江戸時代の服装は実はあれだった!!
徳川幕府の徹底した管理統治の下、始まった江戸時代ですが、5代将軍・徳川綱吉を境にゆっくりと変わり始めます。
幕府の慢性的な財政難で、少しづつ着実に徳川幕府は衰退していくのです。
それでも、約260年続いた江戸幕府は、前期・中期・後期と分けられます。
- 前期⇒初代・家康~5代将軍・綱吉まで
- 中期⇒6代将軍・家宣~10代将軍・家治まで
- 後期⇒11代将軍・家斉~15代将軍・慶喜まで
この260年の間に、15代の将軍が変わり、様々な政策を行ってきましたが、それと同時に、町の様子や食文化、暮らしぶりなども時代によって変わっていきました。
今日は、その中で服装についての移り変わりを書いて行きたいと思います。
江戸時代の服装と特徴
江戸時代初期は実用性の着流し
江戸時代といえば着物ですが、染織技術も大きく発展し、藍染め技術が出来たのもこの時代でした。庶民が唯一身に着けることを許された着物の色も、藍色でした。
現代のファッションリーダーは、モデルさん達であることが多いですが、この時代のファッションリーダーは、歌舞伎役者と高級遊女でした。彼ら彼女らの服装を庶民が取り入れて、それが流行となっていきました。
江戸時代初期の服装の特徴としては、町人でも男は外出時に袴をつけることがありましたが、女性は武家・町人共に着流しでした。
着流しとは、袴を履かなかったり長襦袢を着なかったり着物だけでさらっと着るスタイルの事を言います。
実際に着物で生活をしていたら、自然と襟元がゆったりとした服装が好まれて模様も大柄で派手なものが用いられました。帯もデザインよりも実用性を重視していました。
江戸時代初期は、オシャレより実用性が重視された時代だったようです。
江戸時代中期に小紋が流行
江戸中期になると、武家に発達した小紋が歌舞伎役者が好んで着たのをきっかけに、庶民感覚の小紋が町人たちにも愛用されるようになりました。
小紋の着物とは、下記のように着物全体に同じ模様が繰り返し描かれていて、一方向に柄を繰り返している着物の事を言います。
また、現在の着物の装いにも通じる羽織やお太鼓結びなどが登場します。
江戸後期には贅沢禁止で見えないオシャレを楽しむように…
江戸後期になると、幕府から派手な着物を禁止されてしまうので、柄自体は無地で地味なものが多くなってしまいます。しかし、小物や裏裾、髪型や着こなしでオシャレを楽しむようになります。
柄も無地ではあったものの、色の濃淡で着こなしてみたりと工夫を凝らしていたようです。また、一見地味に見えても、実は手の込んだ模様(江戸小紋など)を編み出したり、規制の範囲でオシャレを楽しんでいました。
様々な羽織も登場し、下の写真のように現代で歩いていても通用するような可愛らしい子もいたようです。
町人の妻たちは、着物にエプロンをするのが一般的でした。
前掛け、前垂れ(まえだれ)と呼ばれるエプロンは、着物の汚れを防ぐためのもので、現在と用途は同じでした。
町人達は何枚も着物を持っていたわけではなかったので、少しでも汚れを付けないために前掛けは必需品だったされています。
庶民は一生のうちに平均5枚程度しか着物を所有しなかったので、一枚を大切に着ていたようです。江戸には、たくさんの貸衣装屋があり、特別な時には衣装を借りて着るのが普通だったそうです。
着物は、お店で売ってはいない!?
この時代は、幕府により衣替えが決められており、年に2回だった衣替えが、武家のしきたりに習い4回に増えました。衣替えの期日は、幕府によって制度化され、武士たちは衣替えの期日を厳守しました。
この衣替えのたびに、着物を夏用や冬用にしなくてはいけないのですが、お店で売っているのは、布地や古着だけで既製品なんで売っていません。そのため、夏になれば袷の裏地をとり「単」に縫い直し、冬になれば綿を入れ、冬服に仕立て直していました。
当然、家族全員の着物をミシンがない時代に手作業で行われていました。
母さんが夜なべをして着物を縫ってくれた~♪
季節ごとに毎回チクチクと~♪
ちなみに、武家や富裕層では、針仕事専用の女性を雇うほどでした。
裕福であればあの高級呉服店の物を新調していたことでしょう。
江戸で呉服店といえば…
- 駿河町の三井越後屋
- 大伝馬町の大丸屋
- 通町の白木屋
- 本町の伊豆蔵・大黒屋
などが有名でした。
ミニ氷河期だった江戸時代は非常に寒かった
江戸時代は、ミニ氷河期と言われるほど冬が寒く、あの隅田川が凍るほどだった言います。そんな、寒かった江戸の街では、庶民はどんな服装で寒さを凌いでいたのでしょうか?
雪の日に履物として使っていたのが、普通の下駄よりも高いもので『足駄(あしだ)』と言うものがありました。これは、雨の日にも使われていたようです。
また、【どてら】【はんてん】【ちゃんちゃんこ】等が冬の部屋着の定番となっていました。【どてら】は、着物より一回り大きなサイズで全体に綿が入り、派手なものが多いのが特徴です。着物に綿を入れて防寒用にしたのが【半纏】で、袖の無い綿入りの羽織を【ちゃんちゃんこ】と呼ばれています。
外出時には、現代のようにマフラーなどが無いので、手ぬぐいをその代りに使っていました。当然、靴下なんてものは無く、ほとんどの人が裸足し外に出かけていました。
それが当たり前な時代だとは言え、霜焼けになりそうです。