信長の妹「犬姫」の生涯とは?もう一人の戦国美女が歩んだ、知られざる波乱の人生

戦国時代、織田信長の妹といえば「お市の方」がよく知られています。
浅井長政に嫁ぎ、三姉妹(淀殿・初・江)を生み、壮絶な最期を遂げたお市の方は、戦国を代表する悲劇の美女としてたびたび語られてきました。
しかし、実は信長にはもう一人、美貌と波乱の人生を歩んだ妹がいました。
その名は「犬姫(いぬひめ)」。
歴史の表舞台に出ることはありませんでしたが、信長の妹として、二つの名家に嫁ぎ、激動の時代を生きた女性です。
今回は、そんな犬姫の知られざる生涯をたどっていきます。
四方様――“美しさで四方を照らす”と称された姫君
犬姫は、織田信秀と正室・土田御前の娘とされ、信長やお市の方と同じ母を持つと考えられています(諸説あり)。彼女の実名は不明で、後世には「犬姫」「於犬(おいぬ)」「大野殿」などの名で呼ばれました。
とくに注目されるのが、その美しい容姿。
彼女は「四方様(しかたさま)」と呼ばれるほどの美しさを誇っていたとされ、まるで周囲を光で照らす存在のように語り継がれています。
その肖像画が、京都の名刹・龍安寺の塔頭・霊光院に伝わっているといわれることからも、後世において一定の尊崇を集めていたことがうかがえます。
佐治信方との結婚――信長の海戦戦略とつながる縁
犬姫が最初に嫁いだのは、知多半島の豪族・佐治家の嫡男・佐治信方でした。
佐治家は伊勢湾沿岸に勢力を持ち、「佐治水軍」を擁していた武家一族です。
この時期の信長にとって、海上交通の掌握は重要な課題でした。
桶狭間の戦いで今川義元を破ったのち、伊勢・志摩方面に勢力を広げるためには、沿岸の豪族との連携が不可欠だったのです。
そこで、信長は政略結婚として妹・犬姫を信方に嫁がせたとみられます。
信方は「為興」という名から「信方」と改名し、信長の「信」の一字を与えられたことからも、その結びつきの深さがうかがえます。
政略的な婚姻ではありましたが、二人の関係は良好だったとされます。
しかし1574年、信方は織田信忠(信長の嫡男)に従い、「長島一向一揆」の討伐に参加。
この戦で命を落としてしまいます。
享年22――あまりにも若い死でした。
犬姫は未亡人となり、織田家へ戻されます。
結婚から約14年、幸せな時間はあっけなく終わりを迎えました。
細川昭元との再婚――織田政権の静かな戦略
佐治信方の死から数年後、犬姫には再び縁談が持ち上がります。
今度の相手は、かつて室町幕府で将軍を補佐する「管領」を務めた名門・細川家の嫡男、細川昭元(あきもと)でした。
この縁組は、犬姫の意思というよりも、織田政権の政治的戦略として決定されたと考えられています。
というのも、信長は1573年に足利義昭を京都から追放し、室町幕府を名実ともに終焉へと導いた張本人です。
しかしその一方で、旧幕府系の有力家を完全に敵視していたわけではなく、政権安定のために血縁による懐柔策(縁者化)も進めていました。
お市の方を浅井家へ、娘たちを徳川家や蒲生家などへ嫁がせたのも、そうした背景があります。
犬姫と細川昭元の婚姻も、“旧幕府名門との橋渡し”として機能したとみる説が有力です。
もちろん、一次史料に明確な意図が記されたわけではありません。
けれど当時の「婚姻=外交・政略」であったことをふまえれば、犬姫の再婚もまた、信長政権の正統性を支える静かな布石だったと言えるでしょう。
子どもたちがつないだ歴史の血脈
犬姫と細川昭元の間には、少なくとも3人の子どもが誕生しています。
- 長男・細川元勝:豊臣秀頼の近習として仕え、大坂の陣では豊臣方として奮戦。
- 長女・円光院:秋田実季(あきた さねすえ)に嫁ぎ、秋田家に織田家の血を伝える。
- 次女:名前は不詳ですが、加賀前田家の姫・珠姫に仕え、前田家と間接的なつながりを築く。
こうして、犬姫を通じて織田家の血筋は、豊臣政権、秋田家、前田家といった戦国後期から江戸初期の重要家系へと広がっていくのです。
本能寺の変と犬姫の最期
1582年6月――歴史が大きく揺れ動く事件が起きます。
明智光秀の謀反により、兄・織田信長が本能寺で自害したのです。
この事件の衝撃は、織田家一門にとって計り知れないものでした。
そしてそのわずか3ヵ月後、9月8日――犬姫もまた、この世を去ります。
死因については定かではありません。
一説には兄の死による精神的ショックや、織田政権崩壊後の不安定な環境が、体調に影響したとも言われています。また、細川家が旧幕府に近かったことから、政治的なトラブルや陰謀に巻き込まれた可能性を示す説も存在します。
ただ、それらが事実かどうかはわかっていません。
確かなのは、信長亡き後の混乱が犬姫の最期に深く関係していたということだけです。
名を残さなかった、けれど確かに歴史を支えた女性
犬姫は、戦国の記録にその名を大きく残した人物ではありません。
戦を指揮したわけでもなく、政治の中心にいたわけでもない。
けれど彼女は、兄・信長の政略を支え、二つの名家に嫁ぎ、血をつないで時代を生きました。
彼女の存在がなければ、佐治家や細川家との関係も違ったものになっていたかもしれません。
そして、彼女の子どもたちが歴史の要所に関わったことを考えれば、犬姫は静かに歴史を動かした戦国の女性のひとりだったのです。
華やかではないけれど、確かに咲いていた、戦国という時代のもう一つの花。
それが、犬姫という女性の姿でした。
この記事はYahoo!ニュースエキスパートに掲載したものをブログ用に加筆修正したものです。