なぜGHQは財閥解体を行ったのか?
第二次世界大戦までは、日本経済を支えて政界まで影響力を持っていた財閥。戦後のGHQに目をつけられて解体する事になりましたが、現代でもその名残が色濃く残っています。
今回は、日本の4大財閥を見ながら、財閥解体について書いてみたいと思います。
財閥解体とは?
1945年~1952年にかけてGHQ主導で、当時の日本経済を引っ張ていた財閥を解体した政策の事を財閥解体と言います。
この財閥解体で日本経済の民主化が進みました。
日本の4つの財閥
財閥とは創業者やその一族たちがグループ企業を支配して独占しています。
現在の日本では、財閥の定義を満たした企業はありませんが、韓国では今でもサムスンやロッテなどの財閥企業が存在し、韓国経済に強い影響力を持っています。
日本でもかつて経済をけん引していた4つの有名な財閥がありました。
三菱財閥
岩崎弥太郎が海運業を起源として開業した財閥で、戦前の日本で経済を牛耳っていた代表的な財閥でした。現在でも、三菱○○とついたほとんどの企業がその流れを汲んでいます。
海運業を起源としていた三菱財閥は、重工業に強く帝国連合海運の軍艦を製造していたり、軽工業もカバーし戦前の日本経済では三菱は欠かせない財閥として君臨していました。
財閥解体後に分離した企業は今でも、主要29企業が毎月第二金曜日に会合を行う、三菱金曜会を開いています。
住友財閥
大坂の住友家が銅山を経営していた事を起源とした財閥で世界最古の財閥とも言われていました。現在でも、三井住友銀行や住友不動産などの企業があります。
明治時代に入ると、制銅業で得た利益で銀行や保険などの金融業に手を伸ばし大きな成長をしていきました。4つの財閥の中で、住友財閥は唯一大阪に本社を置いていました。
三井財閥
江戸時代の商人・三井高利によって越後屋三井呉服店を開業した事で、財閥として伸びた企業です。三井家の始まりは、高利の父・藤原信生が武士を廃業し、三井姓を名乗ったことから始まりました。
銀座にある三越は誰もが知っている百貨店ですが、この三越こそが越後屋三井呉服店の流れを汲んだ企業でもあります。三井家の越後屋=三越と言う意味で名前が付けららたれと言われています。
江戸時代に呉服店で財を成した三井家は、明治になると金融業に進出し、三井銀行を創設します。今でこそ、三井住友銀行と合併をしましたが、当時は官営工場を優先的に払い下げた結果、軽工業が発展し三菱財閥と張り合うくらいまで成長しました。
安田財閥
安田善次郎が両替商として開業したのが起源とした財閥が安田財閥です。
もとが金融関係だったこともあり、明治時代に創設した安田銀行を中心に金融中心に成長をし金融の安田と称されるほどでした。
現存する企業も明治安田生命やみずほ銀行などがあります。
なぜ財閥解体が行われたのか?
簡単に4つの財閥の説明をしてきましたが、次はタイトルにもあるどうして財閥が解体されたのかを書いていきます。
GHQの進駐と軍国主義の不安
1945年に敗戦が決定した日本国内では、アメリカによる占領統治が行われていました。この占領政策は、マッカーサー元帥を中心としたGHQ(連合軍最高司令官司令部)が日本に駐在し改革を行いました。
その改革の中でGHQは、日本の財閥に注目しました。戦前の財閥は、日本軍へ軍艦を製造したり、石油を供給したりと日本の軍部と深い関りがありました。そこでGHQは、また財閥が政府と繋がり軍国主義に戻るかもしれないとして、財閥を解体し日本経済の自由化を図りました。
また、財閥が日本の経済活動を支配すると言う構図を払しょくし、色々な企業が競争しながら成長していく経済の自由化を図るために財閥解体をして、新しい企業を作りました。
結果的に、アメリカの日本の占領政策が転換と朝鮮戦争の勃発でアジア諸国の中で、資本主義国として出発した日本は急成長することになりました。
財閥解体の詳細と影響
財閥解体には、これまで株式がほとんど取引が無かった株式を個人投資家に売られたり、持株会社整理委員会という組織に渡され、さらに企業の解散勧告によって財閥の解体は進んでいきました。
さらに、1947年には企業が一部の分野を独占しないようにする法律、独占禁止法と過度経済力集中排除法が制定されました。この法律によって、財閥は消滅し一子会社だった企業は軒並み独立を果たしました。
しかし、アメリカが占領政策の方針転換をしたことにより、完全に財閥を解体する事が出来ず、現在のように財閥名がついた企業や旧財閥のグループ企業が残りました。
経済の自由化の完成
戦前の日本の経済は、資本主義とは言っても財閥と言う一部の企業が経済を牛耳っており、アメリカのような経済の自由化が遅れていました。しかし、財閥を解体した事によって、小さな会社でも利益を上げられる可能性が生まれるようになりました。
さらに、株を一般人でも買えるようになりアメリカのような資本主義経済の仕組みが完成されました。この仕組みは、今でも日本経済の基本として続いています。
現在の大企業が誕生
日本の経済の自由化が起こったことにより、中小企業達が新しい分野に参入しやすい環境が出来上がりました。そして、本田宗一郎率いる本田自動車や松下幸之助が創業した松下電器、盛田昭夫によって創業されたソニーが誕生します。
こうした経済の活性化は、日本に高度経済成長を促し世界第二位の国内総生産を誇るまでにのし上がる原動力となったのです。