江戸時代

小氷期だった江戸時代の人々はどのようにして寒さをしのいでいたのか?

f:id:miumaga:20190421142542j:plain

近年では戦国時代の始まりについて、新しい説がささやかれています。

14世紀半ば~19世紀半ばまで、地球規模でミニ氷河期(小氷期)であったとされています。中でも、15世紀~17世紀初頭までは特に気温が低く、温度的には2℃~3℃くらいの差ではありますが、農作物にとっては死活問題です。

そのため、日本では戦国時代と江戸時代にかけては、コメの不作から飢饉がたびたび発生しました。現在でもコメの不作はあるのですが、輸入米などがあるので大事には至らないのはありがたいことですが、当時は命に関わる大切な問題でした。

実際に戦の多くは、秋から翌年の春頃にかけて行われることが多くかった。これには理由があり、一つは近隣の国に攻め入り、収穫されたばかりの作物や富を奪い、時には人もさらい人身売買も行われていました。

もう一つは、長期遠征による口減らしの効果もあったようで、これにより本国の食糧需要の負担を軽減する効果があったそうです。

戦国期から江戸時代の主な飢饉

長禄・寛正の飢饉1459年京都で8万人以上の死者
天文の大飢饉1540年死者数万人とも
寛永の大飢饉1642年死者が5万~10万人
享保の大飢饉1732年餓死者が96万人と言う記録あり
天明の大飢饉1782年人口が92万人減ったとも
天保の大飢饉1833年70万人が飢餓に苦しむ

飢饉のすべては小氷期の影響ばかりではなく、火山の噴火による日照不足などの原因もありました。しかし、19世紀にはいると気温が上昇に転じ飢饉が減っていったようです。

小氷期に庶民はどのように寒さをしのいだのか?

現在の東京では、夏に30度を超えることは珍しくありませんが、江戸時代では平均25℃くらいだったようで、比較的過ごしやすい気温だったようです。一方で冬場は、隅田川が凍ったなどと言うくらいで、札幌の3月の平均気温4℃~-4℃くらいだったのではないかと言われています。

今のように暖房設備が不十分でコートやヒートテックなどなかった時代に、人々はどのようにして寒さをしのいでいたのでしょうか?

江戸時代の住宅建材は、木と紙だったので当時の家屋は気密性も低く、室内の気温も格段に低いと推測されます。暖房器具も、火鉢や手あぶりでとても部屋全体を温める代物ではありませんでした。

ここで活躍したのが、冬の部屋着として使われていた【褞袍】でした。

f:id:miumaga:20190421072140j:plain

漢字で書くと難しですが、おなじみの【どてら】です。

別名【丹前(たんぜん)】とも呼ばれるそうです。私の認識では、長いのは【丹前】で短いのが【どてら】だと思っていました。両方ともくくりは同じなんですね~

このどてらは、着物より一回り大きなサイズで全体に綿が入っています。

江戸時代の初期頃に、異国風を好む旗本奴たちの間で流行った、たっぷり綿を入れた【丹前風】と呼ばれた小袖が元で、江戸後期には庶民にも冬の防寒着として定着しました。

基本的に部屋着なので、外出の際は使用しなかったようですが、職人などの外仕事が多い人はジャンパー代わりに来ていたそうです。ほかにも、袖のない羽織に綿を詰めた【半纏】や【ちゃんちゃんこ】も登場しました。

カッパは江戸時代には既にあり

現在、定番雨具の一つ【カッパ】は、江戸時代にも雨や雪の日にも活躍していました。

今では洋風に【レインコート】なんぞ、オシャレに呼んでいますが、漢字で【合羽】と表記します。

合羽にもいろいろ間種類があり、マントのような【引き廻し合羽】は旅行などで使われていました。【寒うござんす】と言っていた北風小蔵がまとっていたのがそれですね。

一般的に広く使われていたのが、撥水加工が施されていた紙や木綿で作られた【半合羽】が雨具として使用されていました。

f:id:miumaga:20190421135335j:plain
半合羽
f:id:miumaga:20190421135642j:plain
冬の防寒具【蓑】

そのほか、かさ地蔵でおなじみの【蓑(みの)】は冬の防寒アイテムとして欠かせないものでした。今でも横浜では雪が降るそうですが、江戸時代では足首まで積もるほど降っていたとされています。

藁で編んだ笠と蓑スタイルは主に、農村部では普通のスタイルでした。

江戸中期になると【】が登場し、雨や雪の日の必須アイテムとなりますが、笠もまだまだ負けてはいませんでした。他の雪の日の被り物としては、巻いて良し、かぶって良しの【手ぬぐい】が大活躍します。

雪の降る日は頭部に巻き防寒と雪をしのぎ、日差しが強い夏には帽子代わりにかぶっていたそうです。これまで、麻の手拭いが主流でしたが、木綿の素材も登場し普及しました。

雪の降らない寒い日は、マフラー代わりになる手ぬぐいは、まさに万能なアイテムとして庶民に重宝されました。

服装や頭部はバラエティ豊かだが足元は…

江戸時代の防寒対策はバラエティ豊かでしたが、履物はどうなのでしょうか?

当時の履物と言えば、下駄や草履、草鞋が主流ですが、時代によって目的も流行りもたくさんありました。下駄が登場したのは、江戸時代中期以降でそれ以前は、草履や草鞋が普通でした。さらにさかのぼると、戦国時代の農民たちはみんな裸足だったと言われています。

以前、江戸時代のファッションについて書いた時にも触れましたが、冬の日の定番のはきものが【足駄】と言う少し歯の高い下駄でした。雪の多い日には、歯の間に雪が詰まって書き出すのが面倒でしたが、足に雪が直につきずらいと言うメリットがありました。

rekisi-daisuki.com

最後に…

オシャレは我慢と今でも言いますが、江戸っ子たちにも【薄着が粋】【伊達の薄着】と言う美意識がありました。そう言った人たちは、冬でも厚着はせず、足元も裸足に下駄草履を年中通したそうです。

吉原の遊女たちも真冬でも裸足で通したそうですよ。

現代の若い子たちを彷彿とさせる、真冬でも生足でミニスカートに通ずるものがあります。さらに、現代より寒かった江戸時代ですから当時の人たちの寒さへの耐久性はものすごいことがわかります。

ABOUT ME
歴ブロ
歴史好きが高じて、日本史・世界史を社会人になってから始めました。史実を調べるのも好きですが、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いずれ歴史能力検定を受ける予定。どうぞよろしくお願いします。