量運用は戦国時代の戦術に革命をもたらし、これまでの弓矢や槍を主体とした合戦から、より効率的で近代的な戦へと変わります。

1575年長篠の戦いでは鉄砲隊を三段撃ち※の陣形で配置し、武田勝頼の騎馬軍団を壊滅させたことで、その戦術の有効性を証明しました。これにより、日本の戦争は騎馬中心のものから鉄砲戦へと移行し戦術が近代化します。さらに兵農分離を推進し、専業の兵士を抱える軍制を整え、戦国武大名の軍事体制に変革をもたらしました。

れきぴよ
れきぴよ

※これまで通説だった長篠の戦いの鉄砲による三段討ちについては諸説あり、近年の研究で見直しの見解がなされています。

経済の自由化と市場経済の発展

信長は経済構造にも変革をもたらし、楽市・楽座を推進して商業の発展を促進しました。これまでの特定の商人に与えられていた「」の特権を廃止し、市場経済を自由化したことで、多くの商人が自由に取引できる環境を整えます。

これにより城下町や宿場町が発展し商業活動が活発化し、経済の活性化が図られました。また、関所の廃止や貨幣経済の発展を促し地域間の物流を円滑にしました。

これらの政策は秀吉や家康にも引き継がれ、江戸時代以降の繁栄を築くものとなります。

また、信長が後に築城した安土城は、天守閣を持つ壮大な城郭として、その後の築城様式に大きな影響を与えています。

宗教勢力の権威構造の再構築

従来の武士や公家、宗教勢力が築いていた権威構造も信長は変えようとしました。

一向宗(浄土真宗)を中心とした宗教勢力と特に敵対し、石山戦争(1570年~1580年)では本願寺の勢力を徹底的に攻撃し、その支配力を削りました。また、比叡山延暦寺の焼き討ち(1571年)を行い、宗教勢力が政治や軍事に介入することを強く抑え込みます。

こうして信長のもとで宗教の影響を排除する政権運営を目指しました。

南蛮貿易の推進による西洋文化の導入

信長は南蛮貿易を積極的に推進し、ポルトガルやスペインなどの通じて鉄砲や西洋建築、衣服、食文化などを積極的に取り入れました。また、キリスト教をある程度容認し、イエズス会の宣教師たちを庇護することで、西洋文化が日本に流入するきっかけも作ります。

信長自身も西洋の品々を好み、南蛮風の文化を積極的に採用したことで、日本の文化に新たな価値観をもたらしました。

身分に関係なく実力があれば出世を…

織田家では家柄や身分にとらわれず、実力主義に基づく人材登用を行ったことでも知られています。武田信玄なども実力主義をとっていましたが、身分の低い農民出身の秀吉を重用したのは信長くらいなものでしょう。
明智光秀もまた中途採用組で頭角を現し、本能寺の変直前までは織田家の重臣として、その才能を発揮していました。

信長のこうした人材登用の方針は、実力があれば身分に関係なく活躍できるという考え方を浸透させ、戦国時代における社会の階層構造の流動化を促しました。

天下統一に向けた最終段階にあった信長の死

1582年6月2日織田信長本能寺の変明智光秀に討たれ、その天下統一事業は達成される事無く終わります。しかし、信長の政策や思想は後継者である豊臣秀吉や徳川家康によって受け継がれ、豊臣政権や江戸幕府の統治へとつながりました。信長が築いた経済政策や軍事改革は、秀吉や家康の政策基盤となり日本の近代国家形成の一歩を担ったといえます。

織田信長は日本において社会、経済、軍事、文化のあらゆる分野で革新をもたらしました。信長の改革は後の時代に大きな影響を与え、日本の近世化を促進する礎を築いたのです。

織田信長の有名な政策は他の大名の良い所を真似したものだった!?(歴ブロ) – エキスパート – Yahoo!ニュース

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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