令和の上皇様と昔の上皇の位置づけの違い
令和が始まって2年目ですが、2019年4月30日に平成天皇(明仁天皇)が生前退位をし【上皇】となりました。私のブログでも散々【上皇】のキーワードを書いたことがあるので、歴史が好きな人にはお馴染みの称号でしょうか。
1817年の光格上皇を最後に日本では、上皇の位に付いた人物はいませんでしたが、冒頭でも書いたように約200年の時を経て現代でも上皇様が誕生する運びとなりました。
私と同じように歴史が好きな人なら【院政時代】の上皇のイメージが強いのですが、この度の上皇様には昔と違った位置づけの称号だと言われています。今回はその辺のところを踏まえて上皇について書いていみたいと思います。
令和時代の「上皇」とは、どういった称号なのでしょうか。
これまで日本に存在した上皇の位置づけ
645年から1817年の間に日本ではでは、59名の上皇が誕生しました。
先述した通り、1817年の第119代・光格天皇が上皇になったのが最後となります。
日本史上で有名な上皇では、院政でお馴染みの白河上皇、怨霊となって平清盛を苦しめた崇徳上皇などがいますが、彼らは元天皇で譲位した後に当時の日本で政務を行う事が出来る立場にありました。
上皇の中では武家政権下で政治には全く関わらない人物もいますが、上皇と言う称号は【太上天皇】を略した言い方で、上皇として天皇の代わり又は天皇と共に政務を行う事が出来る力を持っていました。
天皇・上皇のほかに【法皇】の称号もありますが、こちらは上皇が仏門に入っているかいないかの違いで権力は変わりません。
日本の歴史上では圧倒的な権力を持っていた【上皇】ですが、現代の日本国憲法上で象徴とされている天皇を務めていた令和の上皇様は、どのような位置づけとなっているのでしょうか?
令和時代の上皇の規定
大正~平成までの天皇即位は、前天皇の崩御に伴い皇太子が皇位継承をしていました。
つまり、現天皇が亡くなって初めて新しい天皇が即位するために、必然的に前天皇が上皇になると言う事がありませんでした。しかし、平成から令和になるときは、2019年の天皇生前退位(譲位)により約200年ぶりに行われ上皇が誕生しました。
今回の生前退位は、【天皇退位特例法】と言われる一度限りの臨時法が適応されました。
その法律の中で【退位した天皇は上皇とする】と規定されました。
今回の上皇は、【上皇=太上天皇】ではなく【上皇】と言うのが正式名称です。
太上天皇として上皇を認めてしまうと、天皇と同じ権力を持った人物が2人いる事になり、我が国に象徴が2人も誕生する事になります。また、形式上総理大臣などの役職は天皇が任命する事になっているので、その判断を上皇が天皇に口出しする可能性もあるからです。
そのため、元天皇は上皇と呼んでくださいと法律で定めたのです。
また、上皇様の配偶者は【上皇后】と決まりました。
昭和天皇が崩御した後の皇后は皇太后と称されていましたが、この称号は未亡人のイメージが強い事から、今回の生前退位後には上皇様の配偶者として上皇后と言う全く新しい称号を作りました。
生前退位後の日本の変化
上皇様は、これまでの皇居から引っ越され皇太子一家(令和天皇)が住んでいた東宮御所に移動し、仙洞御所と名称が変更されました。
これまで、天皇誕生日が12月23日でしたが、新天皇誕生日が2月23日に変更され、祝日となりました。旧天皇誕生日は、二重権威回避の観点から上皇誕生日として祝日とはならず、平日となりました。
日本の歴史の中では、何度も天皇・上皇が誕生しまししたが、その時の時代背景によりいろんな立場の天皇・上皇がいました。今回は誕生した上皇も現代に合った背景で誕生した出来事なのだと感じます。
何百年後に、こういった経緯で200年ぶりに上皇が誕生したと歴史の授業で習うのだろうか?思わずにはいられません。