江戸時代の庶民の暮らしと物価の違い
昔の物価を比較する事はとても難しいことです。
当時、流通していた商品やサービスを単純に現代の価格で直すことは到底不可能であり、専門家ですら様々な条件を付けて【一両】をいくらとする設定をします。 その設定額も、専門家により一両が4万円だったり、30万円だったりかなりの開きがあります。
時代劇などで悪徳商人がお代官様に千両箱を渡して【おぬしもワルよの~】という場面がよく見られますが、その千両箱の価値が現代でいくら位なんだろうと思ったこてはありませんか?
1千万でしょうか?もしかしたら、1億円かもしれません。
今と昔の貨幣価値を比較するには、こういった感覚も一つの指標となります。
現代でも、物価の指標はいくつかあります。
- 消費者物価指数
- 卸売り物価指数
- 小売物価指数
一つの指標だけでは実態を表現するのが無理なため、いくつかあるそうです。
今の生活の実態を把握するのも大変なのに、生活スタイルの違う江戸時代を解明しようなんてことは、非常に困難だということが分かります。
困難だけで終わらせると話が続きませんので、ある条件を設定したうえで、江戸時代の物価を見てみることにしましょう。
色々な一両の考え方
1両をお米の価格をベースに考えると、1両=4万円になるそうです。
当時の職業大工さんの手間賃をベースに考えると1両=30万位にもなるそうです。
どれをベースに持っていくかによって金額差が20万以上にものぼり、これでは比較ができません。
そこで、先ほど書いた実感をもとに考えていきます。
実態として、地方の農民たちはめったにお米を食べることができませんでした。
その事実から推測すると、米1キロ当たり価値が1000円程度と仮定します。そうなると、1石=150㎏=一両=15万円 ということになります。
米を作っている農民の感覚は、一両と言うお金の価値はこれくらいだったかもしれませんね。
一文を20円と仮定して物価を見る
1両=4000文なので、8万円という設定です。
銭湯の入浴料は10文=約200円になります。内風呂のないこの時代、ほとんどの人が銭湯を利用していたことを考えると、妥当な数字に感じます。
当時のおにぎり的な存在の稲荷寿司は1人前6文=120円と考えると、少しお得感があります。
写楽や歌麿の錦絵は1枚20文=400円で、現在の価値を考えると格安ですが、当時はアイドルの生写真のような感覚で売られていたので、アイドルの写真1枚400円と考えると妥当な価格だったのでしょう。
この1文=20円の計算でいくと、江戸時代の大工の給料はどれくらいだったのでしょうか?
ある文献によると、大工の日当は1日540文という記録があるそうです。
そうすると、日当10800円ということになります。当時は休日と言う概念はないので、月に30日働いていたかもしれません。すると、月収は30万円くらいになります。
上記の事を踏まえると、1文=20円 1両=8万円 というのは、まずまず妥当な感覚ではないかと思います。
医療と吉原の値段は相当な金額がかかった
現在では、誰でも一定の医療を受けることが出来き、『薬を買うお金がなくて…』なんて事はありません。
一方で江戸時代の医療費は、かなり高かったようです。
江戸末期の記録では、町の開業医に見てもらう診察料だけで、金1分~2分くらい(3万~6万)くらいのお金がかかり、往診を頼めば、更に1分~2分がかかったようです。気になる薬代も、3日分で金1分かかることから、1両=金4分と考えると、一度見てもらうだけで、8万前後のお金がかかることになります。
健康保険で3割負担でも24000円ですから、当時の医療費はとても高いことがわかります。
江戸時代にも娯楽は沢山ありましたが、その中で代表的なのは吉原の遊郭遊び。
吉原のトップクラスの【太夫】を初めてあげる場合は、置屋から揚屋に呼ぶだけで銀530匁(約107万円)、初回の宴会代が5両(60万)かかりました。
馴染みになるためには、三回通わなければいけないそうで、実際に夜を過ごすのは3回目だったそうです。
ここまで書いた中でも、これだけのお金がかかる吉原遊びは、江戸の庶民に縁がなく、 1回1朱(約15000円)くらいの、部屋持の下のランクの遊女か、1回100文(約3000円)くらいの「廻り」と呼ばれる安い遊女と遊ぶのが一般的でした。
江戸時代の暮らしと現代人のとの違い
江戸時代の人々の暮らしは、余分なお金を使わずごみを出さず、貧しいけれどリサイクル上手でした。
江戸の町には、進物品を買い取るリサイクルショップのような店もありました。
長屋暮らしの庶民たちは、調味料の貸し借りやお総菜のおすそ分けは当たり前で、貧しいながらも助け合い、たくましく生きていたようです。一方で、ごみ問題に苦しみ、プライバシーの重視で近所付き合いが薄れている現在の東京の暮らしとはずいぶんとかけ離れた暮らしが江戸の町にはありました。
そんな江戸の庶民の暮らしは、現代に比べると食費が多くエンゲル係数が高めだそうです。江戸の町も現在の同様に、狭い土地に多くの人口を抱えていたので、地価が高く、庶民が家を持つことは不可能でした。そのため、多くは賃貸住宅に住んでいましたが、家賃は現在と比べるとかなり割安でした。
江戸(都内)のワンルームが、一か月約9000円 だから驚きです。
当時の大家は、非常に裕福でお金を稼ぐために家賃をもらっているのではなく、自分達の余裕分を還元するためだったといわれています。そんな太っ腹精神な大家のおかげで、江戸の住宅事情は非常に恵まれていました。
そのためか、当時はマイホームを持とうという考えは庶民にはありませんでした。
住宅に限らず、自動車や教育費と言った高額な出費もなかったことから、大金をためて何かを購入するという感覚もなく、現代の金銭感覚とはかなり違ったと思います。
しかし、江戸時代には社会保障制度がありませんので、健康保険料や国民年金の支出もなかったが、医療費や老後の費用は全て自己負担となりその負担は大きかったようです。
江戸の暮らしを少し書いていきましたが、実はあまりわかっていない事も多いそうです。
明治初期の庶民の暮らしの記録が比較的残っているのに、江戸末期の庶民の暮らしの記録が残っていないのもまたおかしな話です。おそらく、新政府によってこれまでの政権の建物や資料が消されてしまった可能性が考えられます。
これまでの歴史をみているとこういっ事は珍しいことではなく、現代社会でも新政権をとった者は自分を正当化するために、前政権を否定する傾向にあるものです。おそらく、明治政府も自分たちの正当性を強調するために、旧政権に関するものを抹殺したのかもしれませんね。
江戸時代の生活を記した資料はあるにはあるのですが、年代的にもっとあっても良いと考えられています。そのせいもあって、江戸の最後の年と明治の最初の年は一緒でも江戸時代は大昔に、明治はつい最近と感じてしまうのかもしれません。