武田信玄や斎藤道三も愛読していた!?中国の兵法書【孫子】
NHK大河ドラマの『麒麟がくる』で斎藤利政(道三)が『孫子』を愛読していることが分かりました。戦国最強と言われる甲州騎馬隊を有する甲斐の武田信玄も『孫子』の愛読者であり、その中に出てくる『風林火山』を旗印にしていました。
生みの親孫武が活躍した中国でも、三国志の曹操が官渡の戦いの時に『孫子』に注釈をつけていたと記されています。ヨーロッパでは、フランスのナポレオンまでもが愛読してた話も残っています。
『孫子』を書いた孫武は紀元前500年頃に活躍した武将ですが、その頃に書かれた兵法書が現代も書店に並び愛読者がたくさんいるというのは本当に驚きですね。
今回は中国最古にして、世界屈指の兵法書『孫子』について書いていきます。
【孫子】の一体何がすごいのか?
孫子は単なる「戦争論」を述べているだけではなく、人間という生き物を心理的に深く分析し、精神や行動に対する鋭い洞察をみせ、兵法の域を超えた「人間論」として十分価値のある書物であるのが人気の秘密だとされています。
中国では七種類の兵法書がある
孫子の生まれた中国では、『武経七書』と呼ばれる七種の兵法書があるとされてきました。
- 『孫子』
- 『呉子』
- 『尉繚子(うつりょうし)』
- 『六韜(りくとう)』
- 『三略』
- 『司馬法』
- 『李衛公問対(りえいこうもんたい)』
この七つの中でも『孫子』が非常に実戦的ということで定着していきました。現代では、仕事や人生にも役に立つと言う事で、最近では子供向けの書籍まで販売されています。
とは言うものの、孫子はあくまでも【兵法書】で戦に勝つための書籍として、世界中の有名人に読まれていたのです。
『孫子』と『孫臏兵法』がある
孫武の子孫に孫臏(そんぴん)がいました。
斉に仕えていた孫臏は、同僚の龐涓(ほうけん)陥れられると、魏で「臏(両足の膝蓋骨を切り取られる酷刑)」に処せられ、歩けなくなったといいます。名前はそこから取ったとも言われています。
さすが孫武の子孫だけあって、歩けずとも軍略に優れていた彼は、斉・威宣王に重用されました。そして前341年には【馬陵の戦い】で宿敵・龐涓を打ち破る戦果をあげるのです。
孫臏は、同じ孫氏で軍略にも優れていたことから一時期『孫子』の作者なのでは?と言う説も流れていました。しかし、1972年に臨沂(りんぎ)・銀雀山の漢代墓葬から竹簡資料が出土し、孫子とは他の孫臏学派の兵法書が大量に発見されました事で、孫子=孫武と言う事になったようです。
孫氏の子孫には三国志の【孫堅】がいる?
タイトルの真実は、この時代ではあてになりません。劉備が【漢王朝の子孫である】と言っていた時代なので信ぴょう性はかなり低いとされています。
三国時代でこそ、呉の皇帝として君臨した孫氏ですが、元は地元に根付いていた名門「呉郡四氏」顧・陸・朱・張の四氏、陸遜の陸氏らを含む名門とは仲が悪かったと言われています。
『三国時代』において、『孫子』と関わりが深いのが曹操孟徳です。
コレクター魂に火が付いていたのか曹操は、孫子を集め愛読し、自らも孫武になり切り注釈を入れていたとされています。孫子が良かったのか、曹操の能力が長けていたのか、宿敵・袁紹との大決戦では見事勝利し、中国大陸の北側を我が物にしました。
孫子に書かれている主な内容
ほとんどの人は、戦に勝つためにこのような書籍を参考にすると思います。
それも間違いではないのですが、孫子で説いている勝ち戦とは【相手を打ちのめす】ことではなく、【いかに軍隊や兵を消耗しないか】でした。無駄に戦いを挑み、その戦に勝ったとしても、それは上策ではないと書かれています。
被害は最小限に食い止め、あわよくば【戦わずして勝つ】事の大切さを説いています。
兵法書でありながら、【戦わない事】を推奨するこのハウツー本は、非常に画期的だったと言えます。
上記のような考え方を念頭に孫子では、【奇策】を推奨しています。
奇策とは、人が思いもよらない奇抜な作戦の事で、真っ向勝負が美談として取り上げられますが、実際にはスポーツマンシップな戦い方を求められるわけではないのです。
相手を分析して行動を予測し、その上を行く奇想天外な戦略を立てる必要があります。また、それらを実行に移すためには、念入りな準備と統率力が求められます。そのために孫子では、チームワークを向上させる方法や、兵士たちのモチベーションの上げ方などを論じています。
武田信玄の旗印は【風林火山】
疾(はや)きこと風の如く、徐かなるは林の如く、侵掠すること火の如く、動かざることは山の如し
訳
「軍隊が移動するときは風のように速く、陣容は林のように静かに悠然と構え、攻撃する際には火のように勢いに乗じろ。ただし、山のように、陣形を崩さないのが大事である」
孫子より
どこかで聞いた事がある文言ですね。
そうです、武田信玄の旗印で有名な【風林火山】です。
では、どうして武田信玄は、風林火山を掲げたのでしょうか?
