世界史

絶対王政と専制君主制の違い

歴ブロ

世界史を学んでいる中で国家の政治体制を把握するのは欠かせません。

中世ヨーロッパの【絶対王政】も、そんな政治体制の一つです。この絶対王政が始まった背景や、国民・周辺国の影響、代表的な王様について書いて見たいと思います。

 

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国王中心の政治体制【絶対王政】

16世紀~18世紀のヨーロッパ諸国で採用されたのが絶対王政で、国王中心の政治体制の事を言います。国王直属の官僚機構や軍隊が設置され、財源を確保するために植民地の開拓や商業重視の政策が盛んにおこなわれていました。

他の時代や地域における国王中心の政治体制と特徴が違うために、歴史上では区別されています。また、絶対王政で繁栄した国家はフランス・イギリス・スペインが有名です。

絶対王政の政治理論

王権神授説(おうけんしんじゅせつ)と呼ばれる政治理論に基づき、国王の権力とキリスト教によって強化する考え方です。国王の統治権は、神が特別に受けた神聖なものであり、だれにも邪魔をされないとしています。

当時のヨーロッパ社会では、宗教勢力や有力貴族が政治に介入し、国王と対立するケーズも珍しくありません。国王にとって王権神授説は、彼らの干渉を受けずに国を統治する大義名分であったと言います。

後に市民階級が台頭し、絶対王政を疑問視した時も国王は王権神授説を盾に自らの統治の正当性を主張しています。

 

官僚制・常備軍が絶対王政を支えた

神から権力を授かったとは言え、国王一人だけでは国を統治できません。

絶対王政を維持するためには、国王の代わりに政務を補佐する家臣たちが必要でした。そこで国王は、貴族たちを組織して官僚制を整えて、実務に当たらせます。

国王直属の常備軍も設置されたのも、絶対王政の大きな特徴となります。

これまで軍隊は、戦争の時だけ組織され平時には存在しませんでした。いつでも出陣できる軍隊があれば、国王に敵対する勢力はうかつに手を出すことが出来なくなります。逆にチャンスと見れば迅速に敵国に侵攻し領土拡大も狙えます。

絶対王政は、国王の存在だけではなく有能な官僚や強い軍隊によって成り立ったと考えても良いくらいです。

 

絶対王政の財源確保

官僚体制と軍隊維持には莫大な費用が掛かります。そのため、農民が治める年貢だけでは足りず、新たな財源を求めて重商主義と呼ばれる経済政策がとられました。

重商主義とは…自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとするもの。

重商主義には二種類に区分されました。

重金主義…植民地から金や銀を奪う

貿易差額主義…輸出を増やし輸入を減らす

当初は、重金主義が主流でしたが、金銀の産出には限界があるので、徐々に貿易差額主義に移行していきました。輸出量を増やすために、良質な商品を分業で効率的に生産する【工場制手工業=マニュファクチュア】が発達して、後の工業発展につながりました。

 

絶対王政のメリット、デメリット

どんな政治体制も、メリット・デメリットがあります。

絶対王政の良い所と悪い所の両方から考えてみましょう。

強いリーダーシップが発揮できる

一番のメリットは、従来の【封建国家】から脱却し、国をまとめやすくなる点にありました。封建国家は、国王と貴族との間に交わされる土地を仲立ちする契約関係で成り立っていました。

歴ぴよ
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封建国家とは…国王が貴族に土地を与え、貴族は国王の求めに応じて軍役を果たすと言うものです。日本でも鎌倉時代に御恩と奉公の関係がありましたがそれに近い物です。

実際に土地や人民を支配するのは貴族だったので、地域によっては法律や税率が異なり、同じ国でも非常に複雑な状態となっていました。

一方で絶対王政では、封建国家のような契約関係はありません。国王のリーダーシップのもと、バラバラだった制度が統一され、一つの国としてまとまることが可能となりました。

領主貴族からの制限も受けず、国内で自由に商売ができるようになったので、商業が発展しのも絶対王政のメリットとも言えます。

権力と富の集中が起こりやすい

一方でデメリットは、権力と富が国王に集中した結果、悪政を招く可能性があり実際に多くの悪政が敷かれたのも事実です。絶対王政では、予算決めや軍隊の動員全てが国王の権限でした。

そんな国王が、国の発展につながらない民衆に悪い影響を与える政策を実行しようものなら、止められる人は誰もいません。悪政を敷いた国王の中には、宮殿建設に多額の費用をつぎ込んだり、無意味な戦争を繰り返して国民を苦しめた国王もいました。

 

一歩間違えれば国が傾く事になりかねない、デメリットもあった体制が絶対王政だったと言えます。

 

