まずは日本史の時代の流れをザックリと掴もう!!
学校の授業では、授業の関係上どうしても歴史を点でしか覚える事が出来ないように感じます。ある塾の先生が言っていたのが、勉強したい分野の既有知識がない又は少ない場合は、はじめにその分野の全体像を把握する必要があるそうです。
どの科目の学習もある程度概要が把握できたら今度は詳細に知識を学んでいくのだそうです。日本史に関していえば、まずはザックリと概要を把握する、これが大事と言う事になります。そのうえで、教科書の詳細を理解するとよいのだそうです。
と言う事で日本史の古代~平成・令和までザックリと紹介していきます。
日本史の流れをザックリと把握
旧石器時代~古墳時代(~7世紀頃)
人類は狩り・採集の時代で氷河時代
縄文人が縄文土器を使用し竪穴式住居に暮らしていた
大陸から稲作が伝来し米の栽培を開始。高床式倉庫に保存し弥生土器を使用。邪馬台国が誕生し卑弥呼が国を治め、中国大陸の魏から金印をもらう。
日本各地のクニが一つの大和政権となり、高貴な人々は自分の墓に古墳を建てるようになる。
飛鳥時代(592~710年)
十七条の憲法・冠位十二階制度を制定。
中でも小野妹子が有名。中国大陸へ遣隋使として渡隋した。
中大兄皇子・中臣鎌足らが、蘇我蝦夷・蘇我入鹿を滅ぼし、国政改革をする。この一連の出来事を大化の改新と言う。
日本で一番古い内乱で天皇の皇位継承問題。勝利した天武天皇が即位。
日本初の律令制度が制定された。
奈良時代(710年~794年)
都を平城京に移す。
天然痘が蔓延し、国分寺建立の詔・大仏造立の詔を出す。墾田永年私財法を出し初期荘園の基礎を作る。
藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川
平安時代(794年~1185年)
奈良時代に力を持った既存仏教勢力や貴族の力を削ぐため、水に恵まれた長岡京へ遷都するも長岡京遷都の責任者が暗殺された他、不幸が続き平安京への遷都となった。
藤原氏による他氏排斥が行われ中央で有力な者たちを排除していき、天皇の外戚の地位を確保し摂関政治を確立。
藤原道長・頼道親子の代になると藤原氏の栄華も最高潮に達した。
白河天皇の父の代から天皇が外戚が藤原氏ではなくなり、摂関家の影響力が低下。そこで白河天皇は、幼い息子に譲位して上皇となり、自ら親政を引くように。こうした政治体制は院政と呼ばれた。
皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変が勃発。
源義朝と藤原信頼が組んで、保元の乱の後に力をつけてきた平清盛を倒そうとした。
平清盛が太政大臣になり国内初の武士による政治が行われるように。
6年にも及ぶ内乱。平氏政権に対する反乱が起こり、最終的に平氏政権が崩壊した。
鎌倉時代(1185年~1333年)
頼朝が武士の頂点に。
鎌倉の地に幕府を開く。
執権北条氏が幕府の権力を掌握する執権政治が行われる。
後鳥羽上皇が打倒幕府のために承久の乱を起こすが敗戦
御成敗式目は、執権・北条泰時が制定した武士や庶民のための法律。
二系統に分裂した皇室が交互に皇位を継承するように。→幼くして崩御された天皇が出るなどしてややこしくなる
大国【元】が日本に襲来。この時の執権は北条時宗だった。
徳政令とは、いわゆる借金帳消し令のこと。永仁の徳政令を鎌倉幕府の9代執権・北条貞時が発令した、日本で最初とされる徳政令と言われています。
朝廷内のゴタゴタの結果、当時の天皇・後醍醐天皇の敵対勢力が幕府に接近。後醍醐天皇が打倒・鎌倉幕府を掲げて全国的な内乱が勃発。
鎌倉幕府が滅亡した。
室町時代(1336年~1573年)
後醍醐天皇による親政を開始
足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を開く。建武式目を制定した年でもある
幕府が北朝(後醍醐天皇が敵対していた系統)を支持。後醍醐天皇は吉野で南朝を開く。
三代将軍足利義満が就任し、各地の有力守護大名を討伐し権力を掌握。
