織田信長の気配り・心配り・ギャップ萌えの人心掌握術
副業・フリーランスの増加で日本の労働環境が変化してきている現代ですが、まだ多くの人が組織で働く事を選択しているのが現実です。
それもそのはず、日本人は同質性が大好きな民族で、組織の中で働けば給与・福利厚生などの社会的安定を受けられるからです。こうしたメリットを得られる会社組織ですが、周囲の人間関係は入社してみなければわからな運要素もあります。
組織と言うのは、それを率いるリーダーによって180度変わります。
社員たちの能力を生かすも殺すもリーダーの力量と言わざる得ません。
今回は、織田株式会社の社長・織田信長の人心掌握術を彼の残した手紙を参考にしながら、考えていきたいと思います。
上司の評価は指導の仕方で決まる!?
パナソニックの創業者・松下幸之助は『実践経営哲学』の著書で、人の育て方を以下のように書いています。
会社としての基本の考え、方針がハッキリしていれば人も育ちやすい。ところがそうしたものが無いと、部下の指導にも一貫性が無くその時々の情勢になり自分の感情に押し流されと言った事になりかねないことから人が育ちにくい。
『実践経営哲学』松下幸之助著より
以上の事から、リーダーとしての最大の失策は一貫性が無く感情的に押し流される指導であることが読み取れます。感情に任せ、人で判断し、不公平なしかり方は社員たちから不満を煽り、組織全体の雰囲気を悪くします。そうなると組織やチームが崩れていくことが多いのです。
一方で、指導者が優秀であれば組織全体のモチベーションが上がり、個人のスキルが相乗効果となり良い方向へ物事が進んでいきます。注意やしかり方次第でメンバーたちの行動を変えて信頼も勝ち取ることができます。
織田信長の角が立たない叱り方
戦国武将では、最も気性が激しいイメージを持っている織田信長ですが、以外にも気づかいや優しさの溢れる手紙を部下秀吉の妻・おねに書いています。
…中略…特に土産物を色々といただき、その美しさはとても目にあまるほどで、筆にも書き尽くしがたく思う。
以外にも信長は丁寧に献上した品物に対してお礼の言葉を述べています。
おねからすれば、夫の上司へのあいさつなのでこの文面から、最恐の上司から合格点をもらえてホッとした事でしょう。
この手紙が書かれたころの羽柴秀吉は近江長浜城城主になったばかりで、側室を迎えた頃とされています。正室であるおねは、側室ばかりの秀吉に不満を感じていたとされています。
そこで織田信長は、秀吉夫妻のもめ事を上手く解決するために、この手紙を書いたとされています。
とりわけ、そなたの容貌、容姿まで、いつぞや拝見した時よりも、十のものが二十ほども見上げたものに―つまりは倍ほども美しくなっておる。 聞けば、藤吉郎秀吉めがしきりにそなたのことを不満であると申しておるとのこと。言語道断、まったくけしからぬことではないか。
ここでは、怒りを鎮めるためにおねを褒め上げて、秀吉を言語道断と切り捨てています。そこで、上司が自分の夫を悪く言えば、逆に「うちのダンナ、大丈夫か?」と心配するのが一般的な女性の心情で、その微妙な女ごころをうまく突いてることが良く分かります。
どこを尋ね廻っても、そなたほどの女房は、また再びあの禿げ鼠(秀吉)には求めがたいので、これから後は、立ち振る舞いに用心し、いかにも上様(かみさま=正室)らしく重々しくして、嫉妬などに陥ってはいけない。 さりとて、女の役目でもあるので夫の女遊びを非難してもよいが、言うべき事をすべて言わないようにして、もてなすのがよかろう。(同上)
さらにダメ押しでおねを褒め、もう一つダメ押しで秀吉を「禿げ鼠」と貶め、格下げしています。自分の部下でありながらそんな秀吉を相手にしてはいけない、正室なのだから毅然とした態度で構え立ち居振る舞いをするようにとおねを諭しています。
さらに驚くのが、『天下布武』の朱印つきで、当時でいえばこの手紙は私文でありながら、公文書扱いの手紙で、こうすることでおねが秀吉に手紙を見せやすいように配慮がなされているのです。
さらに信長から秀吉へのメッセージとして、『これ以上の事をしでかしたら後はわかっているな?秀吉よ…』と送っています。さらに、武家の正室、側室の在り方を公文書扱いにして家臣に教えるなどのこれらの意図全てを兼ね備え、家臣の秀吉にも、正室のおねにも角が立たないように手紙という手段で指導を行ったと考えられています。
織田信長のギャップ萌えが絶大な効果を…
おねにあてた手紙以外にも信長は、家臣たちに気遣いを見せる手紙を残しています。
腫物が出来た松井夕閑のためにキリスト教の医師を派遣する依頼の手紙も残っています。家臣からすれば、恐れ多い手紙なのですが、自身の身を案じて書状まで書いてくれる上司の姿は、日ごろのつらい仕事も吹き飛ぶほどの効果絶大だった事でしょう。
たしかに織田信長は気性が荒く、厳しい一面もありましたが、そんな信長だからこそ一度でも気遣いや優しさを見せられると、余計にホロっとくるのでしょう。そのギャップ萌えが家臣たちのモチベーションを持続させる究極の方法だったのかもしれません。
最後に…
信長の手紙をおねから見せられた秀吉は以降、正室のおねに対する気遣いを見せていたと言います。いわば家臣のプライベートにまで気配りを見せる織田信長の人心掌握術は、リーダーが備えるべきスキルの一つになるのではないのだろうか?