歴史コラム

なぜ世界に格差が生まれたのか?『銃・病原菌・鉄』から見る文明発展の違い

歴ブロ
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少し前に「鉄」に関する記事を書いて少々興味がわいたため、読んだ本です。銃と鉄、病原菌について書かれているかと思いましたが、端的に言えば「西欧の優勢が環境によるものであって人種の優劣の違いではない」ことが主に書かれていました。

日本史とかけ離れているようにも見えますが、少々面白い視点もこの本で読んで見えてきたので少しばかり触れていきたいと思います。

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富の不均衡

まず、現在のような「富の不均衡」がなぜ起きたのでしょうか?

一般的に経済規模の大きな国々は、ヨーロッパや北米、東アジアに多く集まっています。『銃・病原菌・鉄』で注目されているのは、これらの地域の多くがユーラシア大陸の東西に広がる地域に位置している点です。f:id:miumaga:20150109142956j:plain

ユーラシア大陸は東西に長く、同じような緯度では気候や日照時間も比較的似ています。そのため、ある地域で生まれた作物や家畜、農耕技術などが、別の地域にも広まりやすい環境にありました。

そもそも、人類が自発的に食料生産を始めた地域は、それほど多くありません。農耕や牧畜を始めるには、栽培に適した植物や家畜化できる動物、水源や土壌など、いくつもの条件が必要だったためです。

こうして食料生産が広がった地域では、狩猟採集だけに頼る場合よりも、一定の場所で多くの人口を養えるようになりました。収穫物を蓄えられるようになると、農耕以外の仕事に携わる人々も現れます。

道具を作る職人や兵士、宗教を担う人々、集団を統治する支配者などに役割が分かれ、社会の仕組みも次第に複雑になっていきました。食料生産と人口の増加は、都市や国家、文字、技術などが発達する土台の一つになったと考えられています。

もちろん、農耕が始まれば、すべての地域で同じような社会が成立したわけではありません。狩猟採集と農耕を組み合わせながら暮らした人々もいました。それでも、食料を安定して生産できる環境に恵まれた地域ほど、人口や技術、政治組織を発達させやすかった、というのが本書の大きな見方です。

病気の蔓延

さらに、多くの人々が定住し、家畜と近い距離で暮らすようになると、感染症が広がりやすくなりました。

人口が密集した集落や都市では、病原体が人から人へ伝わりやすくなります。また、家畜と近い距離で暮らす中で、もともと動物が持っていた病原体が人間にも感染するようになった例もあります。たとえば、インフルエンザウイルスの一部は鳥類を自然宿主としています。

もちろん、現在でもすべての感染症の起源が明らかになっているわけではありません。天然痘も家畜との関係から説明されることがありますが、天然痘ウイルスがどのように成立したのかは、現在も完全には分かっていません。

さらに、都市や国家が成立し、人や物の移動が活発になると、病原菌も広い地域へ運ばれるようになります。ユーラシア大陸では、作物や家畜、技術が東西へ広がったのと同じように、感染症も人の移動を通じて各地へ伝わりました。

感染症の流行を繰り返し経験した社会では、病気から回復して免疫を得た人々も出てきます。一方、それまで同じ感染症を経験していなかった地域では、新たな病気が持ち込まれると大きな被害が発生します。

ヨーロッパ人がアメリカ大陸などへ進出した際には、銃や鉄製武器だけでなく、天然痘をはじめとする感染症も持ち込まれました。現地の人々の多くは、これらの感染症をそれまで経験していなかったため、急激な人口減少が起こったのです。

病原菌だけで征服が決まったわけではありませんが、現地社会を大きく弱体化させ、ヨーロッパ側による支配を助けた要因の一つになりました。

『銃・病原菌・鉄』では、ヨーロッパ側の優勢を人種的な能力の差ではなく、食料生産に適した環境や大陸の形、人口、技術、感染症などが長い時間をかけて積み重なった結果として説明しています。

日本への影響

こうした感染症の広がりは、日本史とも無関係ではありません。日本史の大まかな流れで書いた疫病も天然痘(もしくは麻疹)の可能性が高いと言われています。

日本では、農耕だけでなく狩猟採集も続けられていましたが、それでも外から病原菌が入ってきました。やはり、その原因となったのは人の行き来です。

大陸や朝鮮半島との交流が活発になると、文化や技術だけでなく、感染症も日本へ伝わってきます。6世紀半ばには、天然痘または麻疹とみられる疫病が日本で流行しました。

ちょうど仏教が伝来した時期と重なっていたこともあり、『日本書紀』では、物部氏や中臣氏が「外国の神である仏を祭ったため、日本古来の神々が怒ったのだ」と主張したとされています。

その結果、蘇我稲目が祭っていた仏像は捨てられ、寺も焼かれました。もちろん、疫病が流行した原因は仏教ではありませんが、病原菌について分からなかった当時の人々にとっては、仏教を受け入れた直後に疫病が起きたように見えたのでしょう。

疫病の流行は、仏教を受け入れるかどうかをめぐる対立にも影響を与えました。

当然、仏教受け入れの対立だけにとどまりません。その後も、日本では天然痘とみられる疫病がたびたび流行し、政治や社会を揺るがします。

奈良時代の735年から737年にかけて起きた天然痘の大流行では、藤原不比等の息子である藤原四兄弟も相次いで亡くなっています。疫病や飢饉、反乱が続く中で、聖武天皇は仏教によって国を安定させようとし、国分寺の建立や東大寺大仏の造立が進められました。

れきぴよ
れきぴよ

奈良の大仏が造られた背景には、天然痘の流行をはじめ、当時続いていた疫病や飢饉、政治不安がありました。

日本は海に囲まれていますが、外部との交流がなかったわけではありません。人や物が行き来すれば、文化や技術とともに感染症も入ってきます。

日本史を見る際にも、国内だけでなく、大陸や朝鮮半島との交流、人の移動、地理的な条件をあわせて考える必要があるのです。

日本史を学ぶには世界史も大切

では、何が言いたいのかと申しますと日本史を学ぶ際は世界史とも連動しているという点と歴史を学ぶ際に地理を学ぶことも重要だよと言う点です。

正直、地理的環境が歴史にも影響していることは分かっちゃいましたが、日本は昔からの先進国(中国の歴代王朝)が程良い距離にあるから程度。文明の伝播しやすい場所をそこまで大きな視点で捉えることはありませんでした。

本著は「壮大なスケールで書かれた仮説」なんてことがアマゾンのレビューで書かれていたりしましたが、そんな壮大なスケールから物事を見るなんてことがなかったので個人的に面白いなと思いまして。

翻訳される前の原著では日本についても触れられているようなのですが、翻訳版では多少書かれているものの、そんなにガッツリは触れられていなくて残念。他国(そこまで利害の関係ない国)の人が書いた日本史にもいずれ触れてみたいなと思うこの頃です。

2026年7月11日 記事更新

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ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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