四大公害病の歴史と発生原因と日本政府の対応策
近年は環境問題について監視が深まり、小学校の授業でも資源とエネルギー分野の授業が行われるようになりました。
1950年~1970年代の高度経済成長期では、日本の工業や商業が急速に発展しましたが、その反面で産業活動から出る有害な物質によって公害病が引き起こされるようになりました。
そこで今回の記事では、日本の公害病を取り上げてみたいと思います。
公害とは?
まずは郊外の定義から…
広い意味でいえば大勢の人の迷惑になるような行為を指す言葉ですが、授業で出てくる公害は、企業活動が原因となり環境が汚染された結果、人々の健康や生活に悪い影響を出したものが多いです。
総務省のまとめによると、公害は7種類に分類されます。
- 空気が汚れる⇒大気汚染
- 水が汚れる⇒水質汚濁
- 土が汚れる⇒土壌汚染
- うるさくて生活に支障の出る⇒騒 音
- 地震でないが揺れる⇒振 動
- 地面が沈む⇒地盤沈下
- においの被害⇒悪 臭
このような公害は、人々の健康や生活にも影響をもたらす可能性があり、実際にも実例として社会問題になっている地域があり、その対策のために法律が整備されています。
公害の発生原因
原因は様々ですが、とりわけ企業による生産活動が主な原因の事がほとんどです。企業は利益目的に走りやすく、それゆえに知らず知らずのうちに人々の生活や環境に悪影響を及ぼしてしまいます。
環境に対する配慮が注目されたのはここ数年であるという事実は、覚えておくべきことでしょう。現在でこそ、公害対策や国や地域によって入念に対策が講じられているものの、下記で紹介する公害問題は、まだ環境問題や地球温暖化に対する関心が低い時期でありました。
そのため、工場や企業がすべて悪いわけではなく、責めきれない点もあるのは確かです。
日本で起きた公害病と四大公害病
高度経済成長期の日本では、多くの公害問題が多発していました。
この時期は日本の重工業が急速に発達し、工場がたくさん建てられますが、現在より環境に対する関心が薄く、排気ガスや汚水が制限なしに排出されていました。そういった時代背景もあり、公害が発生しやすかったのです。
公害の中でも、特に大きな特徴を持った病気を引きお起こした4つの公害の事を四大公害と呼ばれ、以下の病気がありました。
- イタイイタイ病
- 水俣病
- 四日市ぜんそく
- 新潟水俣病
イタイイタイ病
富山県の神通川流域で発生した公害病です。
1910年~1970年前半に発生し、患者が病気の痛みに【痛い!痛い!】と泣き叫ぶ事しかできなかった言う話からこの名前が付いたと言います。
イタイイタイ病の原因は、神通川の上流にある岐阜県の高原川に三井金属鉱業神岡鉱山の亜鉛精錬所から流れ出たカドミウムという物質による水質汚染でした。
神通川上流では江戸時代から銀や銅、鉛などの生産をしていました。その川の水を使って農業をし、飲み水として使っていた事で上流地域ではこの頃から被害が出ていたようです。
日露戦争をキッカケに、非鉄金属の生産が注目され、生産量が大きく増加。さらに高度経済成長も相まって、カドミウムを含む大量の有害物質が川に流れ込んでしまいました。
そのため、上流地域だけではなく神通川の下流地域の人にも被害が拡大。しかも当時は、原因のカドミウムについてよくわかっておらず、病気との関連もハッキリしていなかったので、政府の対応も遅れ公害を広める結果となったのです。
主な病状としては、腎機能障害と骨軟化症です。
腎機能障害は、貧血を起こしたり、腎不全になってしまいます。そして、骨軟化症は骨がもろくなってしまい、少し動いただけでもすぐに骨折してしまう症状でした。
被害者の多くは出産経験のある中高年の女性でしたが、男性の被害者もおり、そのほとんどが神通川流域で農業を営んでいました。
1973年までに194人がイタイイタイ病の患者と認定され、2008年4月末までにそのうちの188人が亡くなっています。
後に、被害者と三井金属鉱業側の裁判が終了すると、被害者側は土壌汚染の問題に関する誓約書や公害を防止させる協定を結びました。1973年には被害者の医療に対する救済が始まり、1974年には国からの救済も始まりました。
水俣病
熊本県の水俣湾で発生した公害病を水俣病といいます。
1953年頃に発生し、熊本県水俣市にあるチッソ水俣工場が工場廃水をそのまま水俣湾に輩出し、そこに含まれていたメチル水銀を魚や貝を介して人々の体に取り入れられました。
チッソ水俣工場はビニール製造に必要なアセトアルデビドを生産する工場です。
アセトアルデビドを作る工程で使用された硫酸水銀と言う物資から発生したのが、原因物質のメチル水銀でした。それが海に放出されてプランクトンに取り込まれ、魚や貝が食べさらにそれを人間が食べる食物連鎖の過程でメチル水銀の濃度が高まり発症しました。
ちなみに、食物連鎖によって毒が濃縮されるのを生物濃縮といいます。
水俣病の原因となったメチル水銀によって引き起こされる健康被害は、メチル水銀中毒症です。メチル水銀中毒症になってしまうと、脳にダメージを負ってしまいます。
その結果、手足の震えから耳が聞こえづらくなったり、うまく喋れなくなったり、目が見えなくなったり、ひどい時には意識不明や、死亡することもあります。
2008年の5月までには、水俣病にかかったと認められた人は2268人で、そのうち1653人が亡くなったとされています。
