暗記しても学説が変われば『歴史を覚えても意味がない』と考えている方に
当ブログは、タイトル通り少しでも歴史が好きなってくれればと言う思いでつけたものなので、歴史に苦手意識を持っている人が興味を持って学ぶきっかけができればと思い今回の記事を書かせてもらいます。
日本史に限らず、受験やテスト勉強でも、学ぶ意義を見出せないとなかなか勉強に入り込めず苦労する事もあるかと思います。
歴史とは全く関係ない紀里谷和明監督のインタビューでアメリカでの教育、というか教育そのものについて語っているのを見つけました。私自身は意味も考えずただ単にテレビやゲーム、小説などから歴史好きに移行していったタイプ(学校の授業は好きじゃなかったけど)なので気にしたことはなかったのですが、そのインタビューの中で例え話として歴史が挙げられていました。
歴史にしても事実として教えられたことが、教科書が改訂されるたびにころころ変わる。10年前に正しいと言われた情報も変わることがある。良い例が、天動説と地動説ですよね。なので、僕は知識に重きを置きたくない。
私自身は知識だって上手く身につけられれば十分知恵に昇華させられるとも思うので知識に重きを置くのもいいんじゃない?という頭でっかち派なのですが。感性を磨いて光るタイプではなさそうなので、消去法で知識偏重に行き着いた感じかもしれません。
とにかく必要だから仕方が無くやるけど、どうしても歴史に意義が見いだせないと云う方の中には紀里谷監督のような考え方を持つような人もいるのかな?と思います。
単なる暗記科目だし、せっかく覚えたとしても気付いたら新しい学説なんかが出て「どうせ変わる」なら「意味がない」と。
個人的に思う事なのですが。
例えば「天動説」。
地球は宇宙の中心にあり静止しており、全ての天体が地球の周りを公転しているとする説で、コスモロジー(宇宙論)の1つの類型のこと。
特にヨーロッパにおいて『天動説』は後に『地動説』という考え方に変化したという歴史的事実があります。『天動説』が信じられた当時はその当時なりの時代背景があります。宗教的なものだったり技術的な要因だったり。
宇宙の中心は太陽であり、地球は他の惑星と共に太陽の周りを自転しながら公転している、という学説のこと。
それまで信じられた学説が変化するのは、必ず何かしらの理由や根拠があるはずです。
『天動説』と『地動説』と言えば、『宗教家』による『科学者』への迫害についてよく聞くかと思います。実はその『宗教家』による『科学者』への迫害自体が19世紀後半頃に考案された闘争モデルではないか?と言われているのです。
そんな闘争モデルが生まれた理由を考えてみると、19世紀後半頃に『宗教家』を悪く言える程『科学者』の地位が向上したのかな?とも予測できます。
実際、イギリス以外の欧米諸国で産業革命を成し遂げたのが19世紀半ば。植民地の獲得競争が本格的に始まったのが19世紀後半です。それまで一強だったイギリスの覇権を脅かす国が出てくるようになり、国の力関係でバランスが崩れることになります。植民地獲得のための武力を得る手段として『国』が『科学』を重要視するようになったのかな?と推測できるのです。
今では変わってしまったけれど「歴史」でこれまでに信じられてきた事件なども必ず何かしらの裏付けや理由があったためにその説が信じられてきたわけで、私自身は「出来事の背景」自体を『知ること』や『考えること』に意味があると思っています。
歴史の場合は結果が既に分かっていることなので因果関係がハッキリしています。そして習う事は基本的に文化や政治。今の時代にも十分応用できますね。
そんな感じで歴史の流れや因果関係を理解していく癖をつけていくと、普段から何かしら出来事の背景などを考えて次に起きることを予測する癖がつくかもしれません。長い目で物事を考えるようになるかもしれません。
日本史ブログなのに世界史の例を挙げていてどうかと思いますが。
歴史の『暗記』だけだと確かに意味はないでしょうけど、そんな感じで『考える勉強』をすれば違う力が身につくことだってあります。
以前に東大の日本史の問題の記事を書かせてもらった時に、むしろ微分積分を覚えるより歴史を深く学んだ方が社会に役に立つのでは?と思わされました。
まさしく、日本史を学ぶ意味を見出してくれる日本史の問題だと、言えるでしょう。
東大と言えば、将来の官僚が集まる大学と言われていますが、まさしく将来有望な官僚たちが先人の知恵や失敗をモデルケースにしてさまざまな要素を考慮して最適解を探ることが大切だと思います。