古代ローマ人は都市型高層集合集宅に住んでいたって知ってる??
古代ローマの最盛期には、100万人以上の人が暮らしていました。
限られた土地に100万人もの人口があったローマでは慢性的な住宅不足が発生し、市内に書人所有の戸建ては約1800軒ほどしかなかったと言います。
この数では、100万もの人口をカバーできないのは一目瞭然です。
では、ローマの人々は戸建て以外にどんな住宅に住んでいたのでしょうか??
上流・中流階級は立派な戸建てドムスに住んでいた
裕福なエリートは、ドムスと呼ばれる大きな一軒家に住んでいました。
アトリウムと呼ばれるメインエリアに通じる玄関があり、ベッドルーム・ダイニング・キッチンなどの他の部屋は横にありました。こうしたつくりの住宅はローマ時代通して同様の特徴を持っています。
また、オフィスも完備して仕事もできるようになっていたのだとか。住宅の裏手には、庭がありました。
古代ローマの都市型高層集合住宅『インスラ』
特権階級の住宅が『ドムス』と呼ばれる戸建てに対して、一般市民の多くが集合住宅で生活をしていました。現代で言うところの、高層マンションインスラは、島と言う意味で大勢の人が建物にひしめき合って暮らしていました。
とある記述で、紀元前218年ころにマーケットから牛が逃げて、川沿いのアパートに入り込み3階から飛び降りたという事件がありました。この事から、この時代に少なくても3階建ての集合住宅があったということが分かります。
人口が増えるにつれて、インスラの階は増し帝政時代には6~7階建ても珍しくなくなり、市内に4万6000棟以上もありました。ちなみに100万都市仙台では、約30万戸の集合住宅があるそうです(戸数と棟数は違うかもしれません)。
当時『もしローマのすべての住宅が地面の高さにおろしたら、ローマはたちまちアドリア海まで広がるだろう』と語っていた事から、相当な規模だった事が分かります。
インスラの一階にはテナントも!?
インスラ道路に接している一階にはテナントとして店舗があり、2階以上が住居として使用されていました。テナントには、飲食店が多く入り冷蔵技術がなかったこの時代の人々にとっては非常にありがたいものだと思います。
ちなみに、こう言ったテナントの使い方はローマ時代が最初とされています。
まさに現代版の高層住宅と言ったところですが、当時のインスラは建築技術の関係上窓が少なく、道路に面した部分のみしか再考しているにすぎませんでした。
そのため、建物は暗くてジメジメしたということです。
建築方法も1階から4階まではコンクリートのようなもので作られていたが、それ以上の階層は軽い建材を使わざるを得なかったため、木造の上から漆喰が塗られていることが多かった。
インスラの中でも高級物件も存在し、今でいうところのメゾネットタイプの物件も存在しました。2階部分はマエニアーヌムと呼ばれるバルコニーが付き、ここから外を眺めたりガーデニングをすることが出来ました。
また、上り下りも容易で火災や地震の際には安全に退避できたと言います。
ペルグラと呼ばれる3階以上の一部の部屋にもバルコニーが設けられ、こうした部屋は家賃が一段と高く、一般庶民には手が届かない物件だったようです。
なぜローマに人口が集中したのか??
ローマの大きさは、東京都の墨田区と同じくらいと言われこの中に100万人もの人を埋めたと考えられます。ちなみに墨田区の人口は2021年3月21日現在、約27万人となっていることから、いかに人口が密集していたか想像できます。
ならば、土地を広げて都市を大きくすればいいかと言えばそうもいきませんでした。
この時代のローマの交通手段が徒歩しかなかったのです。
交通手段が当たり前にある現代では、多少の僻地でも中心地へ行くに時間はかかりませんが、当時のローマでは徒歩が当たり前で都市サービスを利用するには中心街へアクセスする必要がありました。
徒歩で1時間以上かかる場所にわざわざ人は通うでしょうか??
こうしたことから、ローマでは人が住む場所が限られてくるのでした。
ローマ時代の不動産投資
インスラが多く建てられた理由として、富裕層の投資目的だった事は上げられます。
基本的に賃貸物件だったインスラですが、当然入居者が多いほど家賃収入が手に入る。まして、人口が集中する地域なら、おいくら立てても需要が追い付かないほどでした。
そういったことから、投資目的でドンドンとインスラを建てていくのです。