戦後フランスはなぜ第四共和政から第五共和政へ変わったのか?
第二次世界大戦が終わった後、フランスでは1946年に第四共和政が成立しました。
しかし、それからわずか12年後の1958年、第四共和政は終わり、新たに第五共和政が成立することになります。
この政治体制の転換に大きく関わったのが、第二次世界大戦中に自由フランス運動を率いたシャルル・ド・ゴールでした。
では、なぜ戦後間もなく成立した第四共和政は、短期間で終わることになったのでしょうか。
その背景には、戦後フランスの政治制度をめぐる対立や、アルジェリア独立戦争によって深刻化した政治危機がありました。
今回は、第二次世界大戦中のフランスから第四共和政の成立、そしてド・ゴールの復帰による第五共和政の成立までを解説します。
第二次世界大戦とド・ゴールの臨時政府(1940~1946年)
1940年、フランスはドイツ軍の侵攻によって敗北し、第三共和政が崩壊しました。
その後、ペタンを指導者とするヴィシー政権が成立、ドイツへの協力政策を進めます。
一方、イギリスへ渡ったド・ゴールは、ロンドンから抗戦継続を呼びかけ、自由フランス運動を展開しました。
ド・ゴールは国外から抗戦を続けながら、フランス国内で活動するレジスタンス(抵抗運動)の組織との連携も進めていきます。

1944年、連合軍の進撃によってフランスの解放が進むと、ド・ゴールはフランス共和国臨時政府を率いて戦後の国家再建に取り組みました。
臨時政府は共和国の制度を回復させ、経済復興や社会保障制度の整備などを推進します。
しかし、戦後の政治制度をめぐってド・ゴールと議会の多数派との対立が深まり、1946年1月、ド・ゴールは臨時政府の首班を辞任しました。
第四共和政の成立とド・ゴールの政治構想(1946年)
1946年1月に臨時政府を辞任したド・ゴールは、議会の政党間対立によって政府が不安定になることを懸念し、強い行政権を持つ政治体制を求めていました。
同年6月のバイユー演説では、議会から一定の独立性を持つ国家元首を中心とした政治制度を提唱します。
一方、戦後の新憲法を審議していた議会では、国民議会を中心とする政治体制が支持されていました。
同年10月、国民投票で承認された新憲法が公布され、第四共和政が成立しました。
新しい憲法では国民議会が強い権限を持ち、政府の首相にあたる閣僚評議会議長は議会の信任を必要としました。
こうして、ド・ゴールが求めた政治体制とは異なる、議会中心の第四共和政が始まることになりました。
第四共和政の政治的不安定と植民地問題(1946~1958年)
こうして成立した第四共和政では複数の政党が勢力を分け合い、単独で多数を占める政党がなかったため、連立政権が中心となります。
さらに冷戦が始まると、共産党と他の政党との対立も深まり、1947年には共産党の閣僚が政権から排除されました。その後も政党間の意見の違いから連立政権が崩れ、首相の交代が繰り返されることとなります。
一方、戦後復興が進むなかで経済成長が始まり、ヨーロッパ統合への参加も進められていきました。
それと同時に、海外では植民地の独立運動への対応が大きな問題となっていきます。
1946年にはベトナムでインドシナ戦争が本格化し、1954年にはディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗北。ジュネーヴ協定によってインドシナでの戦争は終結へ向かいました。
さらに同年、北アフリカではアルジェリア独立戦争が勃発し、フランス政府は新たな植民地問題への対応を迫られることになりました。
アルジェリア問題と1958年の政治危機(1954~1958年)
アルジェリアは1830年からフランスによる征服が進められ、19世紀半ばにはフランスの県として統治されるようになった地域です。多くのヨーロッパ系住民も暮らしており、フランス本国との結びつきが強い一方、現地住民との間には政治的・社会的な格差がありました。
こうした状況のなか、独立を目指す民族解放戦線(FLN)が武装蜂起。フランス政府は軍を増派しましたが、戦争は長期化し、独立をめぐる国内の対立も深まっていきます。
1958年5月、アルジェリアのフランス領維持を求めるヨーロッパ系住民らがアルジェで反乱を起こし、軍の一部もこれに加わりました。
反乱勢力は第四共和政の政府に反発し、ド・ゴールの政権復帰を要求。軍の一部による本国への介入も懸念され、フランスは深刻な政治危機に陥ります。
この事態を受けて、コティ大統領はド・ゴールに組閣を要請。6月1日、ド・ゴールは国民議会の承認を受けて首相に就任しました。
第五共和政の成立と政治制度の変化(1958年)
1958年6月に首相へ就任したド・ゴールは、第四共和政の政治的不安定を解消するため、新憲法の制定を進めました。
同年9月、新憲法案は国民投票で承認され、10月4日に公布。これによって第五共和政が成立しました。
新しい憲法では、それまでの議会中心の政治体制が見直され、大統領と政府の権限が強化されます。
大統領には首相の任命や国民議会の解散、一定の条件のもとで国民投票を実施するなどの権限が与えられました。また、議会が政府を不信任とするための条件も厳しくなり、政権の安定が図られます。
こうした制度には、1946年のバイユー演説でド・ゴールが示した、強い行政権を持つ政治構想も反映されていました。
なお、第五共和政成立当初、大統領は国民の直接選挙ではなく、選挙人団によって選ばれていました。現在の直接選挙制が導入されたのは1962年です。
同年12月、ド・ゴールは第五共和政の初代大統領に選出され、翌1959年1月に就任します。
こうしてフランスは、議会中心の第四共和政から、大統領と政府の権限を強めた第五共和政へと移行しました。
ただし、政権復帰のきっかけとなったアルジェリア問題はなお続いており、独立戦争が終結するのは1962年のこととなります。
この1958年に成立した第五共和政は、その後も憲法改正を重ねながら、現在まで続いています。


