足利尊氏の肖像画がいつの間にか変わっていた!?
皆さん上記の肖像画をご存じだろうか??
20年以上前に歴史の授業を受けた人ならお分かりだろうが、室町幕府初代将軍・足利尊氏と認識していた肖像画です。
黒い馬に乗った人物はいかにも武士らしく子どもながらに、将軍だから強いんだろうなとイメージを膨らませたものです。刀を担いだ武士の肖像画=足利尊氏と私だけではなく同じ年代の人もそう思っているはずです。
あの肖像画は高師直だった!?
この肖像画が尊氏だと決定したのが、大正9年に歴史学者の黒板勝美が論文の中で尊氏だと紹介した事により定着しました。しかし、昭和43年に古文書学者の萩野三七彦が、これは尊氏ではないと旨の論文が発表され世間をざわつかせました。
その根拠として…
- 肖像画に書かれている花押は二代目・義詮のもので当時の常識から言って、父の絵の上に息子が花押を書くなんて考えられないほどの非常識な事だった。
- 書かれている太刀と馬具に書かれている家紋は輪違紋と言われているモノで、足利家の家紋ではなく高氏※のものではないかと言われている。
- この肖像画の人物は軍装で整った姿の鎧兜姿ではなく、現代風にいくとラフな格好で、背負っている矢も1本折れており、太刀は抜き身であることから、征夷大将軍の肖像画としては明らかに異様な構図である事。
の3つの理由で、足利尊氏ではないと言うわけです。
これが肖像画の全体図ですが、星で囲んである部分が花押でこれが尊氏の物ではなく、息子の義詮の花押と言うわけです。
では、この肖像画はいったい誰なのか?
家紋が高氏のものではないかと言う事から、執事の高師直か息子の高師詮を書いたものではないかと考えられています。そして、この肖像画は高氏の将軍への忠誠を表すために書かれたもので、肖像画の上部に将軍・義詮がその忠誠に対する確認ために書いたのではないかと考えられています。
この肖像画は、2000年頃まで歴史の教科書に載っていましたが、上記のような説が浮上したこと事から尊氏の肖像として記載がなくなり、騎馬武者像と言う記載になっているようです。
足利尊氏と思われる肖像画の発見!!
2017年頃の新聞に、尊氏の死後ほどなくして書かれた肖像画の写しが発見されたと書かれたものがありました。この歴史的発見ともいえる、足利尊氏の肖像画は、正装して着座している人物が書かれています。
上方には数十行にもわたる書かれている人物のプロフィール的な文章が残されていました。尊氏を表す長寿寺殿と言う言葉があり、尊氏の業績として知られる国内66州に寺や塔を建立した旨が記されていることから、尊氏と判断されたようです。
さらに2代目義詮が京都の東岩蔵寺に奉納したと言われている木造足利尊氏坐像と、今回発見された肖像画の大きな鼻とタレ目の特徴が酷似していることから、尊氏の肖像画であることが間違いないだろうと言う見解になっています。
アップにしてみると似てると言えば似てなくもないが…
歴史は研究が進むと私たちが学んだことと違う方向に変わることは多々あります。
つい最近買った歴史の本では、新しい足利尊氏の肖像画が書かれていました。
現在の歴史の教科書にはどのように書かれているかは、確認はとれていませんが、もし現役の学生さんが居たら、足利尊氏の肖像画はどのようになっているか、メールにて一報くれたら嬉しいです。