鬼滅の刃の時代設定である大正時代はどんな時代!?
鬼滅の刃の時代設定となったのが大正。
江戸幕府が滅び、急速に近代国家に生まれ変わる明治時代と第二次世界大戦で敗戦し、焼け野原から奇跡的な高度経済成長を遂げた昭和の間に位置する15年間を大正時代と呼んでいます。
皆さんも知っての通り、大正時代は1912年~1926年の15年で日本史で一番短い時代でした。ちなみに、次に短いのが平成と安土桃山時代の30年となります。
15年と短い期間の大正でしたが、関東大震災・大正デモクラシー・第一次世界大戦が起きた激動の時代です。また、1918年【大正7】からはスペイン風邪が世界的に猛威を振るっており、日本でも2300万人以上が感染、39万人の死者を出したと言われています。
激動の時代だったにもかかわらず、15年という短い期間だったため「何となく影が薄い時代」と思う人は少なくないはずです。しかし、年表を見てみると1912年の大正天皇即位~1926年崩御までの間に歴史のターニングポイントがたくさんあった事に気が付くと思います。
大正時代の主な出来事
明治天皇崩御に伴い、大正天皇が即位。元号を明治→大正へ改元。
桂太郎内閣に批判が集まり、憲政擁護・閥族打破を掲げた立憲政友会や民衆によって第一次護憲運動が発生しました。その結果、桂内閣は総辞職することとなります。
この出来事は「大正政変」と呼ばれ、民衆の運動で内閣が倒された最初の事例となりました。これをきっかけに「大正デモクラシー」が進展することとなります。
サラエボ事件をきっかけにドイツを中心とする【同盟国】と、イギリスを中心とする【連合国】の間で第一次世界大戦が勃発します。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦、ドイツの勢力圏である山東省の青島やサイパンなどを占領していきました。
さらにこの期間中はヨーロッパ各国の力が弱まり、アジア市場へ日本製品の輸出が促進されます。連合国側から軍需品の注文も殺到。そのため「大戦景気」が生じ、日本経済は飛躍的に発展していきました。「成金」と呼ばれる巨万の富を築いた人々も現れました。
ヨーロッパ勢のアジア撤退を機に日本は中国での権益の拡大を図り、中国に「21カ条の要求」を発し、「山東省のドイツ権益の継承」「旅順、大連の租借期限延長」などを求めます。
ソビエト連邦が成立すると、日本は革命の波及を恐れてシベリア出兵を実施します。
シベリア出兵の影響で米の価格が高騰。富山県で数十人の女性たちが抗議のために米屋へ押しかけたことをきっかけに、各地で暴動が発生しました。
「ヴェルサイユ条約」が調印され、同時に「国際連盟」も創設。日本は戦勝国の一員として「国際連盟」に加盟し、常任理事国に選出されました。
詳しくは下記を参照
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位。昭和に改元され大正時代が終了。
民衆が力を合わせ権力を屈服させた大正時代
大正時代を書く上で外せないのが【大正デモクラシー】です。
1914(大正3)年に勃発した、第一次世界大戦は日本に特需をもたらします。造船業や鉄鋼業を中心に輸出量がアップし、日本は好景気に沸きました。
この戦争で日本経済は急速にアップしましたが、一部の権力を持った資本家たちが良い思いをしただけで、国民全体が豊かになったとは言えませんでした。多くの人が抑圧され、苦しい生活を強いられていたのです。
そんな時代の中で「不平等を無くし人々と意見を交わし合い、生きやすい世の中を目指す」ための運動が起こりました。これらの運動の総称を【大正デモクラシー】と呼んでいます。
この時代の資本家の労働者に対する搾取はひどいもので、病気になっても休ませてくれない状況でした。1920(大正9)年5月2日、東京の上野公園で日本で初めての労働者の大会であるメーデーが開かれます。
約1万人の労働者が集まり【8時間労働の実施】【最低賃金法の制定】などを訴えました。
一方、農村部ではほとんどが地主から土地を借りている小作農が多く、その賃料である小作料が高すぎて農民たちは悲惨な暮らしをしていました。そして、メーデーに呼応するように、今度は農民運動の全国組織である日本農民組合が大正11年に作られています。