しかし、この数はあくまで水俣病と認定された人の数で、実際に被害を受けたけど、認定されていない人を含めると、患者数はおよそ10万人以上にのぼり、亡くなった人も4万人を超すとも言われています。
裁判を経て水俣病と認定された患者は、チッソから補償を受けることが出来ました。
そして、有害物質がたまった水俣湾は13年の歳月と485億円の費用をもって、埋め立てられました。そして、1997年に熊本県知事が【水俣湾の安全宣言】を行い、水俣湾で魚を釣って、その魚を食べる事も出来、泳ぐこともできるようになりました。
現在、水俣市は世界の環境モデル都市として、水俣病の悲劇を二度と繰り返さないように積極的な都市づくりを行っています。
四日市ぜんそく
三重県四日市市で発生した公害病が四日市ぜんそくです。
1959年頃に発生し当初は塩浜ぜんそくと呼ばれていましたが、国会で四日市市の名前を取って四日市ぜんそくとよばれていた事から定着しました。
四日市ぜんそくの原因は工場で発生した亜硫酸ガスによる大気汚染です。
港を埋め立てた広い土地に、日本初の本格的な石油コンビナートが建設されました。工場で、石油を精製する時に亜硫酸ガスが煙と一緒に大気に流れ出ていました。
工場建設以降に、ぜんそく患者が増えたことでおかしいと思った専門家が調査を始めました。その結果、ぜんそくの多い地域は、大気中に工場から排出された有毒なガスが含まれていることがわかりました。
こうして、四日市コンビナートが公害の原因と断定されたのです。
四日市ぜんそくの主な病状は、気管支炎や気管支喘息で息苦しさやのどの痛み、激しいぜんそく症状が特徴です。ひどい人は呼吸困難になってしまい、死亡例もありました。また、心臓や肺の病気も一緒に併発する事もありました。
患者認定数は、1976年で1140人をピークに、亡くなった人は600人とされています。しかし、認定されなかった人や病気の苦しみで自殺した人もいたようで、明確な患者数や犠牲者は把握しきれていないのが現状です。
他の公害と違い、四日市ぜんそくは複数の企業によって引き起こされた公害なので、裁判は難しいものでした。しかし、患者側の弁護団や科学者などの多くの支援もあって、1972年に四日市公害裁判は、患者側の全面勝訴で終わっています。
こうして四日市ぜんそくの患者は、工場側と市と国から補償を受けることが出来ました。
これまで市が公害患者に対して支援を行った例がなく、全国初の試みでした。
新潟水俣病(第二水俣病)
新潟水俣病は、新潟県の阿賀野川下流で発生した公害病です。
1965年頃に発生し、熊本の水俣病と同じく水銀による食物連鎖で起きた公害で、同じ水俣病の名前が付いています。
発生原因は、新潟県東浦原群鹿瀬町にあった昭和電工鹿瀬工場の排水を阿賀野川に輩出して、そこに含まれていたメチル水銀を含んだ魚や貝を介し人々に取り入れられました。特に川魚の漁が盛んな下流域の住人達の発症率が高かったと言います。
新潟水俣病の症状は水俣病と同じくメチル水銀中毒で脳にダメージを負い、手足の震え、難聴や、失明などでひどい時には意識不明で死亡する例もありました。
2014年までに認定された患者は、702人でこのうち450人以上が亡くなったとされています。認定されていない人も含めると、患者数は3800人以上に上ると言います。
裁判も1971年9月に患者側全面勝訴に終わっています。
新潟水俣病の他の地域の公害と違う所が、この公害病自体避けられた病気だったとされています。1953年頃に熊本県で起きた水俣病の時に政府が対応策として、全国的に同じような工場を廃止させるなどの措置を講じていれば、新潟水俣病が起こることが無かったのです。
また、原因の工場である昭和電工が自分たちにとって都合の悪い史料をすべて廃棄していた事から、この公害の本当の意味での解決が不可能となっています。
四大公害病の一覧表
発生場所 | 主な原因 | |
イタイイタイ病 | 富山県神通川流域 | 三井金属鉱業神岡鉱山のから流れ出たカドミウム水質汚染 |
水俣病 | 熊本県水俣市 | チッソ水俣工場の出した廃水に含まれたメチル水銀による食物連鎖による摂取 |
四日市ぜんそく | 三重県四日市市 | 石油コンビナートから排出された亜硫酸ガスによる大気汚染 |
新潟水俣病(第二水俣病) | 新潟県阿賀野川下流域 | 熊本県同様のメチル水銀による食物連鎖による摂取 |
日本の公害対策
これらの公害を受けて現代では、きちんと対策が取られています。
始めの対策が、1967年の公害対策基本法です。
文字通り公害を予防するための法律で、記事冒頭で書いた7つの公害の防止対策がこの法律に基づいて進められてました。また、1972年には、生物や森林を守るための自然環境保全法と言う法律も制定されました。
そして、現在では1993年に2つの法律をセットにまとめた環境基本法が環境問題や公害問題を起こさないための枠組みとなっています。
政府の対策は法律だけではありません。環境省では、環境や公害と言った問題に直に対応している役所が存在しています。1971年に設置された環境庁が省にランクアップして2001年に出来た組織が環境省です。
内閣の下に省があり、その省の下に庁があります。
日本では、このように対策が取られてすが、世界では国際的な水準で取られている対策や会議、条約などが存在しますが、長くなりそうなのでいずれ記事にしていきたいと思います。