戦国大名たちと宗教勢力の関係を見てみよう<15~17世紀初め>
戦国時代と言えば、全国各地で騒乱が何度も発生していた時代。医療技術も今と比べ物にもなるわけもなく、現在の私たちが考えるよりも『死』がずっと近くにありました。
その『死』と切っても切り離せないのが宗教です。
戦国時代には民衆にも大名にも宗教…中でも特に仏教が深く入り込んでいます。九州では、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸してカトリック教を布教していたので他の場所とは少し様子が違いますが。
今回は、そんな戦国時代の『宗教』に焦点を当てていきます。
日本に仏教が入ってきたのはいつ頃?
仏教自体が日本に入ってきたのは6世紀半ば頃。
戦国時代には仏教が入ってきてから既に数百年経っていますが、そもそも昔の仏教は天皇や貴族といった地位の高い人たちが信仰するもので延暦寺など極一部の門徒に限られていました。
それが変わったのが平安時代末期から鎌倉時代にかけて広まった、いわゆる鎌倉仏教が力を持ってからです。
平安時代末期は仏教の開祖・釈迦の説いた『末法思想』が恐れられた時代で、人々がかなり不安になっていました。実際に地震や飢饉、疫病に二度の元寇とかなり苦しめられています。不安な時、不安な人ほど宗教は嵌っていきますね。
そんな経緯もあって
- 浄土宗:法然
- 浄土真宗:親鸞
- 曹洞宗:道元
- 臨済宗:栄西
- 時宗(じしゅう):一遍
- 日蓮宗:日蓮
こうした宗教が新たに広まり、戦国時代に入る頃には古くからの宗派も含めて仏教は社会に大きな影響を与えるようになっていました。
戦国時大名と寺社仏閣の関係とは?
戦国大名たちは上記のような多くの信者を持つ寺院を保護して寄進を行うケースも出てきた一方で、常に敵対しているような宗派もありました。様々の宗派について触れていきましょう。
禅宗
坐禅を重んじる宗派、臨済宗や曹洞宗がこれにあたります。戦国大名とは非常に有効的な関係を築き上げていた勢力です。
臨済宗
臨済宗は鎌倉幕府や室町幕府といった武家政権との結びつきも強く、古くから有力武家だった武田氏や今川氏などは領国に臨済宗の寺院まで建てています。甲斐武田氏の恵林寺(山梨県)や今川氏の臨済寺(静岡県)は菩提寺として有名です。
子供の教育機関としても利用され、僧侶がブレーンとなったり戦国大名の(幼少期の)教育係になったりすることもありました。僧侶たちの学識は、仏教だけでなく儒教や道教、易学、軍事技術と多岐にわたるためです。
それだけでなく、安国寺恵瓊のように大名のような存在になった臨済宗の僧までいるほどでした。その交渉力を買われて毛利氏や羽柴(豊臣)氏に取り立てられています。
曹洞宗
一方の曹洞宗は地方豪族や一般民衆をメインに広がっていました。
曹洞宗と深いかかわりのある大名と言えば上杉謙信。幼いころに預けられた新潟県上越市にある林泉寺は上杉家の菩提寺としても知られています。
時宗
浄土宗の一派である時宗は大きな勢力はもちませんが、関東地方を中心に武士や庶民が信仰しています。
南北朝期に時宗から医学知識を持って戦傷者の手当てをする僧医が登場しました。また戦場に共に赴いて臨終の念仏をすすめ、戦死者を弔っていたのも主に時宗の僧です。
ということで、割と戦国大名とはそれなりの友好関係と言えますね。
天台宗/真言宗
この二つの宗派は大名によりけりといった感じでしょうか。時と場合によって庇護されたりもするし政治介入して敵対関係になったりもするような宗派でした。
天台宗
日本史で天台宗と言えば延暦寺。正式には比叡山延暦寺です。
古くは戦国時代よりも500年近く前に院政が敷かれた時代。当時ものすごい権力を持っていた白河法皇が「自分の力ではどうにもできない」存在として延暦寺の僧兵を挙げているように平安時代から力のある宗派でした。
戦国時代で言えば織田信長による比叡山焼き討ちが有名ですね。
全大名と仲が悪いわけではなく、浅井長政や朝倉義景のことは匿っているので「大名による」の代表格です。
真言宗
こちらの戦国時代の有名どころと言えば、総本山の高野山や根来衆(ねごろしゅう)でしょうか。
本能寺の変がなければ織田信長に高野山も比叡山と同様に攻め込まれる立場にあったことはよく知られています。根来衆は信長の生前は割と好意的でしたが、死後は秀吉と敵対するようになりました。
浄土真宗
独自の勢力を保った宗派。とにかく関係が悪く、主に敵対・抗争を繰り返しました。
この一向一揆をおこした一向宗が、この浄土真宗本願寺派の一派です。濠や土塁で囲まれた寺内町を有する治外法権の領地を持って権益を独占していました。
1466年の近江の金森で起こった一向一揆から始まり、加賀一向一揆、三河一向一揆、越中一向一揆、越前一向一揆と近畿・北陸・東海とかなり広い範囲で一揆を起こしています。
僧兵に限らず武士の地侍や農民も取り込んでおり、北陸に関して言えば一向一揆が原因で守護の富樫政親が討ち取られ、100年近く加賀一国を支配しました。信長や家康といった有名武将ともかなり激しく対立しています。
戦国大名とキリスト教
キリスト教…といっても日本に来たのはカトリック。当時のヨーロッパでは宗教改革が始まっており、新たな宗派プロテスタントに対抗するのにイエズス会を作って世界進出を始めていたのです。
なお、この頃のポルトガルは大航海時代の先駆者としてアジア方面へ海洋帝国を作り上げていた強国です。彼らは独自の通商圏を築いており、中国の生糸や絹織物をはじめ、ヨーロッパからは鉄砲、東南アジアからは香料…と多くの商品をそろえられるルートを持っていました。
ということで、カトリックを布教しに来た宣教師たちは各地の大名達と領内の布教活動の許可をもらうために謁見し大名自身にもカトリック教を布教。大名たちはポルトガルとの南蛮貿易目当てにキリスト教を受け入れ始めていきました。こうして数々のキリシタン大名が誕生したのでした。