歴史コラム

埋蔵金を見つけたら誰のもの?日本の三大埋蔵金伝説と実際に見つかった埋蔵金

歴ブロ

埋蔵金と言えば、糸井重里さんが赤城山を発掘していた映像がテレビで放送されていたのをうっすらと覚えています。この時探していたのが、徳川幕府が所有していた御用金360万両という事で現在の紙幣価値で4000億円と言われています。

番組では結局見つからなかったと記憶していますが、万が一見つかっていたら糸井さんや番組のものになっていたのでしょうか?

そこで今回は【埋蔵金を掘り当てたらどうすればよいのか?】を踏まえながら日本の三大埋蔵金について紹介して行きます。

 

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埋蔵金を掘り当てたら誰のもの??

まず埋蔵金を見つけたら、すぐに警察に届けてください。

そのまま自分のモノにしてしまうと、占有離脱物横領という罪に問われ【1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料】に処せられます。また、後述する報労金を貰える権利も消滅してしまうので注意しましょう。

そして、6カ月以内に所有者が判明した場合は、埋蔵金の価格5%~20%を報労金としてもらうことができます。これは、財布等を拾った時にもらえる落とし主から貰える報労金と一緒です。

埋蔵金の場合は本人はすでに亡くなっていますから、所有者は埋めた人の相続人になりますが、実際は誰が埋蔵したかを証明するには難しいケースが多く、所有者が特定される事は結構まれだそうです。

所有者が特定できなければ発見した人とその土地の所有者で折半する事になります。自宅などの庭で埋蔵金等を見つけた場合は全部貰う事が出来ます。

埋蔵金が文化財だったら?

発見された埋蔵金が歴史的価値のある大判・小判で重要な文化財だったら、文化財保護法により、その所有権は国に帰属する事になります。もちろんその時は、国からそれ相当の報奨金が支払われることになります。

よって、冒頭で書いた徳川埋蔵金となると重要文化財の可能性が高いので、仮に見つかっても国の帰属となり、糸井さんや番組側と土地の所有者がその報奨金を貰う事になりそうですね。

日本では、徳川埋蔵金の他に武田家埋蔵金や明智家埋蔵金などもあるようで、トレジャーハンター的な人がいるようです。

 

日本の三大埋蔵金

日本で埋蔵金伝説は、史料が存在しある程度の裏付けが取れるモノだけでも百件を超すとも言われています。

その埋蔵金伝説の中でも、徳川埋蔵金・秀吉の埋蔵金・結城家の埋蔵金が有名で日本の三大埋蔵金と呼ばれています。

日本で最も有名な 徳川幕府の埋蔵金

何度もテレビに取り上げられ、日本で最もメジャーな埋蔵金伝説となっているのが、徳川埋蔵金でしょう。

大老・井伊直弼の案で、海外への金の流出を避けるためや将来の戦費のために徳川幕府の御用金384万両を群馬県の赤城山に隠したというものです。

これまで、多くの埋蔵金ハンターによる解読が行われましたが、現在ではこうした物証は徳川埋蔵金とは関係がないと言う見方が多いそうです。

また、テレビでも放送してた赤城山の人工的な空洞も、1940年に当時の近衛文麿内閣が軍人を集めて発掘作業した後だという事が分かっています。

徳川埋蔵金は赤城山以外にも多くの伝承があり、必ずしも上記の説があっているとは限りません。あくまでも、伝承の一つとしてとらえて下さい。

将来を案じて貯金した!? 秀吉の埋蔵金

日本の埋蔵金伝説の中でナンバーワンの埋蔵量4億5000万両が埋蔵されているとしているのが秀吉の埋蔵金。

二度目の朝鮮出兵後に病に倒れた秀吉が、豊臣家の招来を案じ大阪城内の金蔵にあった4億5000万両を多田銀山に埋蔵したそうです。

実際に埋蔵に関わったのが勘定奉行の幡野三郎光照で、いずれも大坂冬の陣で亡くなり、秘密を知るものがいなくなりました。ところが、戦後になって山本徳次郎氏の家などから文章や絵図が発見され、新聞等で大きく取り上げられました。

その後、山本氏を中心に発掘作業を行いますが見つかっていません。

また、見つかった文章を読んだ専門家が、

『大阪城には4億5000万両があり、当面これ以上の金は必要ない。多田銀山の採掘を中断し、将来必要になったときのために鉱脈を書き残しておく』

と言った内容が書かれているのでは?という事で、銀山に埋めたと言うのは勘違いではないかと言う説も浮上しているようです。

発掘を伝える瓦版もある 結城晴朝の埋蔵金

結城晴朝がいまいちピンときませんが、結城家は北総一帯を治めていた名門で、源頼朝が奥州藤原氏を討つ際には先陣を務め、藤原氏の黄金をほとんど恩賞として受け取ったと伝えられています。

