江戸時代のステイホーム刑罰『蟄居閉門』とはどんな刑なのか??
新型コロナウイルスの影響で全国的に外出自粛が要請され様々なメディアで【ステイホーム】を呼びかける有名人がたくさんいました。アウトドアで活動するにはとても丁度良いこの時期に約1か月以上の間、不要不急の外出を避け自粛をし、つらい思いをしているのは私だけではないはずです。
そこで今回は、タイトルにある通り自粛つながりと言う事で、
江戸時代の刑罰『蟄居閉門』について書いてみたいと思います。
江戸時代の様々な刑罰
時代劇でお馴染みの名場面はいくつもありますが、すぐに思い浮かぶのは切腹のシーンではないでしょうか?
また、有名な時代劇『大岡越前』のお裁きのシーンで【切腹】や【島流し】などの刑が言い渡されることがあるのも思い出されます。腹を切って償いうと言うショッキングな刑だけあって、江戸時代の刑罰と言えば【切腹】のイメージが大きいと思います。
いくら大岡越前でも誰でも彼でも『切腹』を命じていた訳ではなく、実際に江戸時代の刑罰を調べてみると身分によって適用される刑罰が異なっていたことが分かりました。
適用される身分 | 刑罰 |
---|---|
各身分共通 | 死刑のうち切腹と斬首以外、遠島、追放、押込、敲き、預かり、晒し、市中引廻、闕所、入墨 |
庶民 | 手鎖、戸閉、過料、叱り、非人手下、人足寄場 |
武士 | 切腹、斬首、改易、役儀取上げ、蟄居、閉門、逼塞、遠慮、隠居、差控 |
僧侶 | 追院、退院、一宗構い、一派構い、蟄居、閉門、逼塞、遠慮、隠居、差控 |
女性のみ | 奴、剃髪 |
その他 | 縁座、連座 |
上の図を見る限り、蟄居と閉門はそれぞれ別の刑罰ですが、【家にこもり外に出てはいけない】という点では同じです。刑罰と言うくらいですから、この刑を受けたものにとってはしっかりと辛いものでした。
まずは【蟄居】と【閉門】の違いから書いていきます。
【閉門】は期間限定だった
閉門は蟄居に比べ比較的軽い刑とされていました。
刑の内容としては、文字通り屋敷の門を竹ざおで固定し、窓も塞ぎ人の出入りを禁止する刑罰でした。上記のように、武士や僧侶と言った身分の高い人たちに適用された刑罰です。
※そもそも門のある住宅に住んでいるのが身分の高い者たちが多かった…
門を塞ぐのでもちろん外出する事は原則不可能で、その家に仕えている家臣やお手伝いさんも入れません。刑罰の対象者は、自分の屋敷の中でじっと謹慎をし、常に見張りが屋敷の周りにおり監視されていました。
私たちとは違い、江戸時代の自室で出来る事に限りがあるので暇ほどつらい事はなかったでしょう。今回の外出制限でもお出かけしたくて仕方がなかったのに、当時の状況を考えると確かにストレスで押しつぶされそうになります。
この時点で、ある程度の刑罰としては意味のある刑と感じます。
先述した通り、この閉門は比較的軽い刑罰で原則として期間が50日~100日と定められており、それが過ぎれば処分が説かれました。また、謹慎中に体調不良が起きれば医者を呼ぶ事や火災の場合は消火活動の協力も認められており、屋敷が倒壊しそうなときは別の所へ引っ越しする事も出来たそうです。
江戸時代版の終身刑【蟄居】
閉門よりも重いのが【蟄居】です。
閉門と同じく外出規制される刑罰ですが、その違いは同じ謹慎でも【屋敷の一室から外に出られない】のが大きな特徴です。閉門は、屋敷から出られないので広い屋敷ならば、その移動は自由でした。しかし、蟄居は部屋から出られなければ、【風呂もダメ】【まげ結い】や【髭剃り】もNG、食事は屋敷の家族が部屋まで運んで食べる事ができ、トイレにはいけたのがせめての救いでしょうか?
聞いただけで相当つらい刑罰である【蟄居】ですが、その対象は主に政治的なモノに適用される事が多く、そのためこれまでエリート街道を走っていた人物も珍しくなかったようです。有名どころでは【田沼意次】【吉田松陰】や【徳川慶喜※】などが蟄居しました。
※徳川慶喜は自主的に蟄居しました。
蟄居と言っても大きく分けて3種類の刑に分かれており【蟄居】【蟄居隠居】【永蟄居】がありました。通常の蟄居であれば、短期間で済む場合がありましたが、蟄居隠居と永蟄居はそうもいきませんでした。
蟄居隠居
家督を譲り渡し、隠居を伴った蟄居の事を指します。
この蟄居の怖いところは、年齢に関わらず処分の対象となり隠居中も蟄居が続くと言う点です。分かりやすく言えば、20代の働き盛りの行動的な時期に隠居をし蟄居に追い込まれる事もあったようで、こうなると人生が終わったも当然の処分でした。
永蟄居
蟄居隠居よりもさらに厳しい処分が永蟄居で、読んで字のごとく一生蟄居をしていなければいけません。永蟄居を言い渡されると、押し込まれる部屋には格子がはめられ、自宅に居ながら牢に入れられていると同じで、まさに終身刑です。
以上のように蟄居や閉門と言った自由を奪う刑の事を【自由刑】と呼ばれ、この2つ以外にも行動制限が伴う刑罰はたくさんありました。閉門と同じだが、夜間の外出のみ許された【逼塞】や客人にはあってもよい【遠慮】などもあり、同じ様な刑でも細かく分かれています。
江戸時代の武士たちはメンツが全てだった
蟄居と閉門は一見楽そうに見えてますが、とてもつらい刑罰だと言う事はおわかりいただけたと思います。生活の自由が奪われるだけでも辛いのですが、当時の武士達が【蟄居閉門】によりメンツ【面目】が潰されることが一番のつらさだったとされています。
平和な世の中の武士たちが重視したのは、武芸ではなくメンツでした。とにかく武士らしい振る舞いを重視し、時には命を張ってでもメンツを守ろうとしました。武士たちにとっては【メンツ=命】だったようです。
また、誰かが蟄居閉門の処分が下されれば、一瞬にしてその情報が流されそれこそ武士のメンツが増すつぶれになるのが、当時の江戸の街でした。メンツが潰されれば、将来的に職や身分が失う可能性があったのが武士の世界で、実際に蟄居閉門処分を受けた家は、冷遇されたとも言われています。
家の繁栄が無くなるに等しい蟄居閉門は、武士の家に与えるダメージはとても大きいものです。私たちは今、新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が出されています。これにより、【自主閉門】を強いられていますが、幸い自粛をしていてもメンツが潰される事がないのがせめてもの救いなのかなと感じます。
皆さんも自粛生活で疲れが見えている人もいるかもしれません。
2020年5月23日現在は、関東三県と北海道以外の自粛は解除されました。完全にコロナに打ち勝ったとは言えませんが、油断せずこの自粛解除で心身ともにリフレッシュできるようにお互いに活動できたらと思います。