明治の初めに日本で一番人口が多いのは、東京ではなく新潟だった!?
現在の日本の人口分布は、東京を中心とした関東圏に一極集中しています。
しかし、江戸時代には300近い藩が全国にあることから分かるように、かつての日本は今よりも地方の方が活気がありました。
明治に入り徳川将軍を頂点とした幕藩体制は終わりをつげ、中央政府が幕府から朝廷にうつり、1869年には版籍奉還により、土地や人民が明治政府の管轄なります。しかし、ただでさえ藩が多くあり、幕領だった地域は府や県に代わり、その統治システムは、複雑化し効率が悪くなります。そして、1871年に廃藩置県が行われ事になります。
これは、藩主を廃して、東京へ移住を強制して、府や県に中央から派遣する県令を置くことで、中央集権化をはかる目的がありました。これは、明治9年に特権階級であった武士を廃止した秩序処分と並んで、明治維新以上の改革と言えます。
当時の府や県は、旧藩を基本にしていたので、3府302県もありました。しかし、統廃合が進み明治9年には35県になり、明治22年には現在の都道府県に近い、3府43県となりました。
少し前置きが長くなりましたが、人口について書いていくと、廃藩置県が行われた明治4年からの記録では、最初の年は広島県、次の年は愛知県が最も人口が多い県で、その後しばらくは、新潟県がトップだったそうです。
都道府県人口ベスト10 明治17年~
順位 | 1884年
(明17) |
1890年
(明23) |
1920年
(大9) |
1945年
(昭20) |
1960年
(昭35) |
1980年
(昭55) |
2000年
(平12) |
2010年
(平22) |
1位 | 大阪府 | 新潟県 | 東京府 | 北海道 | 東京都 | 東京都 | 東京都 | 東京都 |
2位 | 新潟県 | 東京府 | 大阪府 | 東京都 | 大阪府 | 大阪府 | 大阪府 | 神奈川県 |
3位 | 兵庫県 | 兵庫県 | 北海道 | 愛知県 | 北海道 | 神奈川県 | 神奈川県 | 大阪府 |
4位 | 愛知県 | 愛知県 | 兵庫県 | 兵庫県 | 愛知県 | 愛知県 | 愛知県 | 愛知県 |
5位 | 広島県 | 大阪府 | 福岡県 | 大阪府 | 福岡県 | 北海道 | 埼玉県 | 埼玉県 |
6位 | 東京府 | 広島県 | 愛知県 | 福岡県 | 兵庫県 | 埼玉県 | 千葉県 | 千葉県 |
7位 | 千葉県 | 福岡県 | 新潟県 | 新潟県 | 神奈川県 | 兵庫県 | 北海道 | 兵庫県 |
8位 | 静岡県 | 千葉県 | 長野県 | 静岡県 | 静岡県 | 千葉県 | 兵庫県 | 北海道 |
9位 | 長野県 | 長野県 | 静岡県 | 長野県 | 新潟県 | 福岡県 | 福岡県 | 福岡県 |
10位 | 岡山県 | 静岡県 | 広島県 | 埼玉県 | 千葉県 | 静岡県 | 静岡県 | 静岡県 |
これには、廃藩置県による県の調整で今と大きさが異なるのが大きな理由です。しかし、明治22年以降の現在の形に近い県の分布でも、新潟が人口ナンバーワンとなっていて、それがしばらく続きました。
明治17年頃は、大阪府がトップでしたが、当時の大阪府は奈良県も含まれていたので、このような結果になっています。
昔から上位に常にいた東京ですが、明治30年ころまでは新潟にそのトップの座を明け渡します。
しかし、明治26年に現在の23区外にあたる多摩地区が神奈川県から編入されたり、人口増も相まって、明治30年にはトップの座に着き、戦後にはトップの座を明け渡すが、現在までトップを維持し続けています。
1945年の北海道の人口トップの背景には、空襲及び疎開により関東圏の人口が半減したのが原因とされています。
気になる新潟県はと言うと、終戦まで人口順位は7位程度は維持し続けていましたが、現在では15位程度となっています。順位低迷の理由としては、神奈川や千葉、埼玉などの東京の衛星都市や静岡県などの躍進があります。
どうして新潟だったのか?
なぜ新潟に人が多かったのでしょうか?
一つは米どころだったことがあげられます。新潟は当時から米どころで、農業生産力に恵まれていた地域でした。それだけ多くの人が食べられるだけの豊かな土地が当時の新潟にはあったのです。
そして、もう一つの要因として、日本海側が当時の流通のだったことがあげられます。新潟もまた、それに漏れず湾岸都市として栄えていました。
明治時代以降、鉄道が発展するまでは、日本の流通は海運がメインでした。その海運の主要ルートが日本海側であり、その海岸沿いの湾岸都市は今では考えられないほど栄えていたようです。
明治以降の太平洋側の隆盛を知っている私たちにとっては意外かもしれませんが、新潟の人口推移をみれば、農業から工業へ、水運から鉄道による陸送に軸足を移す近代日本を象徴しているのです。