足利義教が守護大名・赤松氏により暗殺される
細川勝元と山名宗全による権力争い
下の者が上の者にとってかわることを下剋上(げこくじょう)が頻発するようになり、戦国大名が誕生する。
織田信長が15代将軍・足利義昭を京都から追放
安土桃山時代(1573年~1603年)
織田・徳川連合軍が強国・武田勝頼に勝利し武田氏が滅亡
織田家家臣・明智光秀が本能寺にて織田信長を討つ
豊臣秀吉が天下統一を果たす
豊臣秀吉による朝鮮半島への侵攻
豊臣秀吉死去し徳川家康と石田三成との対立が表面化
徳川家康と石田三成が関ケ原にて争う
江戸時代(1603年~1868年)
徳川家康が征夷大将軍となり江戸の地に幕府を開く
武家諸法を制定
参勤交代の制度化。鎖国体制の完成。
家康~家光時代の武断政治から文治政治への転換(七代将軍・家継まで)
生類憐みの令を発布
徳川吉宗による幕政改革・享保の改革が行われる。上げ米、目安箱、公事方御定書
享保の改革に習い、幕政改革。株仲間推奨など…
田沼意次失脚により、松平定信が主導し寛政の改革が実施される。
貨幣経済発展に伴い、ひっ迫した幕府再興を目指し天保の改革が実施される。
浦賀に黒船がぺりー来航する
アメリカと日米和親条約を締結、日本の港を開港
アメリカに領事裁判権を認め、日本に関税自主権がない条約を結ぶことに…
大政奉還・政権を朝廷に返還する。
明治時代(1868~1912年)
雄藩による倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換の一連の改革。
板垣退助らによる自由民権運動
伊藤博文らが中心となり大日本帝国憲法を発布
日本と清国との間で行われた戦争
日本とイギリスによる軍事同盟
大日本帝国とロシア帝国間で起きた戦争
大正時代(1912年~1926年)
連合国対中央同盟国の戦闘により繰り広げられた世界大戦、でこの時日本は連合国で勝利した。
始まりは地方のデモ活動だったが次第に全国規模に拡大する。
皇室や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された法律
昭和時代(1926年~1989年)
アメリカを皮切りに起きた世界的な恐慌
日本の関東軍が南満州鉄道を爆破した事件
日本が中華民国と争う
ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまる
日本がアメリカの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まる。
日本がポツダム宣言を受諾し終戦
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領。最高司令官:マッカーサーによる戦後の改革:財閥解体、農地改革
日本国憲法発布。翌年施行
朝鮮戦争による戦争好景気
サンフランシスコ平和条約、日米安保条約締結
自民党結党
日ソ共同宣言
沖縄返還
高度経済成長の終結
平成時代(1989年~2019年)
バブル経済の崩壊
ザックリとした流れですが、これが日本の歴史で現代に至ります。
まとめると引きこもりがちだったのが平安時代と江戸時代で、積極的に外交してたのは飛鳥・奈良、明治と言ったところでしょうか。
外交している間としていない時の文化は全く違います。積極外交時には文化的にも海外の影響がかなり色濃く反映されます。一方で、平安・江戸と言った海外と接点の少ない時代には独自の文化が発達しているのが特徴です。
他国との交流も良い事ばかりではなく、国外から新しい病気が流行し、時の政権にダメージなんてこともありました。医療事情や衛生状態、栄養状態なんかも関わるので一概には言えませんが、平安京に遷都した時なんかは『疫病』も理由の一つだったとも聞きます。
勿論、それらが文化にしても疫病にしても理由が一つではないにしろ、時の政権の外交政策が文化などに影響したわけです。単純に覚えるだけじゃなく関連付けすることで記憶に残りやすいと思うので、頭の片隅にでも置いといてください。