富山の女性たちがきっかけの米騒動の原因とその背景

日本の歴史上、米をめぐる騒動は江戸時代以降に米の凶作で度々起こっていたのですが、私たちが知る米騒動と言えば、1918(大正7)年を思い起こすかもしれません。
この時の米騒動は、富山の女性たちのコメの安売りを求めた小さな運動が全国に広まり暴動が起こったことから始まります。その背景には、第一次世界大戦による物価上昇等から庶民の生活苦を招いた影響があり、騒動の結果、当時の内閣は退陣。初の本格的な政党内閣誕生へと繋がり、大正デモクラシーのきっかけとなりました。
米騒動が起こった背景や原因
第一次世界大戦の好景気により工業労働者として農村部から都市部への人口移動が増加し、農業従事者の減少を招きコメの生産量が減少しました。
食生活の変化
この頃には人々の食生活にも変化がみられるようになります。
農家でも養蚕等による収入増を機に、ムギやヒエなどの雑穀食中心から米食中心へと変化していきました。当時は今のように肉や魚などのおかず類が多くあったわけではありません。主食の米が多めの今以上の米食中心の食生活でした。
米の価格上昇
米の生産量の減少に加え、高い利益を見越して地主や商人たちが米の売り惜しみや買い占めを始めるようになり、ますます米の価格が上がっていきました。
また、大戦景気で米以外の物価も上昇していたので、庶民の生活はますます厳しくなっていきました。
そこで政府は暴利取締令を出し、【米・鉄・石炭・綿糸・紙・染料・薬品・肥料】の8品目の買い占めや売り惜しみを禁止しますが、物価の上昇は抑えられませんでした。
ちなみに、現在使われている【ぼったくり】【ぼる】などの言葉は【暴利】が由来となった説があるようです。
米価の価格推移
| 年月 | 米価 ※一石[150キロ] |
| 1918年5月 | 15円 |
| 6月 | 20円 |
| 7月 | 30円 |
| 8月1日 | 35円 |
| 8月5日 | 40円 |
| 8月9日 | 50円 |
※当時の平均収入月収:18円~25円
上昇率自体も異常ではありますが、それに加えてマスコミもこぞって不安を煽っていたので、社会不安はますます高まっていきました。
シベリア出兵
第一次世界大戦終盤にロシア革命が起こります。
この革命に干渉する目的で、連合国側(イギリス・フランス・イタリア・アメリカ・日本)から共同出兵をします。これをシベリア出兵と言います。
この出兵の情報をいち早く入手した商人たちは、戦争特需における物資高騰を狙いさらに売り惜しみを加速させます。米は戦争の大切な物資ですからね。
米騒動の発生
1918年7月23日に富山県の魚津町で「米の値段が上がるのは米をよその地域に渡すからだ!」と町の妻たちを中心とする46人が米の流出を防止しようと運動を起こしました。
しかし、この運動は警察の取り締まりにより解散させられます。
それでも8月2日ごろに再び県内で同じような運動がおこりましたが、それが全国に広まるそぶりはありませんでした。
ここで、収まれば地元の小さな運動で済んだかもしれませんが、8月3日に同県中新川郡西水橋町で、漁民の妻ら約300人が資産家・米屋へ押しかけ、米の移出禁止や安売りを嘆願したところ、警察に解散させられています。
さらに翌日にも似たような事件が発生したのですが、今回は嘆願だけでなく米屋の打ちこわしといった実害が発生します。こうなると、事件は大手新聞でも取り上げられ、8月5日には朝日新聞『二百名の女房連が米価暴騰で大運動を起す 米屋や米の所有者を襲ひ廉売を嘆願し 肯かなければ家を焼払ひ鏖殺すると脅迫』と報じられることに…
こうして、富山の小さな騒動が全国に知れ渡り、騒動が岡山県各地のほか、和歌山県、香川県、愛媛県などに波及します。
それでも事態は収まらず、8月10日には名古屋・京都という大都市でも大規模な集会が計画され、名古屋では鶴舞公園に1万5000~3万人の群衆が集まり、警官隊と衝突する事件が発生します。これには、軍隊が出動する騒ぎになり、やがて関西・東海だけでなく関東や九州にまで波及する一大騒動になっていきました。
軍隊が出動することからわかるように、実際は「騒動」という可愛いものではなく【暴動】になっていました。最初は米屋を襲撃していたのが、やがて「目につくものは全て壊せ」と過激なものとなっていきました。
その結果、直接米売りに関係がない電車や自動車、株式取引所なども襲撃され、民衆と警察、軍隊に多数の負傷者が出る事態になりました。
これは、2020年アメリカでの黒人男性が警察官に殺された事件(ジョージ・フロイド事件)の暴動に近いと思われます。
学校では米騒動と習うので、ちょっとした騒ぎのイメージが拭えない事件ですが、実態と名前を一致させるには米暴動と名付けた方がしっくりくるかもしれません。
米騒動のその後の影響
富山での騒動が新聞などで掲載されると、全国各地で暴動が発生していきました。
元は米の安売りを嘆願した騒動でしたが、寄付の要求や打ちこわしにまで発展し、その暴動鎮圧のために軍隊派遣までしています。同年末までには騒動も落ち着くのですが、一般市民の暴動を警官ではなく、軍隊をもって止めるしかなかったことからも米騒動の凄さが分かると思います。
この一連の騒動で、当時の寺内内閣は退陣となります。

