エジプトの動向を見てみよう!【古代エジプト文明】
メソポタミアとほぼ同時期…あるいは少し遅れたくらいの時期に興った文明がエジプト文明です。
エジプトと言えば、辺り一面の砂漠地帯のイメージではないでしょうか。そのイメージは、あながち間違いではないようで。
砂漠があるからこそナイル川周辺の水辺に人が集まり、文明が築き上げられています。ナイル川周辺以外だと砂漠ばかりで水の確保がなかなか出来ず、生きることが難しいためです。
そんなエジプトの動向を探っていこうと思います。
文明が興る前のエジプトを見てみよう
文明が興るための最低条件、人口を養うための食料獲得手段を確立しなければなりません。その手段はエジプトの場合も農耕・牧畜です。そうは言っても砂漠地帯。農耕や牧畜に水と良質な土壌は本来なら期待できる状況ではありませんでした。
ところが、以前書いたように、ナイル川の水源近くには雨量が多く、良質な土壌が豊富な土地が存在しています。そこで降った雨水が土壌を削り取り、エジプトを流れるナイル川下流まで流れて洪水を引き起こします。古代エジプトに住む人々は、この洪水で流れ着いた土壌を用いた農業を編み出したのです。
洪水と言っても、ナイル川は非常に長い川なので高地から雨が流れてくるにしても傾斜が緩く、上流で大量の雨が降っても即座に洪水ということにはなりません。雨が降っても緩やかな水位上昇のため、砂漠で雨が降った時に起こってしまう鉄砲水のような被害はほぼないようです。
この様にエジプトでの生活はナイル川からの恩恵に依存してましたので「エジプトはナイルのたまもの」という言葉まで生まれています。
エジプトで興った国を見てみよう
紀元前3000年頃になるとナイル川周辺に多く集まっていた人々を統治する統一国家が生まれました。統一国家による支配は、一番古い文明だったと言われているメソポタミアよりも早いと言われています。
大人数の人間を統治するということで、王(ファラオ)と宗教を中心に国家を築き上げました。特に古代エジプトの場合は王自身が神の化身ということで、メソポタミア以上の強力な神権政治を行っています。
また、砂漠があったこともエジプトの場合は有利に働きました。(先進地域だったメソポタミアに比較すると)長い間異民族からの侵入を防ぐことができ、強力な国家を作り上げる一因となりました。
エジプトといえば砂漠以外にもピラミッドやスフィンクスが思い浮かびますが、そういったピラミッドやスフィンクスのような巨大な建造物を作ることも強力な統一国家があってこその成果です。
中でも特に繁栄した時代は古王国・中王国・新王国と呼ばれています。
古王国・中王国・新王国を中心に古代エジプトで興った国の詳細は下の記事に書かれています。この記事を読んだ方が流れは掴みやすいかな?と思います。
エジプトではどんな文化が育まれていたのか??
ここでは当時エジプトで信仰されていた宗教、エジプトで発展していった技術、文化をまとめていきます。
宗教観
エジプトの宗教は太陽神ラーを中心とする多神教です。古王国時代の末期には冥界と復活の神・オシリスが一般化し、新王国時代には首都テーベの守護神アモンと太陽神ラーが結びつくアモン=ラーの信仰が生まれています。
在位中には天空と太陽の神ホルスの化身で太陽神ラーの子とされたファラオは、死後、オシリスになると信じられていました。
そのことからも分かるように、エジプト人は霊魂は不滅死後の世界があると信じていたようで、来世の復活信仰と結びついてミイラが作られ、来世にいった死者の幸福を祈ってミイラと共に死者の書を残しています。
文化
エジプト人は死者の書以外にも多くの絵文書を残しています。
碑文や墓室、石棺などに使われる文字と紙に書かれる文字は別物だったようで
- 碑文・墓室・石棺 ⇒ 使われた文字が象形文字の神聖文字。ヒエログリフとも呼ばれる。
- 紙(パピルス) ⇒ 民用文字。デモスティックとも呼ばれる
二種類の文字が使われていたと言われています。さらにナイル川が毎年叛乱することで他国にない技術も発展しています。測地術と太陽暦です。
測地術とは?
エジプトでは農業を行う際、ナイル川の氾濫で地面に目印を書いたり置いたりしても境界線がなくなるケースが多く、毎年その境界線を測り直す必要がありました。そこで距離や方向を把握する必要があり、測量する技術が発展します。
現代でも道路工事をする際に三脚たてて写真撮ったりしてますよね?あれの原型だと考えてもらえばいいと思います。
縄と杭、棒を基本に測量し、農地の境界線を引き直しています。もちろん、農地以外に都市計画を立てる際にも用いられ、ピラミッドの建造でも測地術はしっかりと使われていたようです。
太陽暦とは?
こちらもナイル川の氾濫予測を立てるために発展した暦法です。太陽の動きのみに着目して一年365日と決め、いつ頃川が氾濫するのかの予測を建てていました。おそらく、そういう技術が発展したこともあってエジプトでは太陽が特別な存在となり、太陽神ラーが生まれたのだと思われます。
現在使われているグレゴリオ暦の原型に当たるもので、後世にもかなり影響を与えています。