富国強兵を体現した日本での鉄道敷設と軍隊の関係性

19世紀前半にイギリスでは、蒸気機関による鉄道が実用化されて以降、鉄道は文明の発達に大きな役割を果たしていました。
一方で日本では、明治維新後の1872年(明治5年)には、早くも最初の鉄道が新橋から横浜間に開通して、日本の近代化を加速させていきました。
日本の鉄道事業
文明開化前の江戸時代は、人の移動がある程度制限されていた時代でした。明治維新後の日本では、この移動制限がなくなり人の移動がより活発になりました。明治初期には、この鉄道や馬車の使用などで公共交通機関が急速に整備されました。
日本での鉄道は当初、官営鉄道により経営が行われていましたが、西南戦争などで情勢が不安定な状況が続き、資金的にも時間的にも国の物だけでは間に合わず、1882年には、私鉄である日本鉄道を認可しました。この日本鉄道は、1883年には早くも現在の東北本線の一部や高崎線などを開業しています。
この様な鉄道網の敷設は、当初の官営を掲げていた国の方針を曲げてまで早期達成したい国家プロジェクトでした。こうして官民が一体となり日本中に鉄道を敷いていき、1906(明治39)年に国は、日本鉄道の全国主要17の私鉄を買収して官営鉄道に合併させるのです。これがのちの国鉄となり現在のJRの基礎となります。
では、なぜ鉄道プロジェクトは日本にとって最重要課題だったのでしょうか?
それは、そのスピードと安定した輸送力にありました。人の輸送だけではなく、地方の工場で生産されたモノなども安定して一度にたくさん運ぶことが出来たに他なりません。
また、もう一つの理由として軍事的な意味合いもありました。
当時、兵や軍事物資を速やかに大量に運べるのは、鉄道しかありませんでした。
実際に鉄道による軍事輸送が始まったのは、1877(明治10)年の西南戦争でした。この時の鉄道路線は、東京~横浜間、京都~神戸間だけでしたが、従来の軍事輸送とは比べ物にならな程の効率を見せました。
以降、昭和の高度経済成長期の自動車の大衆化現象に至るまで、鉄道は日本全国に建設され続けることになります。そして、第二次大戦終了まで鉄道の建設には、軍隊の意見が反映されることが多くなります。
その大きな例として、横須賀線などは、海軍の本拠地である横須賀と東京を結ぶための路線と言えるでしょう。そのため、横須賀駅も市街地からかなり離れた所にあるのが、旧海軍の基地から当時近かった頃の名残です。
軍の意見と言えば、東京~大阪間の鉄道建設に関してが非常に興味深いものとなっています。当時の路線計画は旧東海道沿いと旧中山道沿いがあり、一時は旧中山道沿いで決定していました。現在では、考えられない事ですが、当時は東海道側に人口が集中していたわけでなく、内陸ルートの方が需要があったようです。
また、海沿いを行く東海道ルートは、敵の砲撃を受けやすいという理由から陸軍が反対したとも言われています。しかし、山岳地帯を通るため、難所が多く工事が困難なため、1886年(明治19)に、東海道ルートへと変更になったそうです。
現在、東京の中央線にも軍事的な名残があり、新宿駅から都心方向に向けて大きく南に曲がっています。これは、陸軍が青山練兵場に直接乗り入れられるように誘致した結果、中央線の新宿以降のカーブができたとされています。
以上の例からみても明治の鉄道建設は、軍隊と密接な関係があったことが分かります。