寺内内閣の退陣後、爵位を持たない【平民宰相】として原敬内閣が誕生しました。
甲子園中止と米騒動の関係

2020年5月20日に一連のコロナウイルスの影響で日本高等学校野球連盟による第102回全国高等学校野球選手権大会の開催が中止を決定しました。春のセンバツに続き夏の甲子園も中止の異例の事態に全国に衝撃が走りました。
夏の甲子園中止は初めてではなく、1918年の米騒動と1941年の戦争によって中止例があります。戦争はともかく、『多くの人を集めれば大暴動の危険』があると判断されて日常生活に影響したわけで、米騒動がどれだけ規模の大きいものだったのか想像できますね。
実際に大会の組み合わせ抽選会や直前練習も実施され、出場14校はすでに会場入りしていました。米騒動による治安悪化で、全国中等学校優勝野球大会(後の夏の甲子園)は開幕当日(8月14日)に延期となり、8月16日に中止が決定しました。
平成にも米騒動が?
実は、近年でも米騒動はありました。
この時は暴動などは起こっていませんが、日本中が騒ぎとなったことから平成の米騒動とも呼ばれています。
平成の米騒動の原因
1993(平成5)年は冷夏と偏西風の影響で米の収穫高が著しく低下しました。需要1000万トンに対し収穫量800万トン以下の量だったそうです。
当時は冷害に弱い質の高いブランド米の品種が多く、減反政策による生産意欲の低下が追い打ちをかけ、米の国内流通が激減しました。
政府の対策
政府は、米の緊急輸入措置を取りますが、外国米が日本人の味覚に合わなかった点や食の安全を求めるがゆえに、輸入米は非常に不評でした。この日本の緊急輸入処置により、国際的に米の需要と供給のバランスが崩れて世界の米価の高騰を招き、混乱を起こしました。
また、自国の備蓄米を優先して輸出し、援助をしてくれたタイの米を日本国内で不法投棄するなどのひどい対応も問題になりました。タイでは最高級の米を送ってくれていたみたいです。
その後と影響
翌年のコメの豊作により事態は解消されましたが、国際的に混乱を招いた結果、これまで固辞していた米の輸入自由化を解禁せざるを得なくなります。
また、米の品種改良も進み、冷害に強いひとめぼれなどの品種も誕生するようになりました。そして、タイ米などが身近になり、外食産業ではアジアン食ブームが起きるようになりました。
歴史的には高評価な米騒動
暴動とは言え、甲子園中止まで追い込んだ米騒動ですが、意外にも終わってみれば高く評価された歴史的事件だと言います。
先述しましたが、米騒動で寺内毅内閣が倒れ、原敬を首相とする歴史上初めの政党内閣が誕生します。寺内は軍人だったので体制的な政治と言われ、平民出身の原敬は民主的な政治を実現したと評価されます。実際、彼は親しみを込めて「平民宰相」とも呼ばれ、現代でもとても評価が高い首相です。
また、米騒動がきっかけで日本で社会運動が活発化したこともあり「米騒動が日本の社会運動を開花させた」という評価もされています。そして、騒動のきっかけが富山の家計を思いやる女性たちだったということもあり、暴動にも同情的な視線が集まることになりました。
要するに、一般の民衆が立ち上がって権力者と対峙して社会を変えたということが研究者たちの間で高く評価されている節があるようです。
社会が良い方向へ動いたとは言え、暴動を起こしたのが評価されるのは、矛盾しているのではないかと思うのは私だけでしょうか?
2026年1月9日 記事更新


