戦国時代

井伊家の生い立ちと女城主・井伊直虎の生涯

歴ブロ

井伊家はもともと遠江国引左郡井伊谷を支配する豪族でした。

応仁の乱後は、守護職の斯波義龍に属して、遠江を侵攻してきた駿河守護の今川家と対立していました。しかし、今川家が遠江の守護職を得ると、井伊家はその支配下に置かれます。

この時、今川家は今川氏親(義元の父)で、井伊家は井伊直宗(井伊直虎の祖父)でした。
しかし、1542年に今川義元と共に三河田原城を攻めた際に井伊直宗は、討死にしてしまいます。その後、家督は直宗の子・井伊直盛(直虎の父)が相続します。

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井伊直虎の誕生

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井伊直盛の子どもは娘だけで跡取りがいませんでした。その娘が井伊直虎です。

そこで、直盛は井伊直満の子・直親と直虎を婚姻させることにしました。

しかし、この婚姻に反対をしたのが、井伊家の筆頭家老の小野政直でした。この小野政直は、今川家から送り込まれたスパイで井伊直満をとても嫌っていました。このまま婚姻が進んでしまうと、井伊直満の子・直親が井伊家の当主となってしまいます。

そこで、小野政直はこの婚姻を阻止するため、主家である今川家に【井伊直満と義直に謀反の兆しあり】と嘘の報告をします。

この報告を受けた今川義元は、井伊直満と義直兄弟を自害させたうえで、義満の子・直親も処刑しようとしました。しかし、この直親の危機を救ったのが井伊家の家老・今村正実で、9歳になる直親を屋敷に連れ出して身を隠し、【井伊直親は病死し今村正実は切腹した】とうわさを流します。

こうして今村正実と井伊直親は地元の有力者に匿われながら、10年の歳月を過ごすことになります。

小野政直の台頭

今川家のスパイである小野政直は、井伊家では大きな影響力を持っていました。

井伊家・当主直盛もお家騒動を恐れて、筆頭家老である小野政直を処分できないままで放置をしていました。

しかし、1554年に転機が訪れます。

小野政直が病死します。

当主・井伊直盛は、この政直の死をキッカケに井伊直親の助命嘆願を今川義元にして、井伊直親は無罪放免となり井伊谷に戻ってきました。

井伊直親は、匿われている10年間の間に地元の有力者の娘を妻にして男児を残していました。しかし、この婚姻は井伊家に認められた正式なものでなかったため、その妻と男児を残して井伊谷へ帰りました。

井伊直虎と直親は許嫁だったが、直親がすでに結婚して子供がいたということを知ると、直虎は出家を決意します。これに驚いたのは両親で出家はさせまいと、寺の住職に尼の名前は付けないようにと頼み込みました。

当時、男性は僧として出家しても環俗すれば家督を相続できますが、女性は一度出家して尼になると環俗することが出来なかったそうです。そういった事から、寺の住職は井伊直虎に【次郎法師】と言う男性名をつけて僧として出家させました。

許嫁の井伊直親の復帰

1559年に織田信長により尾張が統一されました。

一方で、駿河・遠江・三河の三国を支配する今川家は、武田信玄・北条氏康・今川義元で結んだ三国同盟を背景に1560年に尾張の侵攻を開始します。井伊家・当主直盛は今川義元5000の先鋒を務めて義元に従いますが、桶狭間で織田信長2000の奇襲攻撃に合い今川義元とともに討死にしてしまいます。

当主・井伊直盛の死で養子である井伊直親が井伊家当主として家督を相続します。
そして、1561年直親の嫡男・虎松(以下井伊直政)が産まれます。

政直死後、その一族の小野政次井伊家筆頭家老になっていましたが、この政次も同様に井伊家の失脚を狙っていました。一方で、桶狭間の戦いで戦死したことにより、今川氏真が今川家の家督を譲り受けていました。

井伊家筆頭家老の小野政次は、1562年に井伊直親が徳川と織田と通じて謀反の疑いがあると主家の今川家に報告をしました。この頃の徳川家康は、三河東部の井伊谷方面に手を伸ばしており、井伊直親は鷹狩と称して城を抜け出して徳川家と密談を繰り返していたので、あながち嘘の報告とは言えませんが…

井伊直親謀反の知らせを受けて、今川氏真は井伊家を攻めようとしますが、井伊家との縁戚関係にある今川家の重臣・新野親裾に止められます。
井伊家討伐を止められた今川氏真は、井伊直親を駿府城に呼んで、釈明をさせる事にしました。ところが、釈明のために駿府城に向かう途中に、今川家重臣の朝比奈泰朝に襲われて家臣19人ともど誅殺されてしまいます。

こうして井伊家は2代に渡り家老小野一族により、窮地に陥ることになります。

この時に、2歳になる虎松(井伊直政)も誅殺するように命じていましたが、井伊家の縁戚でもある新野氏に匿われて難を逃れています。

当主・井伊直親が誅殺されたため、井伊家の男性は井伊直虎の曾祖父・井伊直平と2歳になる井伊直政だけとなりました。曾祖父・井伊直平は19代当主を務めた人物で、すでに隠居の身だったが、当主不在となったことを受けて井伊家の当主に復帰することになります。

戦国時代のもう一人の女城主

井伊家の主家である今川家は、1560年の桶狭間の戦い以降衰退の一途をたどり、遠江では今川家の支配力が弱っていました。
そこへ徳川家康が、遠江の攻略へと手を伸ばしてきたため、遠江の国人たちは今川に反旗を翻す者も出てきて遠江は混乱期に突入することになります。

そんな中、1563年今川家に属していた遠江・犬居城の天野景貫が今川を見限り三河の徳川家に寝返ることになります。

これに激怒した今川氏真は井伊家に天野景貫の討伐命令を出します。

曾祖父の井伊直平は、今川の命を受けて天野家の居城へと向かいます。その途中で、今川の曳馬城に立ち寄ることになります。

余談ですが、この曳馬城はのちに徳川家康が改修をして浜松城と呼ばれる様になります。この曳馬城・城主は飯尾連竜でその妻は椿姫と呼ばれていした。

井伊家と飯尾氏は遠江で互いに勢力争いをしてたライバル同士です。そこで、妻・椿姫は一計を案じ、曳馬城に立ち寄った井伊直平を暗殺したのです。

これを知った今川氏真は、飯尾連竜が謀反を起こしたのではないかと思い、井伊家に曳馬城攻めも命じます。しかし、井伊家は曳馬城を落とせなかったうえに、井伊直政を保護していた新野氏も討ち死にして、井伊谷を預かっていた重臣・中野信濃守も討ち死にして井伊家は大きな損害を出すことになります。

結局、曳馬城の飯尾連竜今川氏真の計略により暗殺されることになり、曳馬城の飯尾家は大混乱に陥ることになり、残ったのは妻の椿姫とわずかな家臣と兵士だけでした。そのため、妻・椿姫が亡き夫の後を継ぎ、曳馬城の女城主となるのです。

この時に今川氏真は、井伊直政が生きていることを知り誅殺を試みます。
この井伊直政が死ねば、井伊家の男子は断絶することになります。
新野氏の妻は、井伊直政を出家させることによってその命を守ったのです。後に井伊家1000年の歴史で最大の危機を救ったと評価されています。

この井伊直平が暗殺され井伊直政が出家したことで井伊家は当主不在となり、女性である井伊直虎が井伊家の当主になります。

ここから女城主直虎が誕生します…

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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