明治時代

なぜ日本は明治・大正・昭和初期まで天皇中心の国家だったのか??

歴ブロ

現在の日本国と戦前の大日本帝国の大きな違いは、天皇の立ち位置にあります。

現在の日本では、天皇は国の象徴で国の在り方や方針を決めるのは国民となっています。しかし、戦前では大日本帝国憲法で天皇立ち位置が大きく違います。

そこで今回は、天皇制について書いて見たいと思います。

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なぜ明治に天皇中心の国家を作ったのか??

大日本帝国憲法で天皇について(現代風にわかりやすく)

  • 第一条/大日本帝国は、万世一系の天皇がこれを統治する
  • 第四条/天皇は国の元首にして統治権を総攬する

と書かれています。

れきぴよ
れきぴよ

総攬とは『一手に掌握する』という意味の言葉です。

大日本帝国憲法で天皇は『元首であり議会の開設や閉鎖・立法・国務大臣の任命権・外交・軍事などの国の前活動の最高決定権を持つ』と定められていたのです。

江戸時代の天皇は神道の元締めとして宗教的な権威でしたが、政治的な実権は持たず少し地味な存在でした。これが明治期になると武士たちが明治維新の旗印として着目した事で大きな存在に変化しています。

明治維新で武士たちが倒幕をしようとした相手が260年以上も続いた長期政権。ここまで長期だと幕府が無くなった後の世界など想像する事もできず、倒幕に成功しても民衆が混乱し国がバラバラになる恐れもありました。

そんな混乱を抑えて新明治政府の正当性を認めさせるには、江戸幕府に負けないくらいの存在感を持った旗印が必要だったのです。こうして、万世一世の伝統を持つ天皇がその旗印に選ばれたのでした。

天皇が神だった時代

大日本帝国では、天皇は神とされていました。

太平洋戦争期に「天皇陛下万歳」と叫び多くの兵士が敵に特攻を仕掛けた歴史があるため、大日本帝国は天皇が絶対的神のように君臨し国民は天皇のためなら喜んで命をささげる異様な国だったと多くの人がそう認識していると思います。

ところが、この認識は大きく違います。明治政府発足時は天皇の権威を高めることは国をまとめる事につながるため、政府による天皇神格化の動きがあったようですが、明治・大正時代の人々の多くは天皇に対する尊敬や親愛の気持ちがあったものの、神として進行していた人はほとんどいなかったのです。

現在の私たちが認識している天皇の神格化が強まり現人神として扱われ始めたのは、日中戦争がはじまる2年位前の1935年(昭和10)頃で、天皇が神とされたのは大日本帝国最後の10年間程度だった事がわかっています。

さらに、憲法上は天皇が国の前活動の最高決定権を掌握するとなっていましたが、それはあくまで建前上の話でした。

昭和天皇は君臨したが統治せず

実際には法律を作ったり、戦争を始めたりと言った国の活動は、議会の決議で決められ、天応はこれらの決定を後から承認する形式で、不満ならば拒否もできたが、慣習としてすべての決定は承認する事になっていました。

実際に拒否を行ったのが、昭和天皇が太平洋戦争に反対したと言うのは有名な話で、昭和天皇が自分の意志で政策を決定させたのは、1936年二・二六事件の鎮圧太平洋戦争の降伏の2回だけでした。

これまで昭和天皇の権力がほとんど振るわなかったのは、陸軍の組織・関東軍が起こした事件が発端とされています。

1928年、関東軍は満州の権利問題から現地の有力者・張作霖を爆殺。この事件は国内でも問題になり、首相・田中義一は犯人の処分を行うとして天皇に上奏しました。

しかし、結局田中は軍部の圧力に負け、処分をうやむやにしてしまいます。

田中首相の態度に天皇は怒り、厳しく叱責しました。

この事件をきっかけに田中内閣は総辞職し、これを受けて天皇は自らの行動が結果的に政治介入したと考え深く反省したと言います。これ以降、昭和天皇は政治的発言は避けるようになっていったのでした。

天皇神格化は政治利用だった!?

では、1935年に以降になぜ天皇の神格化が始まったのでしょうか??

天皇は『議会の決定を承認する立場』と言う形式は、実際に国を動かすのは国家と国民であり、天皇はいわば国家の頭脳に当たる最高機関と捉える天皇機関説という考え方がありました。

この考え方は、民主化が進んだ大正時代の流れにぴったりと合致。学者や政治家、一般国民にも広く支持されるようになりました。

ところが、1935年になると元陸軍政治家の菊池武夫が以下の演説をぶちあげました。

「絶対的な存在である天皇を機関として扱う天皇機関説は不敬である」

この演説では政治的意図があったと言います。

れきぴよ
れきぴよ

不敬とは皇室などに対して敬意を払えず礼儀を失することを意味する言葉です。

1931年満州事変以降、軍部はより強大な権力手中を目論んでいました。

当時の議会は天皇機関説支持する議員が多数派だったが、軍部や親軍派の立憲政友会は彼らを不敬と弾狂する事で議会から追放し、政治の実権を握ろうとしたのです。

この策は見事成功し、天皇は絶対的な存在であることが政府の公式見解となり、軍部が主導権を握った事によって大日本帝国は泥沼の戦争に転がり込んでいくことになります。そして、極端に神格化された天皇の権威は、戦時下において国民を統制するための道具として使われたのです。

その例としては、教育には「親孝行をしよう」「友達は大切に」と言った言葉と共に「国が大変な時は国に尽くそう」ということを教え込みました。政府や軍部はこれを拡大解釈する事で、国民の自由を抹殺する言論統制や物資統制を正当化させていきます。

こうした状況に昭和天皇は

本庄だったか宇佐美だったか、私を神だと言うから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういうことを言われては迷惑だ。

昭和天皇独自録

と天皇の発言を収録した『昭和天皇独自録』に記されているようです。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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