晴朝は世継ぎがいなく秀吉から結城秀康を養子としており、徳川家康が天下を取ると越前国福井へ移封しました。家康に財宝を奪われまいと、先祖代々の財宝をどこかに埋蔵した事から伝説が始まりました。

これまで、結城城跡や晴朝が隠居して住んでいた所などを子孫などが発掘を試みましたが、発見には至っておりません。

1859年に会之田城跡近くの古井戸で、金の延べ棒9000本掘り出し領主に届けたところ、5000石の武士に取り立てたれらと言う話を伝える瓦版が見つかり、これを裏付ける史料はないものの、実際の出来事ではないかとも言われています。

 

実際に発見された埋蔵金

昭和31年に東京銀座の小松ストアーの工事現場から慶長小判と享保小判が208枚と一分金60枚が発見されました。銀座のど真ん中から小判が出たという事で話題となりました。

小松ストアー側は所有権を放棄し、国の埋蔵文化財として東京国立博物館に寄贈したとの事。現在も保管されているそうです。

山形・白鷹町 最上川の小判

昭和36年に最上川の川底から小判23枚、二分金9枚、二朱銀358枚の72両1分が発見されました。江戸時代に発行されたもので、落とし主は商人からの依頼で80両を届ける最中に発見場所付近でおぼれ死んだ飛脚ではないかという事です。

発見された小判は、白鷹町が文化財に指定して一括保管しています。

飛脚の話が本当なら、あと7両3分が川底に埋もれているかもしれません。

東京・新川 鹿島清兵衛の埋蔵金

昭和38年に日精製油本社ビル改築工事現場から、江戸時代の天保小判1900枚、天保二朱金78000枚が発見されました。現在の価値にすると10億円になるのではと言われています。

その後の調べで、江戸時代の半ばから200年以上にもわたり、酒問屋を経営していた加島屋の先祖、9代目鹿島清兵衛が埋めたものと判明し、埋蔵金はその子孫に返還されました。

山梨 観光ブドウ園の甲州金

昭和46年に観光ブドウ農園で小判型の蛭藻金2枚と甲州金18個、さらに中国から輸入した渡米銭5000枚が発見されました。甲州金は、重量にばらつきがあり、あるはずの刻印が無かった事から軍用金に使われたのではないかと考えられています。

なお、これらの埋蔵金は、発見から40年後の2011年に山梨県博物館が1億円で買い取り2013年には特別展として一般公開されました。

富山・明治金貨

2002年に豪農の屋敷跡から小判12枚、二分金686枚、一分銀404枚、二朱金92枚と明治初期の10円金貨46枚が発見されました。合わせて、1295枚は当時の時価で3900万円もの価値があると言われています。

発見当初は、土地の所有者である国の手に渡る予定でしたが、金貨発見の2年前までその土地を所有していた人が【先祖が埋めたものに違いない】と名乗りを上げました。

そして、金かに刻まれた明治6年の年号と古地図によって、名乗りを上げた元土地所有者の蔵が当時の発見場所にあったと証明され、金貨は元土地所有者に引き渡されました。

 

昭和30年代はまさにゴールドラッシュ!?

小松ストアーや鹿島清兵衛の埋蔵金が見つかった昭和30年代の東京はまさにゴールドラッシュと言われるほど埋蔵金がたくさん出てきました。

  • 昭和32年…台東区第一信託銀行菊屋橋支店の工事現場
  •     …中央区銀座富士銀行数奇屋橋支店の工事現場
  • 昭和34年…台東区営団地下鉄工事現場
  • 昭和35年…千代田区岡崎ビル工事現場
  • 昭和38年…港区ビル工事現場
  • 昭和39年…目黒区水道工事中
  •     …有明コロシアム周辺の埋め立て地

と言ったように、東京では一時期あちこちの工事現場から埋蔵金が発見され、有明コロシアムの周辺の埋め立て地では、弁当を持って一日中穴を掘っている人もいたのだとか。

江戸時には、財産保全のために商人などが、分などに小判入れて家の床下に埋めるのが日本中で行われていたようで、これが日本の埋蔵金に繋がっているようです。

噂では、日本で見つかっていない埋蔵金の総額は、150~200兆円とも言われています。もしかするとあなたの住んでいる庭や床下にも埋蔵金があるかもしれません。

もし見つけたらまずは警察に届けてくださいね。

 

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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