次に立ち上がったのが女性たちで、この頃の参政権は男性にしかなく、女性は政治について物も言えずに男性に従うしかありませんでした。しかし、その女性たちが立ち上がり婦人運動が各地で起こります。
また、明治維新後に出された解放令により穢多・非人などの被差別部落民達が封建的な身分関係から解放されていましたが、実際にはさまざまな差別が残り多くの部落民は文明開化・殖産興業・富国強兵が進行していく中で貧困に苦しんでいました。
そこで苦しんでいた人々が立ち上がり、部落解放運動を立ち上げ、大正11年に全国水平社が結成されました。
こうした風潮の中、ついに普通選挙の実施を求めた普選運動が起こります。
当時の選挙権は、一定の税金を納めた男子にしかなく、有権者のほとんどが地主や資本家で、これでは、選挙で選ばれた人たちが政治をすると言っても平等な政策が行われるはずがありません。
普選運動はあちこちで起こり、政府も民衆を押さえる事が出来なくなり、ついに大正14年に普通選挙法が公布され、25歳以上の男子すべてに選挙権が与えられました。しかし、女性の参政権はこの時まだ認めず、まだ先の話になります。
このように、様々な立場の人々が立ち上がり平等な社会を実現するための基礎を作って行ったのが大正という時代でした。
女性の社会進出が進み始めた大正
大正デモクラシーを背景に、個人を尊重し自由を重んじる風潮が現れ、大正時代の思想や文化の基礎になりました。特に、女性がクローズアップされ、女性の社会進出が増加し【職業婦人】と呼ばれるようになりした。
女性の教育も盛んになり、女学生が増えた他、宝塚少女歌劇団、少女雑誌、洋服、化粧品などの女性文化が誕生し、特にファッションや美容は目覚ましい発展を遂げています。大正末期には流行りの洋服を着こなし、ショートヘアーに付けほくろ、爪にはマニュキュアを施した装いが流行の最先端となりました。
大正当時、流行の最先端であった彼女たちを【モダンガール】と呼び、略して【モガ】とも呼ばれるようになります。
昭和に入るとこれらの文化を【大正ロマン】と呼ぶようになります。
鬼滅の刃の詳しい時代設定を推測
原作の『鬼滅の刃』では、あらすじに「時は大正」と書かれていることから大正時代のお話という事は間違いありません。
具体的な年月は、藤襲山の最終選別で炭次郎が出会う【手鬼】が「忘れもしない47年前の慶応の頃だった…」というセリフから考えていきます。
江戸時代の慶応年間は1865年~1868年と短い事から、そこに47年と足すと最終選別が行われたのが、1912[大正元]年~1915[大正3]年となります。
さらに掘り下げると、竈門家が無惨に襲撃されるのは最終選別の2年前である事から、第一話は大正元年か大正2年となります。さらに、無惨襲撃直前に炭次郎が「正月になったらみんなに腹いっぱい…」と発言していることから第一話は正月頃だと思われます。
ちなみに大正元年は7月30日から始まったため、第一話の正月頃は大正2年の正月と言うのが推測されます。明治以降から暦も旧暦から現在の暦に変更はされていましたが、昭和21年の農村部でも旧暦使用率が40%だった事から炭次郎の所も旧暦を使っていた可能性はあるので、正月と言っても新正月と旧正月かは本書では分かりません。
鬼滅の刃は関東大震災前の物語
鬼滅の刃※で、炭次郎と禰津子が浅草に来た場面に凌雲閣らしき浅草のランドマーク的建物が映り込んでいました。
1890[明治23]年に浅草で完成した凌雲閣は、12階建て、高さ52メートルの高層ビルで『浅草十二階』と呼ばて展望台が設置され、東京で有数の観光地でした。
1923年の関東大震災で半壊した事により、解体され現在は残っていません。
そのことから、鬼滅の刃は1923年の関東大震災以前のお話ということが分かります。
※著作権の問題で画像は乗せませんのでアニメで確認してください。コミックでは確認できませんでした。
激動の明治と昭和に挟まれ、その短さからスルーされがちの大正時代ですが、女性の社会進出が進み、欧米文化の流入、民衆の団結など現代に繋がる大きな節目となる出来事がたくさんあります。
大正デモクラシーは、後の戦後民主主義に繋がったと評価されました。この時代になると、大正時代の服装や髪形などの文化は様々なメディアで確認する事が出来き、当時の建築物も残っていることが多いので、実際に見て触れて大正時代を深めていくのも良いでしょう。