歴史コラム

初めての甲子園中止は米騒動が原因だった!?

2020年5月20日に一連のコロナウイルスの影響で日本高等学校野球連盟による、第102回全国高等学校野球選手権大会の開催が中止を決定しました。春のセンバツに続き夏の甲子園も中止の異例の事態に全国に衝撃が走りました。

個人的な感想では、なにもスポーツで全国を目指している子供たちは、野球に限らずサッカーやテニスなどと言った競技にもいるわけで、なんか野球だけが特別扱いされている感があるのは気のせいでしょうか?

 

今回はその甲子園中止にスポットを当ててみたいと思いますが、実は甲子園中止は今回が初めてではありませんでした。歴史を振り返ってみると、1918年の第4回大会、1941年の第27回大会にそれぞれの事情で甲子園が中止となっていました。

そこで今回は、甲子園の中止とその時日本で起こった歴史的大事件にスポットを当ててみたいと思います。

 

過去の甲子園中止は戦争と米騒動

 

先述した甲子園中止は、1918年は【米騒動で、1941年は【戦争によって中止に追い込まれてました。戦争で中止と言うのは何となくわかる気がするのですが、【米騒動】で中止とはいったいどういう事なのか疑問が残ります。

 

1918年の米騒動の概要

乱ではなく【騒動】なので、最初は小さな運動だったのですが、この小さなものが全国に広まり、当時の内閣が倒れ大正デモクラシーのきかっけとなって行きます。

詳しい事は違う記事で書くことにしますが、ザックリと概要を書くと…

騒動の勃発したキッカケは、騒動とも呼べないある町のちょっとした運動が始まりでした。

1918年頃から私たちの命の源である米の価格が上昇し始め、民衆たちの懐を直撃。その原因が第一次世界大戦の勃発によるインフレとも言われ、資本主義の浸透による都市部でのコメの需要が増加し、地主たちが米を出し惜しみしたと考えられています。

 

こうした状況で、家庭を守る女性たちが立ち上がります。

7月23日に富山県の魚津町で【米の値段が上がるのは米をよその地域に渡すからだ!】と町の妻たちを中心とする46人が米の流出を防止しようと運動を起こしました。しかし、この運動は警察の取り締まりにより解散をさせられます。

それでも8月2日ごろに再び県内で同じような運動がおこりましたが、それが全国に広まるそぶりはありませんでした。

ここで、収まれば地元の小さないざこざで済んだかもしれませんが、8月3日に同県中新川郡西水橋町で、漁民の妻ら約300人が資産家・米屋へ押しかけ、米の移出禁止や安売りを嘆願したところ、またもや警察に解散させられました。

さらに翌日にも似たような事件が発生したのですが、今回は嘆願だけでなく米屋の打ちこわしといった実害が発生します。こうなると、事件は大手新聞でも取り上げられ、8月5日には朝日新聞【二百名の女房連が米価暴騰で大運動を起す 米屋や米の所有者を襲ひ廉売を嘆願し 肯かなければ家を焼払ひ鏖殺すると脅迫】と報じられる事に…

 

こうして、騒動が全国に知れ渡り、騒動が岡山県各地のほか、和歌山県、香川県、愛媛県などに波及します。

さらに事態は悪化し、8月10日には名古屋・京都という大都市でも大規模な集会が計画され、名古屋では鶴舞公園に1万5000~3万の群衆が集まり、警官隊と衝突する事件が発生します。これには、軍隊が出動する騒ぎになり、やがて関西・東海だけでなく関東や九州にまで波及する一大騒動になっていきました。

軍隊が出動する事からわかるように、実際は【騒動】と言う可愛いものではなく、【暴動】になっていました。最初は米屋を襲撃していたのが、やがて【目につくもの全て壊せ】と過激なものとなって行きました。

その結果、直接米売りに関係がない、電車や自動車、株式取引所なども襲撃され、民衆と警察、軍隊に多数の負傷者が出る事態になりました。

これは、最近起きたアメリカでの黒人男性が警察官に殺された事件の暴動に近いと思いわれます。

学校で習うのが【米騒動】と習うので、ちょっとした騒ぎのイメージが拭えない事件ですが、実態と名前を一致させるには【米暴動】などとつけた方が良い気がします。

 

甲子園中止と米騒動

 

米騒動の概要を見たなら、なぜこの年の甲子園が中止となったのかは想像つくかもしれません。結論から言えば、【この状況で多くの人を集めれば大暴動の危険】があったので、甲子園関係者の身の安全が保障できないからと言う理由で中止が決定されました。

先ほどの米騒動の起こった日にちを見てもらえれば分かるように例年甲子園が開催される日程が丸被りしているのはお判りでしょうか?

また、当時の大会が開催されていた兵庫県西宮市も騒動の真っ最中でした。大阪と神戸市では、騒動がピークに達しており、その状況で野球大会をするわけにはいきませんでした。

 

また、今回の甲子園中止は比較的前もって決定した事ですが、米騒動が広まったのは大会直前で、それまで関係者たちは大会の開催を前提で動いていました。すでに、大会の組み合わせ抽選会を行い、直前練習も実施され、出場14校はすでに会場入りしていたと言います。

それが、8月14日になって【延期】がきまり、事態が収まらなかったので泣く泣く中止となったのです。会場入りしながら野球が出来ず、大会が中止となった1918年の甲子園大会。今回同様、球児たちの心情を思うとやりきれない気持ちでいっぱいです。

 

歴史的には高評価な米騒動

 

暴動ともいえ、甲子園を中止まで追い込んだ米騒動ですが、以外にも終わってみれば高く評価された歴史的事件だと言います。

それは、この騒動で寺内毅内閣が倒れ、原敬を首相とする歴史上初めの政党内閣が誕生します。寺内は軍人だったので体制的な政治と言われ、平民出身の原敬は民主的な政治を実現したと評価されます。実際、彼は親しみを込めて「平民宰相」とも呼ばれ、現代でもとても評価が高い首相です。

 

また、米騒動がキッカケで日本で社会運動が活発化したこともあり、「米騒動が日本の社会運動を開花させた」という評価もされています。そして、騒動のキッカケが富山の家計を思いやる女性たちだったということもあり、暴動にも同情的な視線が集まることになりました。

ようするに、一般の民衆が立ち上がって権力者と対峙し、社会を変えたと言いう事が研究者たちの間で高く評価されている節があるようです。社会が良い方向へ動いたとは言え、暴動を起こしたのが評価されるのは、矛盾しているのではないか思うのは私だけでしょうか?

 

 

ABOUT ME
歴ブロ
歴史好きが高じて、日本史・世界史を社会人になってから始めました。史実を調べるのも好きですが、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いずれ歴史能力検定を受ける予定。どうぞよろしくお願いします。