色々な歴史

日本での眼鏡の歴史

歴ブロ

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私がメガネをかけ始めたころは、一本25000円以上した上にデザインもいまいちでした。現在は視力に関係なくファッションの一部としてメガネが認知され、デザイン性が高い商品がたくさん出てきました。

うん十年と前からメガネをかけてきた私ですが、その歴史は戦国時代と古くからあったとされています。

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日本での眼鏡の始まりは戦国時代

眼鏡の起源は不明ですが、13世紀のイタリアで誕生したのがわかっています。

また、レンズだけにいたってはもっと前からあったようで、驚きの紀元前からあったようです。13世紀ころの欧州では教会中心の社会が成り立っていたので、目が悪くなるのは神が与えた試練と考えられていたので、眼鏡で矯正するのは悪とされていました。

さて、日本に眼鏡がやってきたのは1551年頃だとされています。

 

持ってきたのは、だれもが知ってるこの人…

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宣教師・フランシスコ・ザビエルです。

 

キリスト教の広めるために日本へ来たザビエルが、その頃に大きな力を持っていた大内義隆の治める周防を拠点とするために、13種類の異国の品々を贈りました。

その中に、【眼鏡】が入っていたとされ、日本最古の眼鏡と考えられていますが、品物としては残っていません。

残っているものとしては、室町幕府12代将軍・足利義晴の眼鏡とされるもので京都の大徳寺にて保管されています。大内義隆の眼鏡が残っていないため、この眼鏡こそがさらに古いものではないかと議論されていますが、結論は出ていません。

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現存する日本最古の眼鏡

写真を見てもわかるように、現在の眼鏡と違い耳にかけるタイプのものではなく、手で持つようです、フレームは今では高級な白象牙で仕上がっています。折りたたみが可能なようで、同じ色の眼鏡ケースに収納できたようです。

日本初のメガネ男子は徳川家康!?

日本史を学んだ人ならだれでも知ってる徳川家康。そんな、江戸幕府を開いた家康は実はメガネ男子だったのはあまり知られていません。

その眼鏡がこちらです。

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家康が掛けていたとされる眼鏡(レプリカ)

べっ甲を使ったその商品は、とてもオシャレで耳にかけるつるのない手持ちタイプの鼻眼鏡でした。スペインから家康への献上品だったとされおり、日本で2番目に古い眼鏡として残されています。

戦国三傑の中で長生きした家康ですが、年齢とともに視力が衰えていたようで、晩年はこの眼鏡を愛用していたようです。ちなみに、このころの眼鏡はほとんど老眼鏡だったみたいで、近眼の人専用の物はなかったようです。

輸入品から国内品へシフトし眼鏡屋さんが登場!!

江戸時代の初期は、将軍家や大名家の献上品として海外からの輸入品の眼鏡はとても重宝され、セレブ達の自慢のネタでした。

三代将軍・家光の時代になると眼鏡の輸入量が激増し、1636年~1638年の3年で6万個のmade inポルトガルの眼鏡が輸入されました。その後、鎖国政策が敷かれ、日本の貿易相手はオランダと中国に限定されましたが、時代を通じて2国から眼鏡が輸入され続けられました。

長崎に伝わった眼鏡の製造方法が、京都へ伝わり、さらに大坂にそして江戸へと伝えられ、江戸中期頃になると各地でmade inジャパンの眼鏡が作られるようになりました。

眼鏡製造で活躍したのが、細かな金属加工を行う飾師(かざりし)や装飾用の水晶を磨く細工師などの職人たちでした。こうした職人がたくさんいた京では、早い時期から眼鏡屋が登場し、綱吉の時代になると江戸にも眼鏡屋がみられるようになりました。

国内生産が進んだとはいえ、まだまだ高級品の眼鏡は、庶民の手には届かないものでした。そのため、眼鏡屋も眼鏡だけでは商売は成り立たず、それ以外の加工品も扱っていたそうです。

当時の眼鏡がいくらくらいだったかがわかる資料があり、この時代に活躍したベストセラー作家・曲亭馬琴の日記に眼鏡を買った記録が残っており、江戸時代後期ではありますが、眼鏡の価格が推測することができます。

日記によると、【南総里見八犬伝】を執筆中に、左目の視力が低下した馬琴は眼鏡を1両1分で購入したと書かれています。現在の価格にすると、約8万円くらいだったとされています。

江戸時代の眼鏡素材はとっても高級だった!!

現在のメガネレンズのほとんどがプラスチックですが、江戸時代のレンズはガラスか天然の水晶で出来ていました。水晶のレンズなんてとても高級品ですね。

フレームも、現在では形状記憶合金やチタン、プラスチックなどの人工的なものやべっ甲や金などの自然素材の物まで幅広くありますが、江戸時代のフレームはべっ甲、水牛の角、馬の蹄、木材などと、なかなかのバリエーションでした。幕末には、真鍮製の金属フレームも登場し現在とそん色ないフレームとなっていまいた。

眼鏡の形状も時代ともに変化しており、江戸時代初期には手で持つ眼鏡が主流でしたが、時が過ぎ眼鏡のフレームに紐を通し耳に引っ掛けるタイプの商品も登場しました。

紐付きの眼鏡はヨーロッパで発明され、日本に輸入されて広まったとされています。

この紐付き眼鏡の普及により。日本人特有の問題が発生します。

鼻の高い西洋人なら問題ないですが、平たく鼻の低い日本人がヒモ付き眼鏡をかけるとレンズと目の間が狭すぎてレンズにまつ毛がくっつき使いづらいという問題が出ました。

そこで、登場したのが鼻あてです。

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上記の写真を見てもらえるとわかるように、上の部分を起こして額に当てることによって隙間を作り出し、使用しやすくしましました。この鼻あての起源は日本とされていますが、諸説あります。

眼鏡の一大産地、福井県鯖江市

現在、国産眼鏡フレームの9割以上のシェアを占めるのが福井県鯖江市です。市民の6人に1人がメガネに携わる仕事をしているそうです。

では、鯖江市はいつから眼鏡の産地になったのでしょうか??

それは、1905年(明治38)にさかのぼります。

このころ日本では、新聞の普及により眼鏡の需要が高まっていました。

そこに目を付けたのが、福井県の貧しい農家生まれの増永五左エ門で、次男と三男にメガネフレーム作りを学ばせて、雪に閉ざされる冬場の仕事して眼鏡産業を興そうとしました。

増永五左エ門は、いまでも鯖江メガネの父と呼ばれ鯖江市で尊敬されています。

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五左エ門は工場を建設すると、大坂から職人を呼び寄せて、農家の若者にメガネ作りを学ばせました。教え子たちが独立する際には、資金援助も行ったそうです。

また、都会で流行しているメガネフレームの研究をし、品評会なども行い職人同士の泰樹も競わせるなど、職人の技術向上をアップさせるために工夫を凝らしました。

こうした努力の末、1930年代には鯖江が眼鏡フレーム作りおいて全国シェア1位を獲得するまでになりました。福井県と言えば【眼鏡】の裏にはこうした歴史があったのです。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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