あの旗印で信玄がアピールしたかったこととは?
それは「俺は『孫子』を極めているぞ!!」という自信です。
戦国時代は、明からの輸入品がステイタスでした。そのため、日本ではmade in【明】がプレミアがついていました。明国では、どんなガラクタでも日本に売れば金になると言われたほどでした。
そんな戦国時代のお金持ち層【戦国大名達】は、必死に書籍や芸術品・茶器などを集めていたのです。そんな日本で、漢書である【孫子】を取り寄せ、極めたとアピールすれば、敵に威圧を与えることができたのです。
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なぜ時代を超えて孫子は読み継がれるのか?
現代でも、書店に行けば孫子関連の書籍はたくさんあります。
また、関係のない書籍を読んでいても、孫子の言葉が引用されているものがたくさんあります。一言でいえばそこに普遍的な道理が含まれているからなんです。
孫子は、紀元前500年頃に書かれた兵法書です。
時代の流れにより武器や技術は進歩していきます。戦国時代に鉄砲の伝来により戦の在り方がガラリと変わりました。飛行機の誕生で、これまでの戦争の在り方も変わっています。
そうなれば、紀元前に書かれた戦闘技術の書籍など役に立つわけがないのですが、それでも『孫子』が有効であるのは、人間にとって普遍的な心理的、組織運営の手法を説いているからです。
だから、戦争だけではなく、仕事や教育現場でも孫子を引用する機会があるのです。
ビジネスにも役立つ孫子の名言集
孫子の名言で、現代のビジネスシーンでも役に立つものがたくさんあります。
「兵とは国家の大事なり」
これは先ほども少し触れた「戦わずして勝つ」ことの根幹となる言葉で、兵は国家の存亡を左右する存在であり、無下にせず、扱いには熟慮すべきであると説いています。
今で言う所のブラック企業問題などに通じるところがあり、経営者や管理職など人を束ねる立場の方が活用できる教えではないでしょうか。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
『孫子』のなかでもっとも有名な言葉で、相手を知り、自分を知ることができれば、百回戦っても負けることはないだろうという意味です。
ビジネスにおいても、顧客やクライアントのことはもちろん知らなければなりませんが、自社についても把握しておかなければ、簡単に足元をすくわれかねないのです。
「必ず全きを以って天下に争う」
相手をいためつけるのではなく、無傷で味方に引き入れてしまえば天下は近づく、という意味です。この言葉から、『孫子』は兵法書でありながらも「究極の平和」を説いているという見方ができるでしょう。
最後に…
人間が勝つか負けるかの状況に置かれたとき、どうなるか、どう動くか、どう動くべきか、というのが孫子の教えで、勝つ負けるをビジネスに置き換えても孫子の兵法は、当然有効であり応用できるものです。
もちろん、2500年前の具体的な教えをそのまま使おうと思っても現実に適用するのは難しい。そのため自分の合った解釈はしなければいけないのが、孫子との正しい付き合い方なのかもしれません。