さまざまな国の絶対王政

先述しましたが、ヨーロッパ諸国でもフランス・イギリス・スペインは、絶対王政の下で繁栄した国として知られています。

ここでは、それぞれの国について書いて見たいとも思います。

フランスではルイ14世の統治が絶頂期

フランスでは、【太陽王】と呼ばれたルイ14世が君臨していました。

朕は国家なり】と言う有名な言葉を残し、貴族の力を抑えて意のままに国を統治していました。

多額な費用をかけて、パリ郊外にベルサイユ宮殿】を建てた事はあまりにも有名ですが、優秀な官僚に恵まれたのもこのルイ14世でした。

特に有能だったのが、神学者の【ボシュエ】と財務総監の【コルベール】です。ボシュエは、絶対王政の基本倫理である【王権神授説】を確立し、コルベールは重商主義を推進して財政再建と商工業発展に貢献しました。

4歳で即位したルイ14世の在位期間72年はフランス史上最長を記録し、まさに絶頂期を迎えていました。

イギリスはスペインを倒してその地位を確立

イギリスは、エリザベス1世の時代に絶対王政の最盛期を迎えました。

軍事力・経済力共に世界最強だったスペインを破り、イギリスが台頭しました。

エリザベス1世は、東インド会社の設立や北アメリカの植民地開発に莫大な富をもたらした功績が有名です。

また、イギリスでは、他国のように官僚機関や常備軍が発展せず、【議会】が中央政府としてその役割を担っていました。地方行政は、ジェントリ(郷紳)と呼ばれる地主たちがその任務を担当しています。

このジェントリ達が建てた工場で、毛織物を生産し世界中に輸出されイギリスの財政を大いに潤しました。

「善き女王ベス」エリザベス1世が誕生した足跡をたどってみよう【イギリス史】 エリザベス1世は25歳で即位した1558年からイングランドの絶対王政における黄金期を担った女王でテューダー朝最後の為政者です。 ...

スペイン【太陽の沈まぬ国】を実現した植民地政策

スペインで絶対王政の象徴と言えるのが16世紀のフィリペ2世の統治です。

植民地政策に力を入れ、南米・東南アジア・中国・アフリカなど世界中に勢力を広げました。

ポルトガルを併合してイベリア半島を統一すると、世界のスペイン領のどこかで必ず太陽が昇っている状態が実現します。このため、スペインは他国から【太陽の沈まぬ国】と呼ばれていました。

1584年には、日本の戦国大名が派遣した【天正遣欧少年使節※】がフィリペ2世に謁見をしています。

歴ぴよ
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※1582年、九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として、ローマへ派遣された4人の少年たちを中心とする使節団。1590年に彼らが持ち帰った印刷機で、日本初の活版印刷が行われました。

 

専制君主制との違いは?

絶対王政と似た政治体制に【専制君主制】があります。

絶対王政と専制君主制の違いはどこにあるのでしょうか??

一人の君主が統治する【専制君主制】

一人の君主が強大な政治権力を持ち、国を支配する体制を【専制君主制】と言います。

基本的に、君主は世襲で決まり、国民に選ぶ権利はありません。

そう言った意味では、絶対王政も専制君主制の一つと言えます。絶対王政は、中世ヨーロッパの政治体制を指すのに対して、専制君主制は時代や地域を問わず表現されます。

わが国もかつては、天皇家や将軍家が支配者として君臨する【専制君主制】でした。

現在、世界各国で国民が主体となって国の方針を決める、民主的な政治体制が主流となっています。君主も存在する国もありますが、その多くは憲法によって国民が政治に参加する【立憲君主制】を採用しています。

歴ぴよ
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立憲君主制とは…君主の権力は憲法によって制限されている政治体制の事を言います。天皇が存在する日本もこれに該当します。感覚的には、大統領制を取っていない国が該当するようです。

「絶対王政」→ある王朝が強大な権力を集め、国を治める政治体制

「専制君主制」→国王「個人」に強大な権力が集中し、国を治める政治体制

似ているようですが大きな違いは、「王の責任の大きさ」よるところでしょうか??

絶対王政では「国王を中心とする官僚機構」が国を支配します。そのため、政策の失敗は全て官僚に責任転嫁でき国王が批判されずに、その権力は強いままです。

一方で、専制君主制は、国王個人が単独で国を支配するので、政策の失敗は国王自ら責任を負う事になり、権力の低下が危惧されます。

定期テストで問われたら、以下のポイントを押さえておくと良いでしょう。

絶対王政の特徴

  1. 官僚制…国王の補佐係にあたる役職です。国王が命令を出したあと、政策を検討・実施するのは官僚たちです。
  2. 常備軍…常に軍隊を備えておきました。大国同士の大規模な戦争が増え始めていたので、戦争の度に兵士を募るよりも効率的でした。
  3. 重商主義…【我が国をお金持ちにしよう!!】と言った考え方です。官僚や常備軍に多額の費用が掛かるので、財源確保のために重商主義政策をとる必要がありました。政策として、重金主義植民地から金を獲ってくる政策)と貿易差額主義輸出を増やして輸入を減らし、その差額で儲ける政策)の2つがありました。
  4. 王権神授説…【国王の権力は神から授けられたものだ、だから国王に逆らってはいけない!】という思想で、国王が自らを神格化することで、絶対王政を正当化しました。

 

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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