第二次世界大戦時の天皇・政府と軍の関係を見てみる
明治以降、日本は対外的な戦争を何度も経験しています。近代の歴史を調べていくと、何度も軍や軍の関係者が表舞台に立っているのが分かります。
近代の記事が多くなるにつれ、軍と政治の関係を書いておいた方が戦争関連の出来事について理解しやすいので置いとくことにします。
大日本帝国憲法下での天皇の権限
明治に入ってから太政官制を敷いていた政府でしたが各地で自由民権・国会開設を唱える運動を経て、1885年(明治18年)にいよいよ内閣制度を制定。
そんな内閣制度に続き制定したのが官僚制度・地方制度。そして大日本国憲法です。その特徴として『天皇に強い権限』が与えられていたことが挙げられます。議会も関与できない非常に大きな権限でした。
- 神聖不可侵
- 統治権の全てを握る
- 文武官の任免
- 陸海軍の統帥
- 戦線・調和や条約の締結 など。
この中で注目したいのが『陸海軍の統帥』。つまりは今回のテーマの日本軍トップが天皇ということになります。軍には内閣も関与できないことになっていたのです。
大日本帝国憲法下の政治機構
少々見えにくいですが、内閣を組閣する際に官僚機構を従える大臣を置かなければなりません。
その中には『陸軍省』『海軍省』も含まれます。陸軍省・海軍省は軍事における事務的な仕事(=軍政。軍隊構成、給与など軍の維持管理)に関わる省です。
他の大臣を決める際、内閣総理大臣が天皇に奏薦する権利を持ちますが、陸軍省・海軍省の大臣の就任資格が現役武官に限定されるという厄介な制度がありました。ご想像の通り、内閣は軍部の意向を無視できないことになります。
一方、陸軍省・海軍省は開戦後になると軍隊の運用をはかる(=軍令)部門に対して、統帥権が絡んだことで口出しが出来ない事態に陥っていたそうです。
なお、他の国務大臣に対しても天皇が任命・罷免することになっていたため、内閣総理大臣と国務大臣の意見が平行線でどうにもならない時に罷免をしてもらえない状況になれば内閣総辞職の手段を取らざるを得ませんでした。想像以上に内閣の力が弱かったと言えます。
軍と政府との関係図
図がつぶれて見えにくい場合のために、念のため解説も置いておきます。
- 元帥府…天皇の軍事上における最高顧問集団。陸軍・海軍大将の功労者が元帥の称号を受ける。定年なし。
- 軍事参議院…陸海軍の利害調整を目的に設置された。天皇の諮詢を待って参議会を開き意見を上奏。議長・軍事参議官・幹事長・幹事で構成される。
- 議長:軍事参議官のうち、高級で古参の者がなる
- 軍事参議官:元帥・陸軍大臣・海軍大臣・参謀長官・軍令部総長・軍事参議官に親補(=天皇が特定の官職を親任したこと<親補とは – Weblio辞書より>)された陸海軍将官。
- 幹事長:軍事参議会の庶務を整理する。侍従武官長か他の将官がなる
- 幹事:幹事長の職務を補助する役目。侍従武官中、陸海軍佐官各一人
- 侍従武官府…侍従武官が勤務する特務機関のこと。侍従武官とは、天皇に常侍し、軍事に関する奏上・奏答などに当たる。謁見などに陪侍(=貴人の側に仕えること)した陸海軍軍人。
- 参謀本部…天皇直属で大日本帝国陸軍の軍令を司る機関。
- 軍令部…同じく天皇直属。海軍全体の軍令を司る機関。
- 大本営…戦時中、事変の時のみ設置された軍事的な作戦の立案や指導を行う機関。海軍部と陸軍部に分かれるが、実態はほぼ参謀本部と海軍軍令部。
- 大本営政府連絡会議/大本営政府連絡懇談会/最高戦争指導会議…大本営と政府間のための意思統一・疎通の場として設置。時期によって名称が異なる。政府からは首相、外相などが、軍からは陸海軍省の大臣、参謀総長、軍令(総)長などが参加している。
ちなみに、陸軍省・海軍省は内閣の1省で行政機構として成り立つと同時に軍にも属していて軍政を担当しているので政府からとも軍から参加とも言うことができます。
以上が天皇と政治、軍との関係図です。
他にも、兵の階級(大将や中将など階級がある程度高くないとお偉いさんにはなれません)や軍の編成も知っておくと後々の理解に繋がりやすいと思いますが、長くなるので別の機会に書かせていただくことにします。